#人外と人間 で100日かけて100本掌編書くぞぉ!の28日目。 Day.28 風に紛れて聞こえる声 伏せ その日、学校を出た瞬間に強い風が吹いて、私の髪を乱した。はためくスカートの裾を押さえながら顔を上げたとき、ふっと耳元で誰かが囁いた。 「おかえりぃ」 私は辺りを見回したけれど、帰り道には私しかいなかった。ただ、風が少し笑ったような気がした。 「気のせい……?」 呟いた声は、かすれていた。 その声は、次の日も聞こえた。風が吹くたびに。 「今日も無事でよかった」 それが不気味だと感じるよりも先に、懐かしさが胸の奥からやってくる。以前――とても昔――にも、こうやって私を心配してくれていた気がして。 声は、日が経つごとにはっきりしてきた。 「まだ、おれを思い出さない?」 「早くミーナと遊びたいなぁ」 「いつ思い出してくれるかなぁ」 帰る道中、私はすっかり混乱して足を止めてしまった。 思い出すって、レオとの何かすら忘れているのに? 声しかわからない何かのことも忘れているの? ふと視線を感じて振り返ると、いつもレオがいた。上等な三つ揃いに、磨き込まれたステッキ。いつも通り、変わらない姿。 「レオ……ねぇ、この声、レオは知ってるの?」 レオはしばらく黙っていた。それから、低い声で言った。 「きみが大切にしてた誰かだよ」 それ以上は、レオは黙りこくってしまい何も教えてくれなかった。私は出かかった問いを飲み込むしかなかった。 そして、その夜がきた。 風は今までよりも激しく吹き荒れて、窓を木の葉が叩く。風の音に眠れなかった私はベッドの上で起き上がり、カーテンを開けようとした。 そのとき、風に乗ってはっきりと声が聞こえた。 「迎えに来たよ!」 その声は、思わず息を止めるほど懐かしくて、あたたかくて。 カーテンを開け、外を見た。そこには白銀の狼がいた。月の光に照らされて、その毛並みは輝いている。 薄いブルーの瞳と目が合った瞬間、心の奥で扉がゆっくりと開いた気がした。 ――知ってる、私はこの子を知ってる。 心の奥に仕舞い込まれていた記憶があふれ出そうとしている。あと少し、もう少しで思い出せる。 すべてを思い出すには、あの毛並みに触れなくちゃ。 そう思い、窓を開けるため手を伸ばした。その手を、白い手袋をはめた手が掴む。 「だめだ」 振り返ると、レオがいた。いつもの柔らかい表情じゃない。真剣で、哀しみを含んだ目。 「ミーナを守るのはわたしだ。お前じゃない」 レオが窓の前に立つ。ステッキで床をどんと突いた。風がぴたりと止み、もうあの声は聞こえなくなった。 白銀の狼は、じっとこちらを見つめていた。その瞳は、どこまでも無邪気で、優しかった。私は一歩、窓に向かって踏み出して――それから立ち止まり、振り返った。 「……ごめんね」 私は、私の手を掴んだままのレオの手を握り返した。 窓の外の狼は残念そうに私を見て、噛みつきそうな目でレオを見て、それからゆっくりと夜の闇に溶けていった。 「……思い出してあげたかった」 私がぽつり呟くと、レオは「思い出さなくてもいい」と小さく返した。 「思い出せないのは、それなりの理由があるからだ」 そう言って、白い手袋をはめた手が私の頬に触れる。 「さあ、目を閉じて」 レオの金色の目に覗き込まれ、私は素直に従った。静かに瞼を閉じると、すぐに眠気が降りてくる。レオの手が、私の瞼を撫でた。 ──ああ、また忘れちゃうんだ。 今日のことを忘れたくない。そう思ったけれど、襲い来る睡魔が私にすべてを忘れさせた。 伏せる 短い話 2025/06/03(Tue)19:30:00
Day.28 風に紛れて聞こえる声
その日、学校を出た瞬間に強い風が吹いて、私の髪を乱した。はためくスカートの裾を押さえながら顔を上げたとき、ふっと耳元で誰かが囁いた。
「おかえりぃ」
私は辺りを見回したけれど、帰り道には私しかいなかった。ただ、風が少し笑ったような気がした。
「気のせい……?」
呟いた声は、かすれていた。
その声は、次の日も聞こえた。風が吹くたびに。
「今日も無事でよかった」
それが不気味だと感じるよりも先に、懐かしさが胸の奥からやってくる。以前――とても昔――にも、こうやって私を心配してくれていた気がして。
声は、日が経つごとにはっきりしてきた。
「まだ、おれを思い出さない?」
「早くミーナと遊びたいなぁ」
「いつ思い出してくれるかなぁ」
帰る道中、私はすっかり混乱して足を止めてしまった。
思い出すって、レオとの何かすら忘れているのに? 声しかわからない何かのことも忘れているの?
ふと視線を感じて振り返ると、いつもレオがいた。上等な三つ揃いに、磨き込まれたステッキ。いつも通り、変わらない姿。
「レオ……ねぇ、この声、レオは知ってるの?」
レオはしばらく黙っていた。それから、低い声で言った。
「きみが大切にしてた誰かだよ」
それ以上は、レオは黙りこくってしまい何も教えてくれなかった。私は出かかった問いを飲み込むしかなかった。
そして、その夜がきた。
風は今までよりも激しく吹き荒れて、窓を木の葉が叩く。風の音に眠れなかった私はベッドの上で起き上がり、カーテンを開けようとした。
そのとき、風に乗ってはっきりと声が聞こえた。
「迎えに来たよ!」
その声は、思わず息を止めるほど懐かしくて、あたたかくて。
カーテンを開け、外を見た。そこには白銀の狼がいた。月の光に照らされて、その毛並みは輝いている。
薄いブルーの瞳と目が合った瞬間、心の奥で扉がゆっくりと開いた気がした。
――知ってる、私はこの子を知ってる。
心の奥に仕舞い込まれていた記憶があふれ出そうとしている。あと少し、もう少しで思い出せる。
すべてを思い出すには、あの毛並みに触れなくちゃ。
そう思い、窓を開けるため手を伸ばした。その手を、白い手袋をはめた手が掴む。
「だめだ」
振り返ると、レオがいた。いつもの柔らかい表情じゃない。真剣で、哀しみを含んだ目。
「ミーナを守るのはわたしだ。お前じゃない」
レオが窓の前に立つ。ステッキで床をどんと突いた。風がぴたりと止み、もうあの声は聞こえなくなった。
白銀の狼は、じっとこちらを見つめていた。その瞳は、どこまでも無邪気で、優しかった。私は一歩、窓に向かって踏み出して――それから立ち止まり、振り返った。
「……ごめんね」
私は、私の手を掴んだままのレオの手を握り返した。
窓の外の狼は残念そうに私を見て、噛みつきそうな目でレオを見て、それからゆっくりと夜の闇に溶けていった。
「……思い出してあげたかった」
私がぽつり呟くと、レオは「思い出さなくてもいい」と小さく返した。
「思い出せないのは、それなりの理由があるからだ」
そう言って、白い手袋をはめた手が私の頬に触れる。
「さあ、目を閉じて」
レオの金色の目に覗き込まれ、私は素直に従った。静かに瞼を閉じると、すぐに眠気が降りてくる。レオの手が、私の瞼を撫でた。
──ああ、また忘れちゃうんだ。
今日のことを忘れたくない。そう思ったけれど、襲い来る睡魔が私にすべてを忘れさせた。
伏せる