#人外と人間 で100日かけて100本の掌編書くざんすの企画25日目ぇ! Day.25 霧 伏せ 目を覚ますと、外は白く煙っていた。霧が出ているようだ。 不思議なことに時計の針は何度見てもあまり進まず、それを父と母は疑問にも思っていないようだった。いつも通り朝の準備を済ましても、時間はたっぷり余ってた。だからといってやりたいこともないので、体感でいつも通りの時間、学校へ向かうことにした。 外へ出ると、霧の濃さにむせかえりそうだった。霧は滑るように、何かを包むように、ゆっくりと漂っていた。 通学路いくつ目かの角を曲がったところで、私は立ち止まった。そこには、見たことのない喫茶店があった。 古びた木の扉、読めないほどかすれた手書き文字の看板。昨日まで、こんな建物はなかったはず。なのに、なんだか懐かしい匂い。花とスパイスと、陽だまりのような、胸の奥をくすぐる香り。 「入ってみるかい?」 気づけば隣にレオがいた。紳士風の装いに、獅子のような頭。私にしか見えない、私だけの悪魔。 「でも、学校が……」 「この霧じゃあ、時間も迷ってるさ」 そんなわけ……と思いつつ、扉の向こうから漂う香りに抗えない。私は意を決し、扉を押した。 りん、と小さなベルの音。中は不思議なほど静かで、温かい。一歩中へ入れば、紅茶の香りが出迎えてくれた。 「二名様ですね」 カウンターから、店主らしい男の人が当然のようにレオを見て言う。 「レオが見えるの?」 「そのようだね」 私たちが案内されたのは窓際の席だった。あちこちに漂う霧も、窓から中には入れないようだ。 「……ここ、来たことがある気がする」 「来たことがあるからね」 「私、それも忘れてるのね」 「思い出すさ、いつか」 レオはメニュー表を見もせず店主を呼ぶと、「思い出のミルクティーと名を持たない焼き菓子を」と注文した。そんなメニューがあるのかとメニュー表を見る暇もなく、店主はうなずき、そしてすぐに注文通りの品を運んできた。 「砂糖は何杯だい、ミーナ?」 「もう、自分で入れるわ」 レオの前で二杯もお砂糖を入れるのは躊躇われて、一杯だけにしておいた。くるくると混ぜ、一口飲む。瞬間、胸の奥がじんと温かくなった。 遠い午後の気配――誰かと並んで本を読んだ時間、誰かが見せてくれたオルゴールの音色、冷たい頬を包んでくれた大きな手。 「こっちの焼き菓子も食べてごらん」 レオに促されて一口囓ると、素朴で甘い味が口いっぱいに広がった。 「美味しい」 「きみの祖母がよく作った味だよ」 「レオはいろいろ知ってるのね」 「まあね」 カップとお皿が空になった頃、店の中から人の気配が消えた。振り返るとカウンターの向こうの店主はおらず、店内はもう何年も人が訪れなかった廃墟の佇まいに変わっていた。 「レオ……」 「店じまいのようだ。出ようか、ミーナ」 外の霧は相変わらず濃い。店の急な変わり様を受け入れられず、私はもう一度確かめるため振り向いた。ちょうど、あの看板が霧の中に溶けて消えていくところだった。 それでも口の中にはまだ、ほんのり甘い焼き菓子の味が残っていた。 伏せる 短い話 2025/05/31(Sat)19:29:20
Day.25 霧
目を覚ますと、外は白く煙っていた。霧が出ているようだ。
不思議なことに時計の針は何度見てもあまり進まず、それを父と母は疑問にも思っていないようだった。いつも通り朝の準備を済ましても、時間はたっぷり余ってた。だからといってやりたいこともないので、体感でいつも通りの時間、学校へ向かうことにした。
外へ出ると、霧の濃さにむせかえりそうだった。霧は滑るように、何かを包むように、ゆっくりと漂っていた。
通学路いくつ目かの角を曲がったところで、私は立ち止まった。そこには、見たことのない喫茶店があった。
古びた木の扉、読めないほどかすれた手書き文字の看板。昨日まで、こんな建物はなかったはず。なのに、なんだか懐かしい匂い。花とスパイスと、陽だまりのような、胸の奥をくすぐる香り。
「入ってみるかい?」
気づけば隣にレオがいた。紳士風の装いに、獅子のような頭。私にしか見えない、私だけの悪魔。
「でも、学校が……」
「この霧じゃあ、時間も迷ってるさ」
そんなわけ……と思いつつ、扉の向こうから漂う香りに抗えない。私は意を決し、扉を押した。
りん、と小さなベルの音。中は不思議なほど静かで、温かい。一歩中へ入れば、紅茶の香りが出迎えてくれた。
「二名様ですね」
カウンターから、店主らしい男の人が当然のようにレオを見て言う。
「レオが見えるの?」
「そのようだね」
私たちが案内されたのは窓際の席だった。あちこちに漂う霧も、窓から中には入れないようだ。
「……ここ、来たことがある気がする」
「来たことがあるからね」
「私、それも忘れてるのね」
「思い出すさ、いつか」
レオはメニュー表を見もせず店主を呼ぶと、「思い出のミルクティーと名を持たない焼き菓子を」と注文した。そんなメニューがあるのかとメニュー表を見る暇もなく、店主はうなずき、そしてすぐに注文通りの品を運んできた。
「砂糖は何杯だい、ミーナ?」
「もう、自分で入れるわ」
レオの前で二杯もお砂糖を入れるのは躊躇われて、一杯だけにしておいた。くるくると混ぜ、一口飲む。瞬間、胸の奥がじんと温かくなった。
遠い午後の気配――誰かと並んで本を読んだ時間、誰かが見せてくれたオルゴールの音色、冷たい頬を包んでくれた大きな手。
「こっちの焼き菓子も食べてごらん」
レオに促されて一口囓ると、素朴で甘い味が口いっぱいに広がった。
「美味しい」
「きみの祖母がよく作った味だよ」
「レオはいろいろ知ってるのね」
「まあね」
カップとお皿が空になった頃、店の中から人の気配が消えた。振り返るとカウンターの向こうの店主はおらず、店内はもう何年も人が訪れなかった廃墟の佇まいに変わっていた。
「レオ……」
「店じまいのようだ。出ようか、ミーナ」
外の霧は相変わらず濃い。店の急な変わり様を受け入れられず、私はもう一度確かめるため振り向いた。ちょうど、あの看板が霧の中に溶けて消えていくところだった。
それでも口の中にはまだ、ほんのり甘い焼き菓子の味が残っていた。
伏せる