アウトサイダーにはなれない

 転勤のせいで知り合いの一人もいない土地に引っ越し、ようやく一年。地方であるが故か、強い訛りは俺の前に大きな壁として立ちはだかった。彼らの訛りを習得して早く馴染もうと試みたが、それが彼らの反感を買い、たちまち俺は孤立した。  訛りのない俺を、周りは「いつまでも都会暮らしが抜けない男」と見下し、俺もまた彼らを「都会に出たことすらない田舎者」と見下し返すので、俺と周囲の関係は悪化の一途をたどった。  精神面で限界に達し、転属願いを出した。しかしそれは聞き届けられず、意気消沈したまま一ヶ月を過ごした。  休日のたび、新幹線に乗り込んで友人たちに会いにいった時期もあった。だがそれすらもやがて億劫になり、俺はアパートと職場、時折スーパーを往復するだけの日々を送り始めた。

 借り上げのアパートは安い割りに小綺麗だが、山が近いため虫が多いこと、すぐそばに墓場があることが、俺の気分をますます降下させる。この日も、薄暗い部屋でスーパーの惣菜を食べながら、ぼんやりテレビを眺めていた。  墓が見えないよう、カーテンは日中でも閉めている。味を感じない惣菜をもそもそと食べて一時間ほどが過ぎただろうか。テレビでは、最近頻発している殺人事件について議論が交わされていた。  俺が住むこの地域では、ここ半年、少女が遺体となって見つかる殺人事件が連続して起きていた。年齢の幅は十三歳から十八歳。通う学校はこの近辺の中学や高校。どの被害者も、部活や塾で遅い時間に一人で夜道を歩いて、行方不明になった後に遺体となって発見された。  少女たちの亡骸は人通りの多い商店街のアーケードに捨てられていたり、逆に人通りの少ない田舎道で石ころのように捨てられていたり、やたらと多い田んぼや畑の中に捨てられていたりと共通点はない。だが、遺体は必ず俺が住む地域、それも俺が住まうアパートのある町内で見つかった。誰もが犯人はこの町内の者だと目星をつけているものの、やれ犯人は前科者だの、やれ犯人は異常性犯罪者だのと議論ばかりが進み、検挙には至っていない。  このニュースを聞いて、俺はひらめいた。この鬱屈した気分を晴らすにはこれしかない。  頭の中に、田舎支社の嫌味な上司や同僚の台詞が蘇る。

「何や標準語て冷たい感じするなぁ」 「言い方が素っ気ないん違うか」

 冷たいのはどっちだ。素っ気ないのはどっちだ。俺は俺の生まれた地域の言葉を喋ってるだけだ。お前たちは悪意を持って冷たい言葉を選んでるじゃないか。  頭の中に、近所のガキどもが俺をからかう台詞が蘇る。

「おにーさん、気取った話し方しはるなぁ」 「そら都会の人やもん、田舎もんのあたしらとは、話し方から違うわなぁ」

 親が言うことを真似ているだけ。田舎を知らない奴はそう言うだろう。だがあの目は、大人が使う言葉の意味をわかっている。わかっていて、無垢を装い親が使う|言葉《ナイフ》を俺に向かって投げているのだ。あいつらに、俺が起こす事件で恐怖を与えてやる。次は自分が狙われるかもしれないと、眠れぬ夜を過ごさせてやる。  頭の中に、俺を嘲る女どもの台詞が蘇る。

「下手な猿真似するくらいやったら、無理せんと自分とこの言葉で喋ったらええのに」 「ほんまやわ。そんなへったくそな発音、聞いたうちらが怒るだけやで」

 落とし物を拾って手渡す際に、こちらの言葉を真似て声をかけてみた。それだけなのに、あの女どもはこんな台詞を浴びせた。可愛い子たちだなと下心を持って接したことは否定しないが、あそこまで言わなくてもいいだろう。俺を嘲るあの目を思い出しては、今も叫びながら暴れ出したい衝動に駆られる。

 やるなら今日だ。今日しかない。

 俺は食べかけの惣菜もそのままに、台所へ立った。転勤が決まり希望に溢れていた頃、自炊をしようと調理道具を一通り揃えておいたのだ。一、二回しか使っていない包丁が、今もシンク下にある。  鈍く光る包丁を取り出し、吊ってあったタオルに包む。タオルで包んだ包丁を片手に、俺は鍵もかけずに外へ出た。

 アパートの近く、墓場の周囲は人気がない。なのに、遅い時間になるとちらほら学生が通る。肝試しをしているわけではなく、住宅地へ帰る際の近道として通っているらしい。確かに、墓を抜けた奥に公園があり、その向こうに家が並んでいる区画がある。事件が頻発していても、皆、自分だけは大丈夫だと思うのだろう。だがもうすぐ、この道の人通りは激減するはずだ。  嫌気が差すほど豊かな自然が、俺に隠れ場所を与える。ちくちくと肌を刺す植物や音を立てて飛び交う虫の嫌がらせを受けながら、俺は藪に潜み、獲物が来るのを待った。  いがぐり頭の学ラン少年が通った。あれはだめだ。返り討ちに遭う。  二人組の少女らが通る。あれもだめだ。一人にかまけてるうちに一人に逃げられる。  三人組? もっとだめだ。あれもだめ、これもだめ、だめ、だめ、だめ……。

 理由をつけてうじうじしている間に、学生たちは次々俺の前から去って行き、同じように時間も無慈悲に過ぎていく。虫に刺され、かゆみを覚える。もう今日は諦めようか。今夜は様子見ということでやめにしようか。そう思っていたら、少女が一人で歩いてくるのが見えた。  黒い髪は肩の上で切り揃えられ、夜に紛れている。白い肌は頼りない外灯の光を浴び、月のように輝いている。顔立ちこそ見えないが、セーラー服に包まれた体躯がほっそりしていることはわかる。

 あの子だ。あの少女こそが、俺の獲物だ。

 俺は意を決し、タイミングを合わせ、転がるように藪から飛び出した。少女は「きゃっ」と声を上げ足を止めた。近くで見ると、惚れ惚れするほど美しい少女だった。  遠くからも見ていた通り、白い肌は外灯の光を反射し、月のようにぼんやり輝いている。肩の上で揃えられた髪は夜の闇のように深い黒で、触れば絹のような撫で心地を与えてくれるのではと夢を見させる。俺を見る目は切れ長で、流し目の似合う艶っぽさを持っていた。そして驚いたように開かれた小さな口。あの控えめな悲鳴も、この小ささなら納得だ。真っ赤な唇のそばにある小さなほくろが白い肌によく映えて、妖しい雰囲気を醸し出していた。  惚れ惚れするほど〝女〟としての美しさを持ちながら、身にまとっているのはセーラー服。まだ少女であるのに何というアンバランスな美しさを持っているのだろうと、俺はつい、ぼうっと見とれてしまった。

 そんな俺に、少女は困惑気味に「あの」と声をかけた。そこでようやく、俺は自分の失態に気づいた。包丁をタオルに包んだままだ。これでは刺すことができない。世間を震撼させる事件を起こせない。  わたわたと慌てる俺を、あろうことか、少女は気遣って見せた。

「お兄さん、えらい顔色悪いですよ。体調悪いんちゃいますか? しんどそうやなぁ。目ぇの下、クマできてるやん。目眩もするんちゃう? 足下ふらふらしとるやんか」

 そう言われると、そんな気がしてきた。ろくなものを食べていないし、精神状態がまず良くない。体調が悪くないわけもないのだ。  よろめきだした俺に、少女は優しく手を伸ばした。ほっそりした指が俺の手の甲を撫で、手首を握る。少女はそのまま俺の手を引き、草の茂る脇道へ先導した。

「道の真ん中は邪魔んなるでなぁ。座るんやったら端っこに寄っとこな。ほらほら、早う座って。うんうん、座れたなぁ。えらいなぁ」

 少女に促されるまま、藪とは言わないまでも草木の生い茂る脇道に腰を下ろした。椅子も何もないから、地面に直接座り込むことになる。学生が体育の授業を受けるときのように、膝を抱えるようにして座らされた。少女の話し方も相まって、子供扱いされているようで不愉快だ。なのに、少女が嬉しそうに俺を見つめるから立ち上がれない。

「いい子いい子」と言いながら頭を撫でてくるのが原因だ。あんな風に優しく撫でられれば、誰でも立ち上がれなくなってしまう。  頭を撫でていた少女の手が、背中へ滑っていく。そのまま少女は俺の隣に座り込み、小さな手で介抱するように俺の背中を優しく撫でた。

「お兄さん、何かつらいことあったんと違う? あたしまだ中学生やし、人生経験なんかなぁんもあらへんけど、話聞くくらいやったらしたげるで」

 切れ長の目が優しく和らぐ。優しい言葉をかけるたび、口元のほくろも一緒に動くのがどこか蠱惑的だ。ほくろを見ないように、艶やかな真っ赤な唇を見ないようにと目を伏せつつ、俺はぽつりぽつりと、身の上話を始めた。俺のくだらない愚痴に、少女は口も挟まず相槌を打ってくれた。  うんうんとうなずく少女の手が、俺が握ったままだった包丁へ伸ばされる。優しい手つきだが、有無を言わせない。俺の手からタオルに包まれた包丁を奪うと、少女は地面へ置いた。タオルを開けば、地面にほぼ新品に等しい包丁が転がる。鈍く光る包丁を見て、少女はどんな反応を見せるだろうか。この子には、俺が包丁を持っていたと知られたくない。そんなわがままを思いながら、俺はまだまだ話し足りず、愚痴まみれの身の上話を語り続けた。  少女は俺の話に「そうかぁ」とうなずいて、鞄から何かを取り出した。

「お兄さん、しんどい目に遭うたんやなぁ」

 俺に同情してくれている言葉だった。誰かの同情が心地いいと感じる自分を恥じつつ、俺はうなずいた。少女はまた「そうかぁ」とうなずいた。

「そやからお兄さん、こんなとこふらふらしとってんなぁ」

 また、俺は素直にうなずいた。今度は、少女はから返答はなかった。少女がゆっくりと立ち上がる。地面に置かれた包丁が、ローファーの爪先で蹴飛ばされる。衝撃でタオルがほどけ、中身である包丁だけが飛んでいった。あ、と声を漏らし立ち上がりかけた俺に、少女の意地の悪い笑い声が降り注ぐ。

「こんなとこふらふらして、この包丁で刺す獲物探してたんやなぁ、お兄さん」

 声も出ず、俺はぎこちなく少女へ目を向けた。すぐには彼女の顔を見れなくて、俺はゆっくり、爪先からなぞるように視線を上げた。  少女は細長い何かを持っていた。蛇かと思ったが、それにしてはぴくりとも動かない。ゆっくり、ゆっくりと少女を見上げていく。赤いスカーフを経由し、白い首筋を経て、ようやく少女の顔を見た。  見上げた少女の顔に、優しさは見当たらない。あるのは底意地の悪さだけ。三日月のように細めた目と、耳まで裂けたように吊り上がる唇が、俺に寒気を覚えさせる。

「なぁ、お兄さん。女子中学生がこんな暗ぁて広ぉて人気のない道、だぁれも歩かんような時間に、なぁんで一人で歩いとったと思う?」

 少女は、細長い何かを振りかぶった。側頭部に衝撃が走る。世界が回るような浮遊感を覚えたかと思うと、俺の体は地面に倒れ伏していた。目の前で星が散り、吐き気が込み上げる。よろめきながらどうにか起き上がろうとする俺の頭を、少女の足はためらいなく踏みにじった。

「あたしもな、お兄さんとおんなしよ。ここを〝狩り場〟にしとるんよ。カモが来るんを待っとったんよ」

 食いしばった歯の隙間から漏れ出る呼吸のような、森の木々の間を吹き抜ける風のような、不気味で細くて甲高い笑い声が響く。  少女は笑っていた。俺というカモがのこのことやってきたことを喜び、これからの楽しみを想像し笑っていた。

「お兄さん若いし、それなりに肉ついとるし、刺し応えありそうやなぁ。切り応えもあるやろなぁ。楽しめそうやなぁ。なあお兄さん。まさか中学生の子ぉらより、早う死んだりせんよなぁ?」

 楽しげに笑うと、少女は再び得物を振りかぶり、俺の意識を奪う一撃を見舞った。衝撃と痛みが俺を襲い、視界が暗転する。次に目覚めるときには悪夢が待っていると知りながら、俺は意識を手放した。

***

 男の遺体が見つかったというニュースが流れたのは、先の少女の遺体発見から一週間後のこと。  無残な姿で発見された男の遺体は身元がわからないほど損傷されていた、とニュースキャスターが読み上げる。今までの少女たちと傷つけられ方が似ていることから、警察側は少女連続殺人犯と同一であるという考えを発表しているらしい。見つかった男性の身元がまだ判明していない旨を伝えると、画面は切り替わり、遺体発見現場近くの映像が流れた。  道行く学生たちに、レポーターがマイクを向ける。誰もが好奇心に満ちた目で答える中、一人の少女だけが痛ましげな顔でインタビューに応じた。

「可哀想やわぁ。みんな言うてるけど、女の子殺してる人にやられたんでしょ? ほんまに気の毒やわぁ」

 しきりに気の毒がる少女は、流し目の似合う切れ長の目をしており、真っ赤な唇のそばには小さなほくろがあった。肩の上でそろえられた黒髪を耳にかけながら、少女はマイクに向かって自分の考えを述べる。

「男やから狙われへん思てたんちゃうやろか。うちの兄ちゃんなんかもそうですもん。やっぱどんな事件も、自分に関係ない思てたらあかんのやわぁ」

 語る少女の後ろを、別の学生たちが通りがかる。レポーターは当たり障りのない礼を言うと、次の学生へマイクを向けるべく走り去っていった。少女は残念がる様子もなく、カメラマンたちに背を向け、目的地に向け歩き出した。  少女の鞄から、ちらりと細長い何かが覗く。誰かが目をとめる前に、少女はさりげなくそれを鞄へ押し戻した。田舎町に報道記者たちが来たと騒ぎ、Uターンしてまでインタビューを受けようとする同年代の少年少女たちを横目で見送りながら、少女は三日月のように目を細めて笑った。

「あのお兄さん、案外根性なかったなぁ」

 ――次はどんなカモぉ選ぼかなぁ。

 隠すつもりもないのか、少女は往来で不穏な台詞を呟く。少女に変わって誤魔化すように、ひるひると不気味な風が、人々が行き交う辻道を吹き抜けていった。