似顔絵と美少女

 絵描きをしている友人に、似顔絵のサクラを頼まれた。最近は公園やショッピングモールの一角で場を設けても、堂々と描かれたがる人が少ないらしい。呼び水にでもなればと、友人はサクラを雇う決意をしたそうだ。  時給は出せるのかと冗談めかして尋ねると、何でも好きなものを描いてやろうと言われた。何でもいいと言われた俺は、理想の美少女の肖像を描いてもらうことにした。  友人に頼まれた日付は日曜日。指定された場所は、とある公園の一角。俺と友人が住まう区画からは遠く、電車に乗る必要があった。  似顔絵を始めた時間は午後一番。サクラをする俺の頭上では、葉桜が風に揺れていた。  果たして、俺がサクラをした甲斐はあったのかなかったのか。俺が自分を描いてもらった後、数組の客が来たらしい。描いてもらったあとも友人のそばをうろちょろしてはいかにもサクラかと思い、離れて公園内を歩いていた俺は、その客のほとんどを見ていなかった。数組で儲けが出るのか気になったが、友人が嬉しそうだったので野暮は言わないことにした。  客が捌け、友人が椅子を畳み始めた頃には、夕暮れが迫っていた。俺は友人に、約束の報酬を求めた。

「今ここでか?」

 驚く友人に「当然だろ」と腕組みして答える。友人は苦笑し、畳んだ椅子を組み直して俺に座るよう勧めた。

「それで? 理想の少女だっけ?」 「理想の美少女だよ」 「どんな子をお求めで?」 「俺が求める美少女は――」

 ごほん、と咳払いして、俺が求める理想の美少女像を答える。  まずは目。幼さの残る、丸くてくりくりしたどんぐり眼がいい。  次は鼻。大きすぎず小さすぎず、鼻筋が通ってそれでいて愛嬌のある形がいい。  次に唇。おちょぼ口とは言わないが小さくて、その口じゃあハンバーガーなんてかぶりつけないだろうという大きさがいい。  輪郭は丸顔。太っているわけではなく、幼さを感じさせる丸みが俺の理想のラインだ。  髪は黒髪。当然だ。染めてるなんて論外だ。耳の下で揃えていて、しかしおかっぱというほどきちんと切り揃えたわけではない――そうそう、ボブカットと呼ばれるあの髪型。それが理想の髪型だ。

「それで? 服は何を着せるかね、ロリコンさん」

 友人の足を蹴飛ばし、本当はセーラー服と答えたいのをぐっと堪え、「任せる」と答えた。友人は痛む足をさすりながら「はいはい」とうなずいた。  赤々した光を頼りに、友人は俺の理想とする美少女を描き上げてくれた。受け取った似顔絵を思わず撫でそうになったが、友人が慌てて止めてくれたお陰で美少女は台無しにならなかった。大事に絵を抱き「ありがとう」と礼を言うと、友人は苦笑気味に「こちらこそ」とうなずいた。

「俺は片付けをして帰るから、きみはもう帰りなよ」 「そうするよ。気をつけてな」 「そっちこそ。うっかり好みの女の子を見つけても、後をつけたりするなよ」

 誰がそんなことするもんか、と友人を睨んでも、友人は本心だかそうでないのかわからない笑みを浮かべ、椅子と机を畳み始める。後片付けをする友人を公園を残し、俺は家路につくことにした。  夕焼けの赤い光が、俺の影を不気味に伸ばす。何だか嫌な色合いだ。思いながら似顔絵を鞄に仕舞い込んでいると、ぶちっと音を立ててスニーカーの紐が切れた。驚いて声も出ない。  勘弁してくれよと声に出さずぼやいてしゃがみ込む。残った靴紐を結ぼうと試みるが、徒労に終わりそうだ。悪戦苦闘している最中、背後から近づく足音に気づいた。これだけ広い道なら邪魔にならないだろうと思った俺は、そのまま靴と格闘した。その俺に、足音の主はしゃがみ込んで声をかけた。

「具合が悪いんですか?」

 可憐な声につい顔を上げ、俺は硬直した。目の前で俺を心配している少女は、俺の理想そのものだった。  愛らしい大きなどんぐり眼。形がよく愛嬌も感じられる筋の通った鼻。色づいた小ぶりの唇。幼さの残る丸い輪郭。耳の下で揃えられた黒髪は、首を傾げたせいでさらさら音を立てて流れている。  呆ける俺に、少女は心配そうに「大丈夫ですか?」と再度尋ねた。俺は我に返り、慌てて立ち上がった。

「靴紐が切れてしまっただけなんだ。具合が悪かったわけじゃない。心配させてしまってすまないね」

 俺のあたふたした言い訳に、少女は安心したように笑った。

「そうでしたか。早とちりしてしまってごめんなさい。それじゃあ、お気をつけて」

 少女は俺に名乗ることもなく、背を向け去って行った。俺はその背中に追い縋ることも、呼び止めて名前を聞くこともできなかった。だがそれで良かったんだと、自分に言い聞かせる。下手に声をかけても不審者にしか思われない。不審者情報に俺と思しき男が載っていた、なんて噂されても困る。  しかし惜しいなぁ、と鞄の中の似顔絵とつい今し方出会った少女の顔を思い出しながら、俺はとぼとぼと駅への道を歩いた。

 宵の迫る駅は混雑していて、スーツ姿もちらほら見えた。日曜日も働いているのか、と勝手に同情しながらホームへ出る。くたびれた大人も多いが、それ以上に遊び疲れて満足げな若い子たちの顔が目立つ。俺も働き出すまではあんな風だったなぁと思いつつ、電車が来るのを待った。  滑り込んだ電車が位置調整をするのを見守りながら、ドアが開くのを待つ。開いたドアからは疲れた顔、急ぐ顔、満足げな顔と様々な顔の人たちが降りてくる。そうしてやっと、俺は車内に入ることができた。  乗客が降りて車内はがらんとするかと思いきや、そんなことはない。まだまだ中には人がいて、こりゃあ降りるまで席が空くことはないなと諦めるほど。運良く手すりを掴むことができたから、俺は手すりにもたれかかりながら、車内の人間観察に勤しめた。だから、あの子を見つけることができた。  猫みたいな丸い後頭部。  耳の下で揃えられた黒髪。  後ろ姿だけで、先ほどの少女だとわかった。少女は俺を振り向かない。それをいいことに、俺はじっと少女を見ていた。残念ながら人混みのせいで、少女の後頭部しか見えなかったけれど。

 少女が動いたのは、知らぬ駅名が車内放送で流れてからだ。少女の降りる駅らしい。音を立てて車両が止まり、位置調整後にドアが開く。降りる少女の後を追い、俺も迷わず下車した。  ホームを抜け、改札をくぐり、知らない土地に足を下ろす。戸惑う俺に後をつけられているとも知らず、少女は軽やかな足取りで歩く。俺は尾行の素人だけれど、少女が一度も振り向かないのを見て、探偵の素質があるのかもしれないな、なんて馬鹿みたいな考えを抱いた。  知らない土地で、先を行く少女の背中だけを頼りに歩く。駅前の雑踏を抜け、建ち並ぶ店の前を通り抜け、寂しい裏道を歩く。響く足音は俺と少女のものだけだ。自分以外の足音が聞こえているだろうに、少女はやはり振り向かない。危機感がなさ過ぎる。俺が身内なら、毎日のように不審者に注意しろと言うところだ。あの子の身内はそんな当たり前の心配もしてやらないのだろうか?  自分のしていることを棚に上げ、俺はそんなことを思い歩いた。後ろを歩く俺がどれほど勝手なことを考えているか、少女は知らないだろう。少なくとも俺は、少女が俺の考えることなど知らないと思っていた。

 裏道を抜けると住宅街に出た。この家々の中のどれかが少女の住まいなのか。そう思ったが、少女はどの家の前も素通りした。これはもしや、俺の尾行に気づいて撒こうとしているのか。気づかれているなら引き返すべきかと悩む俺は、少女が予想もしなかった建物に入っていくのを見て驚いた。  少女が入っていったのは、俺の住まいよりも古い、錆び付いた階段がみすぼらしさに拍車をかける安アパートだった。恐らく一人住まいを前提とした物件だろう。少女はどう見ても未成年だが、実は成人で、ここに一人で住んでいるのだろうか。それとも、ここに家族で住んでいるのか。年老いた祖母と二人で――なんてホームドラマのようなこともありえなくはないだろう。  考えている間にも、少女は錆の浮いた階段を上がって、部屋の一つに入っていった。解錠する音、再び施錠する音が聞こえたから、少女がこの物件の鍵を持っているのは間違いない。  俺は敷地に入る勇気もなく、少女が姿を消した部屋を見上げた。夕日が沈み、夜が来ても部屋を見上げた。明かりがついて窓から光が漏れ出ても、じっと見上げた。少女の影が何やら動くのを見てようやく、俺は元来た道を引き返した。

 それから俺は、会社を休んでは少女の最寄り駅で少女が来るのを待つようになった。幸いなことに、少女は電車で通学しているようだった。会社を休んだ一日目、少女は紺色のセーラー服を纏い、駅に姿を現した。  友人に描いてほしかった姿はまさにこの姿だ。その場で跪き両手をこすり合わせて拝みそうになったほど、少女の姿は完璧だった。  改札口で人を待つふりをしていた俺は、少女の姿を見るや待ち人に焦れたように改札を抜けた。時折足を止め、手帳や携帯電話を見て少女に追い抜かされる。それからまた歩き出し、少女に近づきすぎないよう気をつけながら、少女と同じホームに立った。  少女が乗り込む電車を覚える。少女が電車内で何をしているか、つぶさに観察する。少女はいつも外を眺めていた。車窓から景色を眺める横顔は、その場で写真に収めて切り取りたいほどに愛らしかった。  少女がアナウンスに反応するまで横顔を眺めていた俺は、少女が降りる駅を覚えて乗り越した。これを一週間繰り返し、俺は少女と同じ電車に乗るための通勤路を開拓した。

 毎朝理想の美少女を眺めることができる。これだけでも幸せなのに、定時退社できれば、帰りの電車でも少女の姿を拝むことができた。  出勤すればつらいことも多いが、朝から少女を拝んだ幸せを思い出せば気は紛れる。もう嫌だと逃げ出したくなるときも、帰りの電車でまた少女を見つめられると思えば耐えられた。友人の「後をつけたりするなよ」という言葉を戒めのように思い出しながら、見るだけならいいだろうと自分に言い訳する日々を過ごした。  見ているだけで我慢できなくなったのは、週半ばの帰路でのことだ。俺は悪くない。悪いのは、卑劣なあの男のせいだ。あの男があんな卑劣な行為を働かなければ、俺はあの娘を見てるだけで幸せだったのに。

 朝とそう変わらず混み合っている車内で、俺はいつものように少女を眺めていた。この日は少女がこちらを向いていて、一日の終わりになんて幸せなことだろうと思っていたくらいだ。それほどに、毎朝、毎夕少女を見ていた俺だからこそ、少女の顔が見る見る曇り出すことに気づけた。  少女は自分の後ろに目をやり、恥じるように目を伏せ、涙に濡れた目を俺に向けた――ように見えた。視線の先にたまたま俺がいただけだろう。だが、少女は俺を見た。俺は人並みを掻き分け、少女のそばまで移動した。そして、少女の真後ろでやたら鼻息を荒くし挙動不審になっている男の腕を掴んだ。

「バレても言い逃れできると思ったのか? 卑劣な奴め」

 男の腕をたどり、何に触れていたかを確かめる。思った通り、少女はこの男に痴漢行為を働かれていた。うろたえる男と堂々とする俺に、周囲の視線が集まる。少女の細い声が、俺の英雄的行為を後押しした。

「この人に、痴漢されていました」

 奇しくも次の駅は少女が降りる駅だった。俺とほか数人の乗客で男を取り押さえ、駅に降り立つなり駅員に突き出す。事務手続きや事実確認なんかでなかなかの時間を拘束されたが、少女が一緒だと思えば苦ではなかった。  解放されたときには、とっぷり日が暮れていた。隣には少女がいる。何も言わない少女に「大変だったね」とぎこちなく労りの言葉をかけると、少女はにこりと笑った。

「助けてくれて、ありがとうございました」

 花開くような笑顔に思わず見とれた。我に返り「どういたしまして」だか「当然のことをしたまでで」だか、そんなことを返したように思う。これは少女とお近づきになるチャンスではないか。そう思った俺が「良かったら家まで送ろうか」と言いかけるのを遮るように、少女は「それでは」と会釈して去って行った。  俺は一人、その場に残された。  頭の中をぐるぐる回るのは「それだけか?」の一言だ。  痴漢から助けたんだぞ。事実確認やら手続きやら、七面倒くさいことにも付き合ってやったんだぞ。なのに礼だけ言ってサヨナラか?

 俺の最寄り駅に向かう電車が、ホームに滑り込む。今日は位置調整をしない。ぴたりと所定の位置に停車した電車の自動ドアが開く。人が雪崩のように下車するのを見つめ、人が弁当の具材のように詰め込まれるのを見つめ、俺は電車を見送った。  また一人ぽつんと残った俺は、踵を返して改札へ向かった。少女のアパートには、初めて見かけたあの日以来、一度も行っていない。だが道は覚えている。足早に改札を抜けて記憶の通りに裏道を目指すと、少女に追いついた。一定の距離を保ち、足音を隠しもせず歩く。少女は俺という不審者を振り向くことなく、アパートに向かってまっすぐ歩いた。  カンカンと音を立て、少女は錆びた階段を上がっていく。俺はそれを、少し離れたところから見守る。少女が部屋に入るのを見届けて、前回は入れなかった敷地に足を踏み入れた。

 謝礼を求めたっていいはずだ。卑劣な男から助けてやったんだ。俺は痴漢から助けてやったんだ。お礼を求める権利ぐらいあって当然だ。  少女が消えた部屋の前に立つ頃には、興奮と緊張で息切れのように呼吸が荒くなっていた。足が震え出す。閉じられたドアを前に、俺は躊躇していた。しかし、引き返す気はなかった。  震える指でドアチャイムを押す。「はぁい」と可愛らしい声が返ってきた。間を置いて、ドアが開く。防犯意識の薄い子だと思っていたが、さすがにドアチェーンをかけるくらいの意識はあったようだ。チェーンが許す限りドアを開けた少女は、俺の顔を見て「あ」と声を上げた。

「電車で助けてくださった、お兄さんですね。ちょっと待ってください」

 今開けますね、と少女は一度ドアを閉めた。チェーンを外しているらしい音が聞こえる。ドアが開くと同時に踏み込んでやろうと、俺は身構えた。  ガチャガチャと金属が触れ合う音が聞こえていたかと思うと、静かになった。しかしドアが開く気配がない。からかわれているのか。ならば俺自がらがこのドアを開けて押し入ってやろうか。悩む俺の目の前で、ゆっくりとドアが開き始める。ドアの隙間に体をねじ込み体当たりのように少女を組み伏せるべく、俺は足に力を込めた。  そこではたと、このまま勢いよく押し入れば、理想の顔に傷がつくかもしれないと考えてしまった。そのせいで俺の動きは鈍った。だから隙間からぬるりと伸びた手に腕を掴まれ引っ張られ、つんのめるように少女の部屋に入ってしまった。そのまま顔から玄関に倒れ込む。  倒れる直前、正面に見える部屋の壁に、紙が貼られているのを見た。顔が描かれていると気づいたのと、顔面を強かに打ったのはほぼ同時だった。起き上がろうとする前に首筋に衝撃が走り、体が痙攣した。目の前で火花が散る。首への衝撃と体の痙攣は、二回、三回と、間を置かず続いた。四回目で、俺は痛みと痙攣で体の自由を失った。  うふふ、と頭上で声がする。

「似顔絵そっくりで、中身まで私が思い描いてた人だなんて……夢みたい」

 うっとりした声は、名も知らぬ理想の美少女のものだ。その台詞で、あの紙に描かれていた絵は友人のタッチだったと気づく。動けない俺のそばに、少女はしゃがみ込んだ。

「お兄さん、ここで私に何をしようと思ったんですか? 私が思い描いてた通りの人なら、きっと私が想像するとおり最低なことを考えてたんでしょうね。残念ですね。あなたは今から、獲物だと思った私に、想像していたよりもひどくて悲しくてつらいことをされちゃうんですよ」

 やめてくれ、と声に出すこともできない。俺の口から漏れるのは、犬みたいな呻き声だけだ。  呻く俺を見下ろし、少女はまたうふふと笑った。少女が動く気配にやや遅れて、今までで一番大きな衝撃と火花が俺を襲った。意識が暗転する中、俺は動けないせいで少女の笑顔を見ることができなかったと、救いようのない後悔をしていた。

***

 葉桜の季節が過ぎ、日差しの強さに人々が弱る頃。毎日毎日、駅前でちらしを配る男がいた。その男は絵描きで、普段は似顔絵などで生計を立てているらしい。絵描きの男は、一人の男が描かれたちらしを行き交う人に渡して回っていた。

「もう二ヶ月です。未だに行方が知れません。お願いします、お願いします」

 ちらしを受け取り足を止めたのは、一人の少女だった。黒髪を耳の下で揃え、セーラー服を身にまとっている。絵描きの男が少女に目を留めた。少女も絵描きに目を向けた。

「以前、描いてもらった人そっくりですね」 「そうなんです。あなたから依頼で描いた理想の男は、俺の友人そっくりなんです」 「この人が、行方知れずですか」 「ええ。家族もいない、友達も俺くらいしかいないこいつは、俺しか探していないんです。もし彼を見かけたら、この番号に連絡してくれませんか」 「わかりました」

 少女はうなずき、「学校があるので」と会釈して絵描きの前から去った。絵描きも会釈を返し、またちらしを配るため行き交う人々へ目を向けた。  絵描きの前を去り、改札を抜けた少女は、手元のちらしを見て「うふっ」と声を漏らした。

「そうそう、前はこんな顔でしたねぇ」

 少女はそうこぼすと、絵描きから受け取ったちらしを丁寧に折って鞄に入れた。

「帰ったら見せてあげなくちゃ」

 邪気のない笑顔で呟き、少女は軽やかな足取りで、いつものホームへ続く階段を降りていった。