金の無心と哀れみの涙

 困ったことに、俺には金がない。つい最近、親が信じられない額の借金を残して死んだせいだ。  借金返済のために、売れる物はすべて売ったし金を貸してくれそうな友人知人はすべて頼った。それでも俺には金がない。頼る親類でもいれば話は違っただろうが、生憎、俺は天涯孤独の身だった。  さてどうしたものかと、布団すらないボロアパートの一室で困り果てる。ない知恵を絞り出そうと唸る俺の部屋に、長いこと疎遠になっていた知人がやってきた。ドアを開けた俺も俺だが、家主から「どうぞ」の一言もなしにずかずか上がり込み部屋の真ん中に座り込んだこいつもこいつだ。  部屋を見回して一番、知人は鼻で笑いながら「なぁんもねえなぁ」と嘲った。むっとしながら「金がないんだよ」と答えると、知人は待ってましたとばかりに目を輝かせた。

「金がねえ? 今お前、金がないって言ったな?」 「何だよ。変な商売はお断りだからな。こっちは知り合いに片っ端から金を借りて、合わせる顔すらないんだ」 「そんなんじゃねえよ。商売より楽な手だ。俺と一緒に、手っ取り早く小金を掴もうぜ」

 得意げに知人が語ったのは、どう考えても詐欺だった。  俺が住む街の高台には、古めかしい洋館がある。これは俺ですら知っていて、この辺りでは有名なお屋敷だ。そこには、人のよさそうなおばあさんが一人で住んでいる。これも、俺でなくともこの街の誰もが知っている。一度だけ見かけたことがあるが、優しそうで、品のあるおばあさんだった。さてこの知人は、そのおばあさんを騙して金を無心しろと言うのだ。

「あのばーさんはお涙頂戴の時代劇が好きだからな。それっぽい身の上話をすりゃあころっと騙される。とりあえずの生活費って、十万引き出せ。手数料は二万でいいぜ」

 十万という額は、詐欺にしては少額かもしれない。だが俺は目を剥き「十万?」と額を繰り返した。

「十万なんて、顔すら知らない奴に渡したりするか?」 「言ったろ、金持ちだって。十万くらい、あのばーさんの感覚じゃ俺たちの十円なんだよ。ただし、こっちの語る身の上話に心動かされれば……の話だけどな」

 知人は俺の肩を抱き、何度も背中を叩きながら「お前の場合は嘘なんかつかなくてもいいな!」と笑った。

「親が死んで借金だけが残って、頼る親類もいないから顔見知りにまで頭下げて金を無心して、それでも今なお借金返済の目処は立たず。ばーさんの好きそうな人生|背負《しょ》ってんなぁ、お前。嘘を考える必要もないなんて羨ましいぜ」

 俺がうんともすんとも返事をしていないのに、知人は「よし行くぞ」と俺の腕を掴んで立たせた。拒む俺は一歩人とも足を動かさなかったが、知人は腕力を以てして、俺を高台の洋館まで引きずり運んだ。  高台の洋館は高い塀に囲まれている。しかし洋館の屋根は、その塀よりもさらに高い位置に見える。立ちはだかる高い塀を見上げ、そびえ立つ洋館を見上げる。金持ちは金を持て余しているから、こんな風に何もかも大きく作るのだろうか。呆けるあまり、そんなことを考えていた。  まっとうな手段で洋館に入るには、門をくぐる必要がある。金持ちでもない一般人なら見るだけで竦むような立派な門だ。俺たちのようなアポなしの客を拒むように、門扉は閉ざされている。  知人は門脇のインターホン前に俺を押し出すと、元来た道を引き返そうとした。置いていかれそうになり、俺は慌てて知人の襟を掴んで引き止めた。

「おい、どこ行くんだ!」 「お前のアパートだよ。お前の身の上話を語るのに、俺までいちゃ詐欺でございって言ってるようなもんだろうが」 「だからって、」 「何だ、今更怖じ気づいたのか? しょうがねーなぁ、俺がインターホンを押してやるよ」

 俺が「待て!」と言うのも聞かず、知人はインターホンを押すなり「じゃあな!」と笑って走り去った。俺が知人を追いかけようとする前に、可愛らしい声が「はい?」と応答した。

「どちら様でしょうか。今日は、誰ともお約束がございませんが」

 このまま立ち去ったら、子供のいたずらみたいじゃないか。いたずらと思われるならまだいい。さっきから塀の上で箱のようなものが動いている。あれはきっと監視カメラだ。俺も知人の姿も映っているかもしれない。  監視カメラの映像から不審者として特定され警察に自宅へ押し入られるか、この洋館に住むおばあさんを騙して誤魔化して穏便に帰るか。俺が選べるのは、後者しかない。勇気を振り絞り、インターホンに一歩近づいた。

「連絡もなく、突然申し訳ありません。知人に紹介されてやってきた者です」 「はあ。知人の紹介……ですか。少々お待ちください」

 可愛らしい声がそう言うと、インターホンはぷつりと音を立てて通信を切った。ずいぶん若い声のおばあさんだと思いながら待っていると、遠くに見える洋館のドアが開き、黒髪の少女が姿を現した。近づくにつれ、少女の可憐な姿がはっきりと見えるようになる。  黒い髪は耳の下で切り揃えられ、あどけなさの残る丸い輪郭を強調している。明るい色のどんぐり眼は、まっすぐ俺を見つめている。髪と同じ色の眉はやや太いが、困り果てたように下がっているのが愛嬌を感じて可愛らしい。白い肌は赤みが差して健康的だ。その肌と同じ色の鼻は小ぶりで、思わず摘まみたくなる形をしている。小さな桃色の唇が開き、インターホン越しに聞いたのと同じ声が「どちら様ですか?」と当然の疑問を口にした。  少女の問いに、俺はハッと我に返った。門の向こう、手を伸ばせば掴める距離に少女はいる。そんな近さで、少女は門に手をかけ俺を見上げている。どんぐり眼でまっすぐ見上げられ、俺はへどもどしながら正直に話した。ただし不都合な事実は、意図して話さなかった。

「か、金に、困っていまして。それならここのおばあさんを頼ればいいと、知人にアドバイスを受けたんですが……」

 嘘は言っていない。何一つ嘘ではない。自分にそう言い聞かせるも、冷や汗は流れっぱなしだ。しどろもどろに打ち明ける俺をじっと見ていた少女は、考え込むように口元へ手をやった。しばらく目を伏せじっとしていた少女は、顔を上げるなりすぐ門を開けた。音を立てて、わずかに門が隙間を空ける。思わず俺も手を出して開けるのを手伝うと、少女は「ありがとうございます」と小さく頭を下げた。笑顔の一つもなかったけれど、それがまた少女の魅力に感じられた。

「とりあえず、私がお話を伺います。どうぞ、中へ」

 そう言って、少女は俺に背を向けすたすたと歩き出した。少女の後に続き、庭を横切って洋館に入る。少女は「こちらへ」と言って玄関すぐの部屋に入った。客間だろうか。これほど大きな家ならば、応接室と呼ぶのだろうか。床が石でできている。《《洋》》館と呼ぶぐらいだから、この家全体が石造りなんだろう。他人の家、それも映画のセットのような家に、俺のような人間がいるのはひどく場違いに思えた。  さてそんな応接室に通された俺は、床の上に直で置かれたソファに掛けるようすすめられ、恐る恐る腰を下ろした。少女も、ガラス製らしいテーブルを挟んで向かいのソファに腰掛ける。ソファは座ったこともないようなふかふか加減で、体が沈んで落ち着かない。しかし少女は慣れているようで、ぴしりと背筋を伸ばしたまま、俺に「それで」と話すよう促した。

「お金に困ってるそうですが、具体的にはどのように」

 どこから、何から話すかと困っていたら、腹の虫が鳴いた。そういえば最近は金の無心に忙しく、ろくに食べていなかった。腹を押さえ赤面する俺を一瞥し、少女は「お茶も出さずに失礼しました」と言って席を立った。恥ずかしい。何もかもが恥ずかしい。少女が立った隙に逃げ出せば良いのに、空きっ腹を自覚した間抜けな俺は腹を押さえたまま、少女が戻ってくるのを待った。  少女は、上等そうなお盆に湯気の立つカップとフルーツの盛った皿を載せて戻ってきた。白い皿の上で花びらのように円を描き並んでいるのは林檎だ。

「林檎でよければ、まだありますから」

 テーブルにお盆を置いて、少女は一度引き返した。そして再び戻ってくるときには、銀のお盆にフルーツナイフと真っ赤な林檎の山を載せて帰ってきた。少女に「どうぞ」と勧められ、ありがたく林檎に手を伸ばした。  林檎なんて、もう何年も食べていない。両親が生きていた頃、それも俺がまだ小学生だった頃、風邪を引いては林檎を剥いてもらったっけな……と懐かしくなった。  俺一人がしゃりしゃりと林檎を囓り、一皿を空にしてしまった頃、タイミングを計っていたらしい少女が姿勢を正した。釣られて俺も姿勢を正すと、少女のどんぐり眼に凜々しい光が宿る。

「生憎、おばあさまは入院中です。おばあさまの留守中、代わりとして私が来客の相手をするよう言付かっております。若輩者ですが、精一杯務めさせていただきます。どうぞ、おばあさまに話す予定だったことをお話しください」

 少女は丁寧な角度で腰を折り、黒髪がさらりと流れて頬を滑った。あくどい笑みを浮かべる知人と、借用書に記された額が脳裏にちらつく。ええいままよと、俺は少女にありのままを語った。

「俺の親は、借金だけを残し死にました。事故でしたが、保険金は俺ではなく金貸しの元へ流れました。それでも払いきれない借金をどうにかするため、友人知人を頼り駆けずり回りましたが、それでもまだ足りません」

 そうだ。その通りだ。片っ端から電話して、片っ端から会いに行って、頭を下げて金の無心をした。だが貸してもらえたところで、俺には返す宛てがない。今じゃもう、友人たちは俺を見るなり「貸す金はないぞ」と言って踵を返して逃げ出す始末だ。

「返す宛てもない金の無心をする俺を、友人たちは敬遠するようになりました。知人も、俺の顔を見るなり踵を返します。親類も身内もいないから、俺は自分で返すしかないんです」

 少女は黙って聞いていた。時折うなずくように顎を引くから、話し終えるまで口を挟まないでいてくれるんだろう。少女の顔を見るのも気が引けて、俺の視線は段々と自分の膝へ落ちていった。

「……売れる物は、全部売りました。今じゃ、アパートの部屋には布団すらありません。勤め先に借金の噂が流れて、借りた先がややこしいところだったとバレましてね。取り立て人が来ては困ると、退職させられまして……」

 これも嘘じゃない。取り立て人こそまだ来てないが、そう日が過ぎないうちにやってくるはずだ。パンチパーマに派手なスーツなんていかにもな輩が来る時代でもないが、勤め先とていらぬ面倒に巻き込まれたくなかったのだろう。上司からやんわりと退職を勧められ、勤務年数なりの退職金を示された。借金返済には到底足りない額だったが、金はいくらあっても足りない状況だ。俺は上司の勧めに従い、仕事も辞めた。  ここまで話し終えて、やけに少女が静かだなと思い顔を上げると、どんぐり眼からぽろぽろと涙が落ちていた。ぎょっとする俺の前で、少女は「お気の毒に」とどんぐり眼に俺を映した。

「大変だったんですね。つらい目に遭われてきたんですね」 「い、いや、そんな、泣いてくれなくても……」

 つんと鼻の奥が痛んだ。かと思うと、視界がぼやけた。後から後から涙が頬を伝い落ちていく。思えば借金を背負って以来、今のように同情されることなんてなかった。一度気づいてしまうと涙は止まらず、俺と少女は二人、静かな洋館ではらはらと涙を流し合った。  ひとしきり泣いて、先に落ち着いたのは少女だ。ハンカチで涙を拭い、空になった皿に林檎を置いた。そして、手にフルーツナイフを持つ。

「あなたのお話は、よくわかりました」

 ということは、本当に金を渡してくれるのだろうか。金額はこちらの希望が通るのか、それとも向こうがぽんと出した額を受け取るのか、どちらだろう。  少女はフルーツナイフを手にしたまま立ち上がり、俺のそばまでやってきた。憂うような、同情するような目が俺を見下ろす。

「可哀想なあなたを、せめて楽に逝かせてあげますね」 「え」

 ナイフを持った手が一振りされる。手が振り抜かれると同時に、首に痛みが走る。すっぱりと切れたのは頸動脈か。噴水のように俺の血が吹き出る。手で押さえても血は止まらない。溢れる血のせいで、俺は息もできなくなった。自分の血で溺れる俺を見下ろし、血しぶきに染まった少女は新たな涙を流した。

「生きていても、《《あなたたち》》は同じことを繰り返すだけです。おばあさまは悲しんでいらっしゃいました。みんな似たような身の上を語って、似たようにお金を無心するって。少しでも暮らしが良くなるのならと同情して与えても、あなたたちは浪費しかしないって。嘆き悲しんだおばあさまは、とうとう伏せってしまわれました」

 そうか、ここのおばあさんは病んでしまったのか。俺や、あの知人のような奴らのせいで。気の毒なことをしてしまったと、俺は自分の悲惨な現状も忘れて同情した。

「他人に寄生しないと生きていけないあなたたちが、来世では自身の足で人生を歩めるよう、祈っていてあげますね」

 少女の声を聞きながら、俺はソファに倒れ込んだ。溺れる俺を見下ろす少女の目は、涙で光っている。ナイフがテーブルに置かれたのだろうか。ことん、と静かで硬い音が聞こえた。聞こえる音も、見えるものも、すべてが遠くなっていく。唯一、そばにいる少女が手を組む様だけは見ることができた。  自分の血で溺れゆく中、自分勝手だと思いながら、俺はこの少女の目から流れる涙が本心であることを祈った。