どこからどう見ても平凡な営業マンの俺には夢がある。 黒い髪は耳の下で揃えられたボブカットで、明るい色の瞳はどんぐり眼。肌は健康的な白さ、口は小さめ、唇は自然な桃色で、輪郭はあどけなさを残した丸顔。 そんな理想通りの外見を持つ少女に土足で踏んでもらうことだ。希望箇所は顔だが、踏む箇所は相手の趣味嗜好性癖その他希望によって応相談。 朝ネクタイを締めては「今日こそ理想の美少女に会えないものだろうか」と夢想し、夜ネクタイを解いては「今日も理想の美少女に会えなかった」と消沈する。そんな日々を片手を越えるか越えないかの年数繰り返したある日、駅のホームで理想通りの美少女の姿を見た。 理想の美少女は、電車の到着を待つ列に並びうつむいていた。単語帳をめくっているように見える。テストが近いのだろうか。うつむくせいで黒髪が頬にかかり、それを無意識らしい仕草で耳にかける。耳を滑る指を見て、俺は思わず少女の前に飛び出した。
「きみは俺の理想の人だ」 「はい?」
どんぐり眼が見開かれ、明るい色の瞳が俺に集中する。俺が片膝をつき少女の手を取ると、白い頬は見る間に赤く色づいた。
「えっ? ええっ?」 「お願いだ」
少女の手を握り、目を見つめ、この淡い色合いの唇から罵倒の言葉が飛び出すことを想像して興奮を覚えながら、俺は少女に懇願した。
「俺を踏んでくれないか」
す、と少女の顔から赤みが引く。丸く見開かれていたどんぐり眼が、胡乱げに細められる。俺の手から白い手がするりと抜ける。タイミングの悪いことに、少女が乗る電車がやってきた。それは俺が乗る電車でもあったが、周りの客に邪魔され、俺は少女を追いかけることができなかった。 あの様子では、少女が俺を踏んでくれることはないだろう。彼女が理想通りの美少女でなければ、俺も諦めた。彼女が理想通りの美少女だからこそ、俺は諦めきれなかった。 それから毎日、俺は少女の姿を見つけてはストーカーよろしく追いかけた。追い縋り、跪き、地面に額をこすりつけて「踏んでくれ」と頼む。最初は少女も苦笑いで「からかわないでください」と流していた。だが後をつけた俺が学校近くで姿を見せたり、休日に友人と和やかに歩いている最中に姿を現したりと、正真正銘のストーカーに成り果てると、少女の苦笑いは消えた。代わりに浮かんだのは、嫌悪と恐怖だ。
「何で付きまとうんですか。何でそんなこと言うんですか。いい加減にしないと、警察を呼びますよ」
そう言って俺から逃げるものの、少女が本当に警察を呼んだことはない。それが彼女の最後の情けか、それとも大事にするのを恐れたのか、俺にはわからない。はっきり言われないのをいいことに、俺は都合良く解釈し、少女を追いかけてはローファーの似合う可愛らしい足でこの顔を踏みつけてくれと懇願した。 俺から逃げるため、少女は友人の家や店を挟み、変装するようになった。変装し始めた当初こそ惑わされ少女を見失ったが、次第に変装を見破れるようになった。所詮は彼女も素人。服や帽子で誤魔化しても、体格や歩き方は変えられない。変装を見破ってはその後ろ姿を追いかけ、俺を撒いたと思い安堵する少女の前に現れては路上だろうが店の中だろうが構わず土下座した。
「俺を踏んでくれ。その可愛い足で踏んでくれればそれでいいんだ!」
土下座する俺に触れないよう、少女は飛び退いて一歩下がった。俺を見下ろす目から本気で嫌がっていることは理解していた。だが最近は、踏まれないフラストレーションをあの目で見られることで解消していた。行き交う人々の視線が刺さるのもまた良かった。 泣きそうだった少女の目から、次第に弱さが消えていく。 俺への嫌悪。俺への憎悪。そういったものが少女の瞳で炎のように揺れる。 それを見るたびに俺はまた寒気に似た興奮を覚えた。
ある日の休日も、俺は少女を追いかけていた。身内らしい女と歩いていた少女は、俺を見るなり走り出した。道を駆け、バスに飛び乗り、それでもなお追いかける俺を振り切ろうと、二人は人の多い駅に飛び込んだ。この時点で振り切られそうだったが、俺は身内らしい女とともにトイレに入るのを見た。 きっと彼女は、返送した上で人混みに紛れて逃げるつもりだろう。俺はトイレから離れた場所で、出てくる人々をじっと見た。 数人の女性が誰かを囲むように出てくる。女性に隠れるように歩くのは、野球帽を深く被った少年だ。少年に見えるよう変装した彼女だった。 女性たちから離れ、少年の姿をした少女がホームへ降りていく。俺は迷わず彼女を追いかけた。少女は俺に気づき、発車寸前の電車に飛び乗った。ドアに体を挟まれながら、駅員に注意を受けながら、俺も車両に飛び乗る。 少女は俺から逃げ続けた。時にフェイントも混ぜて俺を惑わせる。その逃げ方に、俺は彼女の本気を見て取った。だが俺も彼女に踏まれるまでは諦めない。彼女が疲れ果てるまで付き合おうと、俺はいくつもの駅を経由して少女との追いかけっこを続けた。 最後に少女が降りた駅は、人気のない寂しい駅だった。時計はすでに夜と呼べる時間を示している。古い駅だった。ホームは上下一つずつしかなく、降りた客は俺たちしかいなかった。 寂しいホームの階段を、少女は一人で上がっていく。俺も彼女の後を追いかけ、階段を駆け上がる。 先に上っていた少女は、連絡路でくるりと振り向いた。俺は中途半端に段差へ足をかけたまま、立ち止まった。俺が止まったのは彼女の一段下。それでも俺の目線は彼女より上だった。見下ろされたいのにという不満を抱えつつ、少女を見下ろす。彼女は俺をじっと見つめ、小さな口をゆっくりと開いた。
「どうして……あなたは私を追いかけるんですか」
そんなの、答えは決まっている。
「きみの視界に入りたいからに決まってるじゃないか」 「どうして私に話しかけるんですか」 「きみに罵られたいからだよ」 「どうして私に変なことばかり頼むんですか」 「きみのその可愛らしい足を見れば、誰だって踏まれたいと願うさ!」
少女の唇が、一の字に結ばれる。どんぐり眼が緩やかな角度で吊り上がっていく。彼女は怒りを露わにしても、愛らしさに満ちていた。
「私の気持ちも、考えたことはありますか?」
人は怒りを感じると、声が低くなるという。しかし少女の声は、低くなっても愛くるしい声のままだった。愛らしい声というのは、たとい怒りに低くなっても愛らしいのだ。この声で罵られる自分を想像すると、頬がだらしなく緩んでいく。 俺が真剣に受け取っていないことは見てわかったのだろう。少女はますます目を吊り上げ、低い声でまくし立てた。
「私にも生活があるってわかりませんか? 私だって当たり前に好きな人がいると思いませんか? 私がっ、どれほどあなたを疎ましく思っているか……感じてはもらえませんでしたかっ?」
涙を浮かべた少女は、野球帽のつば下から俺を睨む。目の前で、俺の理想通りの美少女が俺を睨んでいる。俺に憎悪と嫌悪を向けている。俺だけに、この愛くるしい少女が、炎のように熱く激しい感情を向けている! 恍惚とする俺に、少女は諦めと軽蔑が混じる目を向けた。その目も良かった。どうしようもない奴なのだと諦め、払っても払っても戻ってくる羽虫を見るような目で俺を見る。俺を虫けら同然として見る目の冷たさに、俺は喜びが湧き上がるのを感じた。 その目で俺を見て、その感情を言葉に表し、声を荒らげ詰ってほしい。そのまま俺を踏んでくれれば最高だ! 跪こうとする俺との距離を、少女は詰めた。少女の手が伸び、俺の胸板を確かめるように触れる。滲んだ涙をこぼさぬまま、少女は俺の目をまっすぐ見上げた。
「本当に、勝手な人」
胸に衝撃が走った。精神的なものや比喩表現ではない。身体的に、物理的に受けたものだ。その証拠に、足が地面――階段から浮いている。少女の目に浮かんでいた涙は、乾いてしまっていた。名前も知らない俺の理想の少女は、虫の死骸を見る目で、俺を見下ろしていた。
――そうだ、その目だ。その目で見てほしかったんだ。
充足感を得ると同時に、俺は自分の頸椎が折れる音を聞いた。