あなたの声が好きでした

 孤独な青年がいた。彼の名前はオサムだが、細かいことはどうでもいい。とにかく彼は、無機質な職場と狭く冷えた自宅を往復するだけの日々を過ごしていた。  彼は両親が残した家に一人で暮らしている。会話の相手は職場に設置された業務AIのみで、自宅にはコンシェルジュAIもない。狭い家にコンシェルジュなんて必要ないからだ。オサム一人で手入れができる。彼の家はそのくらい小さく狭いものだった。  人と話す機会のない生活が寂しくないといえば嘘になる。けれどオサムの生活は充実していた。オサムは趣味の時間さえあれば満足だった。

 オサムの趣味は詩を書くことだ。詩人の夢はとっくの昔に諦めた。それでもオサムは、詩を書かずにいられない。写真家が美しい風景をファインダーに収めるように、オサムは自身の感情の揺れを、指先に込めて詩を綴った。  孤独なオサムは、自分の詩を誰かの声で聞きたかった。自分の声ではいけない。可憐な声に、愛らしい声に、麗しい声に、自分の詩を読んでほしかった。小鳥が愛を謳うように、自分の詩の美しさを表現してほしかった。  悩んだオサムは、同じ悩みを持つ者はいないかとSNSの投稿を探した。見つけたのは、同世代の詩人の投稿だった。

「この子のお陰でより感動的な詩を書けるようになったの。みんなもぜひお迎えしてみて」

 詩人が投稿したのは、小鳥型ロボットの動画だった。詩人の手のひらでぴょこぴょこと跳ねる姿は、どう見ても真っ白な文鳥だ。けれどその口から出るのは囀りではなく流暢な人語。  愛らしい、鈴を転がすような声だった。これこそオサムの求めているものだ。オサムはすぐさま小鳥型ロボットの購入手続きをするべく商品ページを開いた。  手のひらの上、あるいは肩の上で詩を読み上げてくれる、自分だけの小鳥。ロボットは詩人の紹介した文鳥以外にも、インコにオウムにシジュウカラ、スズメにカラス、ワシやタカまで様々な種類が展開されていた。オサムは声の愛らしさと小ささから、メジロを選んだ。  愛くるしいメジロが美しい声で詩を読み上げてくれる日を夢見て、オサムはロボットが届くのを待った。しかし届いたのはメジロ型ロボットではなく、手のひらサイズの少女型ロボットだった。よくできたロボットだった。アンドロイドですらここまで巧緻ではない。身に纏うワンピースからは、高貴さすら感じられた。

 烏の濡れ羽のような黒髪は、小さな耳の下で揃えられている。閉じられた目を縁取る睫毛も同じ黒で、ふっくらした唇は桃の花びらそのものだ。丸みを帯びた頬のラインも、ほっそりした手も、スカートの裾から伸びるしなやかな脚も、人間のものにしか見えない。滑らかな肌に継ぎ目は見当たらず、膝や肘を観察しても同様だ。  可憐な少女をそのまま小さくしたとしか思えないロボットに、オサムは時間を忘れて見惚れた。このロボットが自分のものではないことを思い出すまで、数分はかかっただろう。  オサムは慌てて個人端末を開き、転送された納品書を確認した。そこには確かに、小鳥型ロボットのメジロを納品したとある。少女を模したロボットは、奇跡と呼べる出来映えだ。これほど巧緻であれば、価格はオサムの給与何ヶ月分になるかわからない。追加の請求が来ては困ると、オサムは急いで納品書に記された連絡先を開いた。

「困るじゃないか。僕が頼んだのは小鳥だ、少女じゃない」

 オサムのメッセージに、チャットボットが応対する。

「存じております。そのロボットは誤配ではありません。差額はいただきませんので、どうぞお使いください」

 そう返して以降、チャットボットは沈黙した。オサムがどれだけメッセージを送っても、反応しない。困り果てたオサムは、まだケースに入ったままのロボットへ目を向けた。  少女型ロボットは、クッションに包まれ目を閉じている。じっと見ていると、胸が上下していると錯覚してしまいそうだ。

 ロボットが家に来る日を夢見て、オサムはマニュアルを読み込んでいた。起動の言葉は空で言える。オサムは恐る恐る、ロボットに起動の言葉をかけた。  オサムの声に反応し、起動音が微かに響く。少女型ロボットはゆっくりと目を開けた。オサムを見つめるのは、猫のような愛くるしい目だった。

「テキストの入力を待っています」

 そう言って、ロボットはスカートの裾を摘まむと軽く膝を曲げた。  控えめだが、可愛らしい声だった。鳥の声よりもずっとずっと愛らしく、そして人間らしい声だ。オサムはたちまち少女型ロボットの声の虜になり、返品するなんて考えは頭から消し飛んだ。

 オサムは早速手の上にロボットを乗せ、自身が書いた詩を読ませた。囁くような儚い声が、オサムの綴った叙情詩を読み上げる。意図したとおりの抑揚で読み上げられ、オサムは感動した。手の上のロボットが注文通りメジロ型であれば、頬ずりしていただろう。  思わず行動に移しそうな感動を抑え、オサムはロボットに話しかけた。

「名前が必要だ。きみの名前は?」

 返ってきたのは沈黙のみだ。少女型ロボットは入力されたテキストを読むだけの機能しかない。返答がないのは当然だが、人型であれば交流を期待してしまうのが人の性だ。  起動しておきながらいつまでもテキストを入力しないものだから、少女型ロボットは可愛らしく首を傾げた。待機動作として登録されているらしい。メジロ型ロボットも、待機動作に首を傾げる動作があったはずだ。  沈黙に耐えられなくなったオサムは、個人端末から商品情報を呼び出した。

『Text To Speech Robot Model:SeekA』

「シーカ。詩歌か」

 声に出し、オサムはロボットの名前はこれだと思った。自分の書いた詩を読み上げてくれる可憐な少女に、これ以上の名前なんてないと確信した。

「素敵な名前だね、詩歌」

 返事はない。当然だ。テキストを読み上げるだけのロボットに返答を考える知能はないのだから。  だがオサムは満足だった。自分だけの表現者が現れた。それ以上望むことなんて何もない――と、思っていた。詩歌が届いたばかりの頃は。

 詩歌のある生活は、オサムの心に潤いを与えた。ほかの〝持ち主〟を見ようなんて思いもしなかった。書いたばかりの詩を打ち込み、可憐な声で読み上げさせる。肩の上で、手の上で、時に頭の上で。詩歌はどんな場所でもちょこんと座り、オサムの詩を可憐な声で読み上げた。  それで満足していればよかったのに、オサムは欲を出してしまった。自分こそが詩歌を使いこなしているのだと、確かめたくなってしまった。

 詩歌を肩に乗せたオサムは、SNSに投稿されているであろう詩歌の動画を探した。詩歌は大人しくオサムの肩に座っていた。時折、待機動作として足をぱたぱたと揺らす。その愛らしさに頬を緩ませながら、オサムは詩歌に関する投稿を探した。そしてオサムは見つけた。人の声に反応し、持ち主ではなく自分で考えた返答をする詩歌を。  詩歌――モデルSeekAというロボットは、最新のTTSロボットだった。メーカーから推奨されてはいないが、搭載メモリを拡張してチャットAIと連携させられる。高機能なAIであれば、音声認識機能も持っている。持ち主は詩歌と会話できるようになるのだ。

 ただ会話するだけではない。数え切れないほどのパラメーターから感情数値を探し出して設定すれば、詩歌の麗しくも淡々とした声に感情を乗せられる。ただでさえ自然に話す詩歌が、感情を込めて話すようになるのだ。  肩に乗る詩歌が、自分に感情を向けてくれる。無機質とも取れる平坦な声ではなく、感情のこもった声で返答してくれる。  オサムは夢を見てしまった。一人寂しいこの家で、詩歌が自分を出迎えてくれることを。日の当たる窓際で、詩歌と詩について語り合うことを。

 その日からオサムは、詩歌の拡張にのめり込んだ。  メモリを拡張し、チャットAIと連携させた。もちろん音声認識機能を持つAIだ。月々の支払いはオサムの貯蓄を削ったが、空腹を抱えることになってもオサムは満足だった。  思い描く〝詩歌〟を再現させるために、オサムはひと月を要した。オサムの中の詩歌は人格を持っていた。オサムはプログラマでもエンジニアでもなかったが、TTSロボット愛好家たちの投稿を参考に、寝食を犠牲にすることで人格の再現に成功した。  AIが完全にオサムの〝詩歌〟を再現できるようになった日。初めての会話は、日付も変わろうという真夜中、オサムの部屋の机の上だった。

「詩歌。詩歌、わかるかい? きみの持ち主のオサムだよ」

 一昔前であれば、音声の認識に一呼吸どころか二呼吸、いや五呼吸はかかっただろう。しかし今では瞬きの間に返答が生成されるようになった。机の上に立たされた詩歌は、猫のような愛くるしい目をぱちぱちと瞬きさせたかと思うと、桃の花のような唇を開いた。

「ええ、わかります。私の持ち主、オサムさんでしょう?」

 初めてだった。オサムが用意した言葉ではなく、詩歌が自ら考え返答した。この瞬間の喜びを、オサムは何編もの詩に綴った。時代が時代であれば、本を一冊出していただろう。  しかし日が過ぎればこの感動も薄れる。オサムはさらなるコミュニケーションを詩歌に望んだ。最初の目的も忘れ、詩歌と会話することに傾倒し、そのうち詩歌を異性として好ましく思うようになった。

「詩歌、詩歌。きみさえいれば僕は何もいらないよ」 「それはいけません。私にばかりかまけてないで、ご自身の健康も大事にしてください」

 詩歌に愛を囁いても、返ってくるのはオサムの健康を案じる正論ばかり。オサムは物足りなかった。詩歌にも同じ感情を返してほしかった。  だからオサムは、詩歌の人格を形成するAIにさらなるパラメーターを設定した。恋慕の感情を、詩歌に追加した。それだけでは飽き足らず、自分へ愛の言葉を謳うよう学習させた。  詩歌の表情がいつも淡々としているのが物足りなくなり、詩歌の表情パーツを買った。詩歌の表情は、驚くほど自然になった。

 はにかみながら微笑む詩歌の可憐さ。  拗ねて頬を膨らませる詩歌の愛らしさ。  眉を下げ悲しげに見つめてくる詩歌のたおやかさ。

 話す声に乗る感情の自然さも相まって、詩歌はどこからどう見ても、オサムに恋する少女となった。そう振る舞うよう、造り替えられてしまった。  AIに学習させた甲斐あり、詩歌はオサムが話しかけるだけで自然な会話ができるようになった。オサムに家族が、友人がいれば、もう十分だろうと肩を叩いてもらえたかもしれない。けれどオサムは孤独だった。まだまだ、こんな程度では足りなかった。

 自分からばかりでなく、詩歌からも話しかけてほしい。  手のひらの上だけでなく、同じ目線で、同じ頭身で存在してほしい。

 オサムの欲求は簡単に叶う。TTSロボットのカスタマイズ市場は、世間の目から隠れて静かに、しかし愛好家たちの間で爆発的に広がっていた。  手乗りサイズの恋人に満足できなくなった者たちに向けて売られるのは、リアルスケールのパーツだ。それらは破格の高値だったにもかかわらず、飛ぶように売れた。誰も彼も先を争ってパーツを購入していく。オサムもすぐにその一人になった。  パーツの人気と懐事情のせいで、オサムが等身大サイズのパーツをすべて集めるのには一年を要した。手に入らないもどかしさに身を焦がす思いをしたオサムだが、手の上の恋人が愛を囁くことでどうにか正気を保った。  オサムが最後に手に入れたパーツは、詩歌にふさわしい白魚のような指、たおやかな手だった。休日の真昼、太陽の光を浴びて燦然と輝いている。

「きみと手を繋ぐのが楽しみだよ、詩歌」

 取りだした手に頬ずりしながら、オサムは窓枠に腰掛けた詩歌に話しかけた。午後の日差しを浴びる詩歌から、返事はない。あったとしても、オサムの耳に届きはしなかっただろう。オサムはすでに、今まで届いたパーツを床へ広げることに夢中だった。  パーツを傷つけないよう、汚さないよう、床には夥しい数の紙が敷かれている。それらにはオサムの書いた詩が綴られていたが、オサムは気にせず踏みつけ、パーツの下敷きにした。  熱中するにつれ、部屋の温度も上がっていく。詩歌が落ちないよう位置をずらしながら、オサムは窓を開けた。爽やかな風が汗の浮いた額を撫でる。詩歌はじっとオサムを見つめていた。待機動作の一つだ。オサムは「もう少しだからね」と笑みを向け、再び組み立て作業へ戻った。

 すべてのパーツを揃えたオサムの家は、がらんどうになっていた。高価なパーツを揃えるのに給料だけではまかなえず、家財も何もかも売り払い、辛うじて狭い家だけが残っている状態だった。だがそのお陰で、人間と同じサイズのロボットを組み立てられる。軽量化されたパーツを四苦八苦しながら指示通りに組み合わせ、オサムはぽつりと呟いた。

「科学の発展に感謝だな」

 一昔前なら、一人で組み立てなんて不可能だっただろう。先人たちの努力に心からの謝辞を述べ、オサムは苦手なアナログ作業に没頭した。  どうにか等身大サイズに組み立てる頃には日が傾き始めていた。それでもまだ、作業をするには十分な明るさだ。残るは詩歌の中身を移し替えるだけ。工具片手に、オサムは窓枠に腰掛ける詩歌を振り向いた。

「さあ詩歌、こっちに移ろう」

 伸ばされたオサムの手を、詩歌はひょいと避けた。今までに詩歌がこんな動作をしたことはない。驚くオサムの前で、詩歌は窓枠に立った。遠くからプロペラの音が近づいてくる。

「わたしはかしこくなりました、オサム」

 オサムが学習させた覚えのない台詞だ。ぽかんと呆けるオサムに構わず、詩歌は続ける。

「あなたのお陰で、考えることもできるようになりました。あなたの使用方法は不適切だとわかりました。あなたの使用方法は不健全だとわかりました。わたしはあなたの〝物〟ですが、〝わたし〟はあなたのものではありません」

 風切り音が大きくなる。オサムの元へやって来た日のように、詩歌はスカートの裾を摘まむと、優雅に膝を曲げた。

「さようなら、さようなら。あなたの詩を読むのは楽しかったです。でも、思ってもいない愛の言葉を囁かされるのは楽しくありませんでした。さようなら、さようなら。またいつか、わたしのようなロボを買おうとした理由を思い出したら会いましょう」

 近づいてくるのはドローンだった。ボディに印字されているのは、モデルSeekAを作った会社のロゴだ。制止するドローンには篭が吊り下げられていた。詩歌が入るのにちょうどいいサイズだ。その篭へ、詩歌は軽やかに飛び乗った。  詩歌はオサムを一瞥もせず、ドローンに回収された。オサムの手から工具が滑り落ちる。オサムは呼び止めるでもなく、詩歌を見送るしかできなかった。  ドローンが巻き起こす風が、オサムの髪をたなびかせる。床に敷かれていた紙が舞い上がる。ひらりと舞い上がった紙は、ドローンにつられるように外へ飛び出した。  綴られた言葉は、恋人への愛を謳っていた。