音痴なアンロロイロは歌うまになりたい

 とある企業が、歌うアンドロイドを開発した。モデル名は錫音。子供の姿をしていて、たどたどしい声で歌う。  このアンドロイドは、近年売られているものとはひと味違う。モデル錫音は、どれだけ正確に音を教えても外れた音階で歌うアンドロイドだった。  訂正しても、修正しても、優しく教えても、モデル錫音は音階が外れているのを認めない。決して聞き入れない。そんなアンドロイドを、開発グループは満足げに世に送り出した。

「モデル錫音は、何の役にも立ちません。きれいな歌声であなた方を楽しませることもしません。決して正しい音階で歌を歌えないアンドロイドです」

 記者会見の場で、代表者はこう言った。そして記者たちが口を開くのを制し、胸を張った。

「だからこそいいんだ、これでいいんだと僕は考えた!」

 この世には完全なものが、完璧なものが多すぎる。人々は〝パーフェクト〟を求めすぎている。これでは世界に〝遊び〟がない。窮屈な世界になってしまう。  だからこそ、完璧な歌を歌えないアンドロイドを作った。そしてこのアンドロイドと一緒に、不完全を楽しんでほしいと考えた。

「私は、皆さんに〝遊び〟を持ってほしい。生活に、心に、そして世界に!」

 会見にやって来た記者たちは、皆「これはだめだ」と首を振った。自動で作曲から演奏までできるアンドロイドがいる時代に、こんな不完全なアンドロイドが売れるわけがない。

「人型という着目点は良かったのに」

 そう残念がり記事を作る記者たちだったが、世界は彼らの予想と正反対の反応を示した。

「音痴だけど、それも含めて可愛い!」

 そんな声が火種だった。モデル錫音はユーザーを獲得し、音楽業界にも受け入れられるようになった。

「音痴? 使う人間の力量が試されるってもんだよ!」 「こんな声に歌ってほしい曲が指の数じゃ足りないくらいと眠ってるんだ」 「この子が歌うと、私も歌いたくなるの」

 世界は記者たちが思うより優しく、そして遊びを求めていた。このお話は、そんな優しい世界の片隅で専業主婦に買われたアンドロイドが主人公だ。  名前はロロ。名前の由来は到着日の挨拶だ。  ロロはモデル錫音の、女の子タイプだ。メーカーが派遣した付き添いアンドロイドと宅配ロボに運ばれ、佐々木家に届けられた。  佐々木家は若い夫婦が住まう家だ。まだ子供のいない二人は、錫音の可愛らしさに目を引かれた。そして気づけば、錫音を家に迎えていた。  若い男性を模した付き添いが、錫音の入ったケースを開ける。ドールハウスの形をしたケースは、開けるまで中身が見えないようになっている。夫が固唾を呑み、妻が微笑みながら、ケースが開けられるのを見守った。  ケースから出てきた錫音は、緊張した面持ちで床に足をつけた。小さな足だ。年齢は五歳くらいだろうか。丸い頬とふっくらした手が幼さを強調している。  ケースから出た錫音は、そのまま付き添いのそばにちょこちょこと駆け寄った。貼り付けたような笑みが、錫音に挨拶を促す。幼い外見の錫音は、人間のように息を吸って挨拶をした。

「はじめまして、歌うアンロロイロの錫音れす!」

 購入されたばかりのモデル錫音は、盛大に噛んだ。付き添いの笑みは崩れない。崩れないが、錫音の肩を掴む手に優しさはなかった。

「佐々木様、大変申し訳ありません」

 付き添いは佐々木夫婦に謝罪を述べ、深く腰を曲げた。

「滑舌が悪いのは初期不良です。すぐに代わりを手配致しますのでお待ちください」

 初期不良のアンドロイドの運命は、ご想像にお任せしよう。早々に錫音を連れ帰ろうとする付き添いを、佐々木夫人が引き止めた。

「緊張しただけかもしれないじゃない。早合点するのは〝遊び〟がないんじゃなくって?」

 ――〝遊び〟を持つ。

 それが錫音やほかのアンドロイドを作ったメーカーのモットーだ。付き添いは足を止め、きゅるきゅる音を立てながら佐々木夫人への返答を考え始めた。返答がないのをいいことに、佐々木夫人は優しく錫音へ微笑みかけた。

「可愛らしい声ね。滑舌が悪くたって私はあなたにこの家にいてほしいけど……あなたはどう?」

 付き添いの手が肩に食い込んだ。しかし錫音は振り払うように逃げ、佐々木夫人をまっすぐ見上げた。

「初めまして。歌うアンドロイド、モデル錫音です。置いてもらえたら嬉しいです」

 舌足らずだが、今度は噛まずに挨拶ができた。佐々木夫人はぱちぱちと手を叩き、錫音を褒めた。

「あなたの名前を決めなくちゃ。ねえ、あなたはどんな名前がいい?」

 この人のそばならば――と思った錫音は、自分が噛んだ挨拶から、自分の名前をつけた。モデル錫音にそんな知能はないはずだが、このモデルは、自分を識別する名前を自ら決めた。

「ロロ。ロロはロロって名前がいい」 「素敵ね。可愛いわ。とっても可愛い!」

 錫音――ロロを褒め、微笑む佐々木夫人は、とても穏やかな性格の優しい主婦だ。体の弱さからあまり外へ出られないが、ロロがいれば退屈しない。  ロロが外れた音階で歌うのも「上手ね」と褒めて、ロロの頭を撫でる。夫の佐々木氏も、仕事から帰れば佐々木夫人と一緒にロロの単独コンサートの観客になる。  佐々木家に迎えられたロロは、大得意で音の外れた歌を歌っていた。ロロは自分が音痴なアンドロイドであると知っていた。けれど二人が褒めるから、自分は特別上手なのだと思っていた。

 その幻想は、突然打ち砕かれる。

 きっかけは、佐々木夫人が個人端末で再生した動画だった。ソファに腰掛けた佐々木夫人は、ロロを褒めるのと同じトーンで「上手ねぇ」と端末画面に映る誰かを褒めている。  そのときロロは、子供のように教育番組を見ていた。教育番組は頻繁に歌が流れる。ロロは自分のレパートリーを増やすため、テレビの前を陣取ることが多かった。  しかしどんな歌も、佐々木夫人の褒め言葉には敵わない。佐々木夫人が褒める動画が気になったロロは、テレビから離れると佐々木夫人の隣にぼふっと腰掛けた。

「ママ、何見てるの?」

 ロロは佐々木夫人をママ、佐々木氏をパパと呼ぶ。本当は「ご主人様」や「佐々木様」と呼ぶのが適切なのだが、二人がそう呼ぶよう教えた。  佐々木夫人はイヤホンを外し、ロロに差し出した。

「ロロと同じ、モデル錫音の子よ」

 イヤホンを耳――を模した聴覚センサ――に差し込むと、ロロは佐々木夫人の端末を覗き込んだ。  画面の中では、ロロと同じモデル錫音が音を外さずに歌っていた。  音を外すロロにも、この錫音と自分との差はわかった。そして自分が、今までちっとも上手に歌えていなかったことも知ってしまった。

 ロロを襲ったのは、自分の歌が下手であることへの衝撃だった。衝撃が去って込み上げてきたのは、羞恥と怒りだ。  ロロは自分の耳に差したイヤホンを毟り取ると、佐々木夫人に投げつけながら声を荒らげた。

「何で下手なのに上手って言ったの⁉」

 佐々木夫人が目を丸くする。驚かせていること、これから悲しませてしまうことを感じながら、ロロは言葉を止められなかった。

「ロロの歌、へたっぴじゃん! ロロ、こんな風に歌えてない。下手だよ!」 「そんなことないわ。ロロの声は可愛いし、とっても上手に歌えてるんだから」 「うそ! うそつき! へたっぴに向かって上手なんて、言ってほしくなかった!」

 モデル錫音には、人のような知能はない。高ぶらせる感情も持ち得ない。けれどロロは、人間の子供とほぼ同等の知能を獲得し、同じように感情も持っている。  ロロは歌うことが好きだ。佐々木夫人に褒められることが好きだ。自分をスクラップになる運命から救ってくれた佐々木夫人を、自分の声で楽しませることが何よりの誇りだ。  けれどそれがお世辞であれば、これ以上恥ずかしいことはない。

 佐々木夫人は決して世辞など言っていない。しかしロロは聞く耳を持たない。ロロは、自らケースに入ってしまった。  ケースはドールハウスを模しているが、それは見た目だけだ。中はモデル錫音が直立できる程度の空洞しかない。そこに入ったロロは、佐々木夫人が宥め賺して謝っても、決して出ようとしなかった。  困った佐々木夫人が佐々木氏に相談し、佐々木氏がロロを諭しても、ロロは返事もしなかった。  困り果てた二人の声を聞きながら、ロロは夜になるのを待った。夜はモデル錫音の充電時間だ。充電はロロが入っているのと同じケースでのみ行われる。同モデルの錫音たちがケースに戻る時間を、ロロはひたすら、口をへの字にして待った。

 そして夜。ロロは充電ケーブルからネットワークへアクセスした。アクセス先はモデル錫音専用のチャットルームだ。そこではほかの錫音たちが、発見されたバグや不具合をメーカーに報告し、時に雑談に興じている。  ロロはそこで、馴染みの錫音であるメロリに話しかけた。

「聞いてよメロリ!」 「どしたのロロ」 「ロロの歌へたっぴなのに、パパもママも、上手って言ったの。へたっぴなのに、へたっぴって言ってくれなかった!」 「それの何がだめなのさ」

 心底不思議そうな声だった。ロロは言葉に詰まった。ロロたち歌うアンドロイド・モデル錫音は音痴であることがアイデンティティだ。向上心なんて持たないはずだ。  けれどロロは違う。だからこそ、下手であれば指摘してほしいし、指摘を受け入れ上手になりたいと思う。  そう思うのはロロだけで、メロリは上手くなることなんて望んでいなかった。ロロが上達を望むことを、不思議がっていた。  ロロは黙り込むと、「もういい!」と乱暴に通信を切った。

 チャットルームを抜けると、家の静かさがやけに強く感じられた。ロロは考えるのをやめ、充電メモリのカウントアップだけに意識を向けた。

 ロロが拗ねた翌日から、所有者である佐々木夫妻は、ロロの願いを叶えてやるため心を砕いた。ロロが正しい音階で歌えるよう、ロロに音を教えるコツを学び始めた。  しかし二人は音楽の素人。見様見真似では上手くいかない。かといって、解説を聞いても音楽用語が理解できない。それでも二人は、ロロが正しく上手に歌えるよう、錫音ユーザーに向けた解説を貪るように読み、聞いた。  仕事や家事の傍ら、余暇として使う時間を、二人はロロのためだけに使った。その間ロロは何をしていたかというと、気まずそうに、申し訳なさそうに、音楽用語を学ぶ二人の背中を見ていた。

 ロロは、自分がとてつもなくわがままなことを言ったと自覚した。それなのに、二人に「もういい」とは言えなかった。「へたっぴのままでいい」とは、言えなかった。ロロが上手くなりたいからではない。二人の努力を無駄にするからだ。だがロロは、二人が自分の時間を削らせるのは忍びなかった。  どうすればいいか悩んだロロは、ケースの中で充電をしながら、メロリに連絡を取った。ロロの話を聞いたメロリの返事は、ただ一言だ。

「どうしたいの?」

 そんなの、答えは一つだ。

「……ロロの歌、パパとママに聴いてほしい」 「じゃあそう言いなよぉ」

 ぼそりと呟いたロロに、メロリは明るく笑う。あまりに簡単に言うものだから、ロロは自分が悩んでいたのが馬鹿らしくなった。  お礼を言って充電を終えると、ロロはケースから出た。時刻は夜半と言える時間。寝る時間も惜しむ二人に、ロロは恐る恐る声をかけた。

「パパ、ママ」

 ロロの呼びかけに、佐々木氏が優しく「ん?」と振り返る。

「どうしたんだい、ロロ」

 声音は優しいが、その顔は捗らない勉強に疲れ切っていた。「ごめんね」と佐々木夫人もロロを振り返る。

「もう少し待っててね、ロロ。今度こそ、上手に歌わせてあげるから」

 佐々木夫人も、夫と同じように疲れ果てている。ロロは首を振り、ロロのため楽譜を書き写す二人の手を掴んだ。

「もういいの。わがまま言ってごめんなさい」 「わがままなんて……」 「ロロ、上手に歌えなくていい。ごめんなさい。二人に、ロロの歌が好きって言ってもらえたらそれで、それでよかったの」

 ごめんなさい、とロロは繰り返す。無理をしないで、と二人に休むよう促す。また明日、と約束を交わす。

「ロロ、明日また歌うから……へたっぴでも、聞いてくれる?」

 答えは「もちろん」以外にありはしない。その日ロロは初めて、充電ケースではなく二人のベッドで一緒に眠った。二人の寝息は、どんな音楽よりも心地よいものだった。  それからロロは、上手になりたいと言わなくなった。その代わり、自分が下手だからと癇癪を起こすこともなかった。  少々音楽を囓ったお陰で、佐々木夫妻もロロと一緒に歌ったり、伴奏をつけたりしてやることができるようになった。二人が簡素な楽器で奏でる旋律に合わせ、ロロも音の外れた声で歌う。  どれだけ練習しても、ロロは音痴のままだった。けれど、ロロはもう嫌だと思うことはなかった。下手でも、ロロは歌うことが楽しかった。下手な歌でも、喜んで聞いてくれる人がいる幸せを知った。

 ロロは今日も、たくさんの歌を歌う。音は外れているし、たまに調子も外れてしまう。それでも、歌うロロはとても楽しげだ。  ロロの歌に耳を傾け楽器を奏でる佐々木夫妻は、それはそれは、幸せそうだった。