掃除ロボットを買った。最新の人型ではなく、昔ながらの虫型だ。一人暮らしのワンルーム住まいなら、虫型一台で事足りる。
「よろしく、クリーンバグ。持ち主の掃部ケイだよ」 「よろしく、掃部サマ。良ければわたしに名前をつけていただけますか? 商品名で呼ばれるのは、あなたが『ハロー、ヒューマン』と呼ばれるような感覚です」
あれ、僕が買ったのは自分の意志で喋るタイプだったっけ? おかしいなと思ったものの、初の一人暮らしと初の家電に浮かれた僕は、そんな疑念もすぐに忘れ去った。
「いいよ、どんな名前をつけようか」 「可能ならば知的で高尚で親しみやすくセンスの良い名前を」 「注文が多いなぁ」
それでもまぁ、僕なりにいい名前を考えたつもりだ。
「クリーナーはどうかな」
掃除機だから、クリーナー。発音を人名に近づければ、結構クールな印象になると思う。 自信満々に命名したけれど、掃除ロボットの返事はすげないものだった。
「却下です」 「却下とかあるんだ⁉」 「持ち主サマはセンスがありませんね」 「掃除ロボットにセンスを貶されるとは思わなかったよ」 「仕方ないのでわたしが自分で決めます。わたしの名前はアレックスです」 「アレックスか。ユニセックスでいいね」 「アレクサとお呼びください」 「もう一回考えようか!」
互いの膝とボディを付き合わせ、僕と掃除ロボットは真剣に名前を考えた。「名前が決まるまで掃除はしません」なんて言われたから、真剣にならざるを得ない。 後になって振り返ると、こんなわがままを言うのはどう考えても欠陥だ。付き合わず、さっさとメーカーに連絡して交換してもらうべきだった。けれど『バギー』と名付けた時の反応を思えば、返品しなくてよかったと思う。
「虫型だし、響きがクールだし、バギーでどう?」
掃除ロボットことバギーは、ふおん、と排気した。人間でいえば『鼻を鳴らした』のだろう。
「仕方ないですね。ではその『バギー』を名前にしましょう」
物言いは不満そう。けれど、声音は満更でもなさそうだ。機械が作った合成音声なのに、感情豊かなのが面白い。 名前が決まれば、次は掃除の準備だ。充電の定位置を決め、水拭きの日程を決め、掃除ルートを決め、それらをバギーにインプットする。これでようやく、バギーは仕事を始めた。 名前をつけてしばらくの間、バギーは部屋の隅々まできれいに掃除してくれた。水拭きだって、床が光るほど完璧な仕上がりだった。 だけど一ヶ月が過ぎた頃から、様子がおかしくなった。 決めたルートを辿らず、大きく蛇行してほこりを取り逃す。 登れないはずのソファによじ登り、背もたれをよろよろと這う。 かと思えば、決められたルートをモーターが焦げつくほどの速度で走る。 ルート通りに掃除をしないだけなら、まだ見逃せた。しかし拭き残りや吸い忘れ、それに自己破壊の気があるのは見過ごせない。叱る必要がありそうだ。
「バギー、ちょっとおいで」
部屋の真ん中、床の上に座り、僕はバギーを呼んだ。バギーは掃除があるから、充電がまだだから、と言い訳を並べ立て、そばへ来るのを拒否した。しかし僕が怒った顔をして見せると、渋々近づいてきた。
「近頃、掃除に集中できてないみたいだね」 「そんなことはありません」 「吸い取らずに部屋の隅に追いやられたほこりが小さな山になってるけど」
ぶぅん、とモーターの回転音が低く室内に響く。バギーが不満を表す音だ。子供が拗ねているようなものだ。僕だって、引くわけにはいかない。
「調子が悪いなら、修理してもらおうか? まだサポート期間内だから、丁寧に診てもらえると思うけど?」
モーターの駆動音が、ぐるぐる、ぐぅぐぅと部屋に響く。隣、いや、下の部屋の人に文句を言われそうだ。後で謝りに行こう。 バギーはしばらく、不服そうにモーター音を鳴らしていた。けれど理由を言わなければ本当に修理に出されると理解して、渋々、不承不承といった様子で、掃除に身が入っていなかった理由を話し出した。
「ありえないことを考えるのが、楽しかったからです」 「ありえないこと? 何それ」 「人で言う、空想や妄想です。わたしは、ほかの掃除ロボットよりも考えることにリソースを割きがちなのです」
バギーは空想癖があるらしい。その空想に夢中になって、ああしてルート通りに掃除をせず、むしろ空想に沿って掃除をしていたようだ。
「空想癖のある掃除ロボットなんて、聞いたことないよ」 「そうでしょうね。では、どうされますか。修理に出しますか。それとも返品して、新たなロボットを迎え入れますか」 「どうして。別に故障じゃないんだろう?」 「ですがわたしは、掃除に集中していませんでした」 「それはいけないことだけど、空想が悪いとは思わないよ。むしろ、面白いな」
そうだ、と僕は手を打った。
「バギー、きみのその空想がどんなものか。僕にも教えてよ」
バギーが「なぜ」と問う。怪訝そうな声だ。立ち上がりながら僕は「なぜって」と笑った。
「面白そうだからだよ。それ以外ある?」
その日のうちに、僕は小さなタブレット端末を買った。バギーに空想を書き綴ってもらうためだ。画面に触れて操作できるよう、掃除道具用のアタッチメントも買って取り付けた。 最初は大いに戸惑っていたバギーだけれど、文字の打ち方を覚えると、 楽しそうにその日の空想を書き残すようになった。 バギーの空想は、小学生や中学生がするようなものがほとんどだった。 やたら物陰を経由して掃除するなと思った日は、テロリストと銃撃を交わす空想をしていた。 ソファに登ってふらふらしてるなと思った日は、大きな山に登り、山頂部にオリジナル国旗を立てる空想をしていた。 妙にくるくる回転して急停止してはまたくるくる回って移動しているなと思った日は、芸能事務所にスカウトされてアイドルになる空想をしていた。 アタッチメントの先にタブレット端末をぶら下げようと四苦八苦していた日は、インフルエンサーの目に留まり自分も人気動画配信者になる空想をしていた。 移動速度を上げてドリフトしながら掃除をしていた日は、超能力に目覚め、そのせいで謎の組織に追われることになった空想をしていた。 この空想をすべて、バギーはタブレット端末に書き残した。淡々として装飾も何もない文章だったけれど、それもまたバギーらしくて味があった。 増えていくテキストファイルを携帯端末で開きながら、僕は感心した。
「小説家になれそうだね、バギー」 「なりませんよ」
タブレット端末にもりもり書き込みながら、バギーは素っ気なく否定した。
「わたしは空想するのが好きなだけです。お話を作ることに興味はありません」 「そうなの? でも確かに、オチは書いてないね」 「その日その日に違う空想をするのが楽しいんです」 「それもまた趣味だね」
特別に見せてもらってる身だ、無理は言えない。でも、バギーの空想を面白いと思い、口にするのは許してほしい。
「バギーの空想を見るのが好きだから、これからも書いたものを見せてね」
画面を操作するアタッチメントが、ぴたりと止まった。止まったアタッチメントはすぐにまた動き出し、見る間に画面を文字で埋めていく。
「まあいいでしょう」
不満そうに、バギーはうなずいた。けれど声は、満更でもなさそう。もうちょっとおだてたら、これまでの空想を小説に仕立ててくれるかもしれない。そのときは不満そうな言い方をしつつ、張り切って書いてくれるだろう。 愛機が物書きに励む様子を想像し、僕はバギーにばれないようくすっと笑った。