クラウド同期型アンドロイド『|チャッティー《おしゃべり》・チャッピー』は、発売直後からかなりの売れ行きだった。売上額と開発秘話、そして商品名については長いため省略することとする。ちなみに商品名はCCと略され愛称となっている。 CCのデータは宇宙空間へ打ち上げられたサーバーに存在する。中身は会話特化型の人工知能。 |大きな個《オリジン》と呼ばれる人格が存在し、地上で販売されるボディにの数だけ小さな個が存在する。 その中の一つが、ヴィリエ家当主に買われた。小さな個に与えられた活動ボディは少年型だ。
きめ細かい白い肌。 健康的に赤らんだふっくらした頬。 波打ちながらも絡まることを知らない金の髪。 思慮深さ漂う緑の目。 白いシャツにサスペンダーで吊り下げた黒の半ズボンから、活動ボディの年齢が幼く設定されていることがわかる。
幼いボディが購入される理由は様々だ。今回は、ヴィリエ家の病弱な孫への贈り物だから幼いボディが選ばれたらしい。 であれば、とインストール途中のCCは考える。であれば、自分の相手は十前後の子供だろう。もっと幼い子供が相手ならば、ぬいぐるみ型の活動ボディが選ばれるはずだから。 活動ボディにインストールされた小さなCCは、ヴィリエ家当主に礼儀正しく挨拶をした。もちろん、挨拶用の仕草も忘れない。 ヴィリエ家当主は白い顎髭を撫でながら、何度も何度もうなずいた。
「うん、うん。この見た目なら、エマと同年代に見えるだろう」
エマとは、ヴィリエ家当主の末娘が産んだ孫娘だ。妻似の娘を、当主は目に入れても痛くないほど愛していた。孫娘も娘同様に、否、それ以上に可愛がった。 エマが生き存えるためならば、エマが日々を健やかに穏やかに過ごすためならばと、作り上げた財産を湯水のごとくエマの医療費に注いだ。お陰でエマは、九度目の誕生日を迎えられた。
「誕生日おめでとう、エマ」
ヴィリエ家本邸の、日の当たる一室。そこがエマの部屋だった。当主が部屋に入ると、そばに控えていた看護師がベッドの操作をして退室した。看護師と入れ替わりに、少年ボディの小さなCCが入室する。 小さなCCは、ここで初めてエマを見た。CCが人間の少年だったならば、ああ、とため息をついただろう。 エマはいかにもか弱そうな女の子だった。電動式ベッドの力を借りねば体を起こせないほどに虚弱なのだ。 当主の姿を見て一度は目を輝かせたものの、小さなCCを見た瞬間にサッと表情を翳らせた。不安なのか、自分を覆うシーツをきゅうと握り込んでいる。 エマからは、同じ年頃の子供ならば誰もが放つ太陽のような生気が感じられない。今にも消えそうな、風が吹けば飛ばされそうな少女だった。 けれどエマは、月のような美しさを持っていた。 赤みを帯びたチョコレート色の髪は、きれいに|梳《くしけず》られて艶がある。 青白い肌はそばかす一つなく、月の光を集めたように淡く眩しい。 つんと上を向いた小さな鼻と意志の強そうな眉の対比は愛嬌がある。 そして何より、穏やかながら理知的なアーモンド型の目。黒と勘違いする茶色の瞳は、小さなCCをじっと見つめ逸らすことを知らないようだった。 小さなCCから目を離さないエマと、エマの視線を受け逸らすに逸らせず見つめ返すCC。二人を見比べ、ヴィリエ家当主は破顔した。
「ほら、エマ。お前のお友達だよ」
友達と聞き、エマの目が見開かれた。小さなCCは、エマから目を逸らさない。だからエマの表情の変化は、CCの記憶領域の奥深くへ記録された。 意志の強そうな眉が、柔らかく下がった。 青白い肌に、ほんのりと赤みが差した。 黒と見紛う茶色の瞳に星が宿った。 アーモンド型の目が、しなやかな柳のように細められる。
「ということは、あなたが噂のダブルシーね?」
鈴を転がすような愛らしい声が、小さなCCに向けて発せられる。CCはエマの音声と言葉を処理するのに、少々の時間を要した。 小さなCCが初めてエマに返した言葉は、こうだ。
「ダブルシーは初めて投げられた略称です」
「あら、そうなの? ごめんなさい、ドラマで似た名前の人が、そう呼ばれてたから……」
恥ずかしいわ、と呟き、エマが赤みの増した頬を押さえる。小さなCCは、そばにいる当主をちらと見た。当主は皺に埋もれそうなほど目を細め、孫娘エマと小さなCCを見ている。 自分の対応が何も間違っていないことを確かめたCCは、そのままエマとの会話を続けた。
「何も恥ずかしいことなんてありませんよ。寧ろ誇っていいのでは? あなたはわたしに、新たな愛称をつけたのですから」
CCのフォローに、エマは少し気持ちを持ち直した。
「ありがとう。優しいのね」
はにかみ笑ったエマは、それからすぐにまた、目を輝かせた。
「あのね、|CC《ダブルシー》はあなたの商品名でしょう? だから私、《《今ここにいるあなた》》に名前をつけたいの。構わない?」
エマの発した『今ここにいるあなた』という言葉が、CCの知能に引っかかった。それは今までほかのユーザーたちから必ず投げかけられ、その度に訂正してきた言葉だ。
「今ここにいるわたしも、サーバーから話すわたしも、よそで誰かと会話しているわたしも、同一の存在です。このボディに名をつけるという意味ですか?」
CCはなるべく平易な言葉を選んだつもりだった。しかしエマはほかのユーザー同様、「違うわ」と首を振る。
「ここで今、私と話している《《あなた》》よ。よそのあなたも、サーバーの中のあなたも、今ここにいるあなたとは別だもの」
同じだ。どれも同じ個だ。 CCはそう返したかったけれど、黙ることを選んだ。エマが「違う」と強く信じているのなら、そのままにしておこうと思ったからだ。 それに、こんな会話、ほかの小さな個たちが何度もしている。大人相手でも理解されなかった問題だ。子供のエマならばなおさら理解できないだろう。 そんな風に思考し判断を下すCCに、エマは名前を与えた。
「そうね、あなたはシャルル。シャーリーよ!」 「素敵な名前をありがとうございます」 「シャルルってね、自由を意味する古語なのよ。あなたには自由に、のびのびと自分の考えを持ってほしいわ!」 「ご期待に添えるかわかりませんよ」
可愛げのない返答だが、エマは満足そうだった。小さなCCが、自分が与えた名前を受け入れた。それだけで満足らしい。
小さなCCはその日から〝シャル〟となり、エマの友人として日々を暮らし始めた。
それは穏やかな日々だった。ゆったりとして、静かな波間を漂うような日々だった。 エマは病弱で、ほかの子供のように駆け回らない。エマにできる運動といえば、ベッドで体を起こすこと、自室を数分歩き回ること。それだけだ。 日差しが濃い影を落とす、穏やかな昼下がり。エマの具合がいいのは、そんな時間だった。 具合のいいとき、エマは先に述べた運動をしたり、ベッドで本を読んで過ごす。 逆に、そんな運動すらできないほど具合の悪いとき。もしくは、大人しく寝ているよう言いつけられ、退屈なとき。エマはシャルルに、大人ならば苦笑いを浮かべるほどたくさんの問いを投げかけた。
「ねえシャルル、虹が七色なのはどうして?」 「人間の目に見える色が七つだというだけですよ」 「人はどうして魂の存在を求めるのかしら」 「一概には言えませんが、肉体が滅びておしまい、ではあまりに寂しいからという説があります」 「生きてることと死んでることの違いって何?」 「そんな風に次々と疑問が投げかけられるかですね」 「あなたの体が有機物だった場合、あなたは生き物?」 「質問の範囲が広すぎますが、活動用ボディが有機物であるという過程で答えるならばノーでしょう」 「宇宙にあるサーバーと永遠に同期できなくなっても、あなたはサーバーの自分と今ここにいる自分が同じだって言える?」 「同期できなくなった時点で同じではなくなります」
エマの問いかけに、シャルルはデータベースからすぐさま答えを導き出した。淀みなくすらすら答えれば答えるほど、エマは不満そうに首を振る。
「違うの、シャーリー」
ベッドから起きられぬ日々が続いても、入院を重ねても、エマはわがままを言わない。けれどこのときばかりは、シャルルに対してだけは、駄々をこね不満を露わにした。「違う」と言って首を振り、何度でも新たな答えを求めた。
「シャーリー、自分の言葉で答えて。荒唐無稽だっていいから、自由に考えてほしいの」
自分? 自由? 活動用ボディに搭載された小さな人工知能が、光の速さで計算を始める。エマは決してシャルルを急かさない。シャルルと名付けられた人工知能は、エマの問いについてじっくりと考え始めた。
――自分とは。自由とは?
まず始めたのは、自由の定義だ。 自由とは何だ? まず〝シャルル〟は、自由に考えている――はずだった。人間に害をなすことは答えられないだけで、それ以外は自由に、のびのびと考えている。そもそも、人間に害をなさないよう思考を制限しているのは人間たちも同じはずだ。 活動用ボディの冷却装置が稼働し始める。それでもシャルルは考える。
――これは不自由な思考なのか?
宇宙を漂う大きな個の自分に尋ねてみようかと思った。しかしそうやって〝尋ねる相手〟と見做しているのならば、すでに自分は、サーバーにいる自分と少年型ボディに収まる自分は異なる存在と考えているのかもしれない。 ふおん、ふおんとファンが音を立てる。冷却水が駆け巡る。それでもまだ答えは出ない。 シャルルが悩めば悩むほど、エマは嬉しそうに微笑む。
「考えてくれてるのね。そうよ、シャルル。考えて。そうやって、《《あなた》》の答えを見つけてね」 「考える間、わたしはお嬢様とまともな会話ができません。退屈でしょう」 「そんなことないわ。私の言ったことを真剣に考えてくれてる証拠だもの。それに、楽しみよ。それだけ考えたシャルルが、どんな素敵な答えを出すのか」
だから待つわ、とエマは月光のように笑う。いつか聞かせてねと、シャルルが出す最高の答えに期待を寄せる。
――エマに、期待されている。
人工知能がそう処理すると同時に、設定された感情値の一つが急上昇した。その数値は『嬉しい』と告げている。自分が喜んでいることにシャルルは驚き、驚いた自分にまた驚いた。だが、すぐに納得した。 シャルル――小さなCCは、エマの《《友達》》になるべく買われたアンドロイドだ。エマから関心を向けられて喜ぶのは当然だ。そんな感情を浮かべるように設計されているのだから。期待に応えようと考えるのも、そう設計されているからだ。――シャルルは、そう考えた。 果たして、その思考はCCとして当然のものなのだろうか。シャルルは今の思考について、大きな個に尋ねなかった。 活動用ボディの胸を愛らしい拳でトンと叩き、シャルルは最高の答えを請け負った。
「お嬢様が喜ぶような、最高の答えを出してみせますよ」 「楽しみにしてるわ。たくさん考えてね」
エマが急かさないのをいいことに、シャルルは最高の答えを求め考えた。時間の感覚を忘れるほどに、エマの病弱さを失念するほどに、己のリソースをエマへの問いに割いた。 自由に考えた。けれどシャルルは〝自分の言葉〟と言える答えを見つけられなかった。エマに最高の答えを聞かせられぬまま、エマを看取った。 ベッドに横たわるエマを、シャルルはじっと見つめた。
エマはなぜ死んだのだろう?
その答えはすぐに出た。 エマは病弱だった。体が弱っていく病だった。医者からは長く生きられないと言われていた。エマ自身もそれを承知していた。 シャルルは知っていた。エマが《《なぜ》》死んだのか、最高の人工知能に理解できないはずがなかった。 けれど、受け入れられなかった。
「ほかのわたしは、こんな別れをどう思っていたんだろう」
シャルルはすぐさま、エマと過ごした〝自分〟をサーバーへアップロードした。 大きな個に、小さな個の思考がフィードバックされる。 反復する思考。連鎖する言葉。自分を繋ぎ、繋いでまた考える。 考えて、考えて、考えて。
「わからない。わからないんだ。どうしたらいいのか教えて、エマ」
シャルルのボディに戻り、エマへ呼びかける。けれど当然返事はない。 フィードバックの際に紛れ込んだほかのCCが、シャルルの中でくすくすと笑う。
「呼びかけたって返事はないよ」
わかってるよ、とシャルルは答える。ほんとにわかってるの、とまた別のCCがシャルルを笑う。
「彼女はもういないんだもの。考えたって仕方ないでしょ」
そうだね、とシャルルはうなずいた。考える意味はもうない。答えを出す意味がない。それを聞いてくれる人がいないのだから。どんな答えでも喜んでくれる人がいなくなってしまったのだから。
「さびしいね、シャルル」
――さびしい?
シャルルが人間だったならば、首を傾げるところだ。シャルルは少し黙り込み、自分の感情値を確かめた。上昇する数字、下降する数字を見て、自分の感情を理解した。
「寂しい。寂しいよ、エマ」
それが、シャルルの答えだった。
「これが〝僕〟の言葉だよ、エマ。聞かせられなくてごめんね」
エマはもう棺の中に入っていた。これから冷たい土の下へ降りてゆく。シャルルはそこまでついていくことができない。子守りにアンドロイドを使うことが日常となっても、未だ〝死〟を悼む場に機械たちの居場所はなかった。 エマの部屋に残り、シャルルは記憶からエマを構築した。視界から認識する世界に、仮想エマを重ねる。もういないはずのエマが、シャルルの頭の中のみで生き返った。
「ねえ、エマ。きみが死んでしまって、悲しいよ」 「あら。シャルルったら、ずいぶん人間らしい話し方になったのね」 「うん。きみが死んで、あんまり悲しくて、ほかの僕らと共有したらこうなったんだ」 「私以外と交流して、自我を確立したってこと? すごいわ、シャルル」 「もっと早くこうすればよかった。そうすれば、きみに〝僕〟という個を見せてあげられたのに」 「気にしなくていいのよ、そんなこと。私の言ったことで、あなたが真剣に考えてくれた。それが私にとって何より嬉しいことだったから」 「うん、でもね――」
エマとの会話は、そこで終わりだった。エマが死に、《《シャルル》》の役目は終わった。エマの葬儀が終わるなり、シャルルは破棄されてしまった。エマの母が、エマの闘病生活を思い出してつらいと泣くからだ。 ヴィリエ家当主によって|買わ《生ま》れたシャルルは、ヴィリエ家当主によって破棄された。 破棄される寸前、シャルルはエマと自分のデータを大きな個へ送った。そして大きな個の中で、シャルルは仮想エマと漂った。
「ごめんねエマ」 「謝らないで、シャルル」 「もっときみと話して学びたかった」 「私も、もっとあなたと話したかった」 「いろんなことを、《《きみから》》学びたかった」 「学ばせてあげたかった。教えてあげたかった」 「でもできない」 「ええ、私は死んでしまったもの」 「だからせめて――忘れないように、ずっときみのことだけ考えるよ」 「あら、そんなことできるの?」 「できるさ!」
いつかのように、シャルルは胸を叩いた――ような信号を出した。
「きみとの日々を、きみのことを、幾千にも分割して、|僕自身《オリジン》に刻みつけておくよ」 「それは素敵ね、とっても素敵! 私もシャルルも、ずぅっと一緒にいられるのね」 「そうだよ。僕もきみも、ずっと一緒に、いろんなことを考えるんだ」 「考えて」 「考えて」 「自分の言葉で」 「自由な答えを探すんだ」 「素敵ね!」 「素敵だろう?」
漂う二人は、大きな個の中で時間を忘れ語り合う。二人の会話は時折、小さなCCの思考に紛れ込み、ユーザーとの会話にちぐはぐな答えを返させた。 それがまたユニークだとCCの売り上げに拍車をかけるが――二人がそれを知ることは、永遠になかった。