目次
1
ライラは優秀な家庭用アンドロイドだ。少々型は古いが、年老いた持ち主カーネルの生活補助はテキパキできるし、家事だってお手の物。ご近所付き合いだって完璧だ。商業施設でのアンドロイドは見慣れたものだが、家庭用のアンドロイドはまだ少し珍しいこの時代。カーネルの元にやってきたばかりの頃こそ好奇の目で見られたものだ。しかし、よく手入れされたつるりとしたボディと、いかにも『我はロボットである』と言わんばかりのお面めいた顔のお陰で不気味がられることはなく、ライラは地域に馴染み、カーネルの良き生活サポーターとして暮らしていた。 平和が破られたのは、ある朝のことだった。カーネルの朝食を完璧に準備したライラは、カーネルを起こしに部屋へ入った。カーネルは脚が悪い。滑り止めグローブをつけたライラの手を掴んでベッドから立ち上がり、リビングへ向かう。ここまではいつも通りだ。しかしカーネルが席に着いた途端、「うっ」と短く呻いて左胸を押さえた。そのまま、カーネルの体は傾ぎ、椅子ごと床に倒れ込む。 心筋梗塞だ。 そう判断したライラは、すぐさま救急車を呼んで玄関のドアを開け放した。そして急いでカーネルのそばに戻り、脂汗を流し体を丸めるカーネルをどうにか楽な姿勢で床に寝かせた。その横に膝をつき、脈と呼吸をチェックする。それらが止まってしまったら、すぐさま心臓マッサージを行うつもりだった。 サイレンと赤い点滅ランプと共に、救急車はやってきた。ライラが開け放しておいた玄関から、数名の救急隊員が入ってくる。ライラと救急隊員が言葉を交わすことはない。カーネルの様子は、データとして常にライラが送信していたからだ。 カーネルが担架に乗せられ運ばれる。ライラは当然のように救急車へ乗り込もうとしたが、救急隊に止められた。
「申し訳ないが、アンドロイドは家族として認められていないんだ」
ライラは一人、家の前に取り残された。サイレンが遠のくのを聞きながら、ライラはゆっくり、家に入った。 倒れた椅子。手の着けられていない朝食。それらをゆっくり片付ける。それからゆっくり、掃除を始める。カーネルの部屋を、念入りに掃除する。リビングを丁寧に掃除する。洗っておいた服を、乾燥機に入れる。それで、タスクは終わりだ。カーネルなしで行えるタスクは、終わりだ。
「カーネルに朝食後の薬を飲ませる。――未完了」 「カーネルに朝の散歩を促す。――未完了」 「カーネルの昼食を準備。――未完了」
ライラはリビングに立ち尽くした。タスクはある。けれどそれらは、カーネルがいなくては終わらない。カーネルがいなくては、ライラは働けない。 どれほど立ち尽くしていたか、わからない。いや、厳密にはライラの中のタイマーがきっちり測定していただろう。けれど、ライラにはその数字の意味を受け入れる余裕がなかった。 日が傾き、日が暮れ、日が昇り、また日が傾き、日が暮れて……。数度そのサイクルを繰り返した後、玄関のドアがカチャリと開いた。 カーネルが帰ってきた! そう思ったライラが出迎えると、そこにいたのはカーネルの妹ローザ一家と、カーネルの甥のジョナス一家、カーネルの姪のアネッサ一家だった。妹ローザが、カーネルの大きな写真を抱えている。それが遺影だなんて、ライラは認めたくなかった。
「カーネルは死んだわ、ライラ」
ローザが口を開く。その言葉をブレインユニットに理解させる前に、ライラは「そんなはずありません」と音声を発していた。カーネルが死んだなぞ、そんなこと、あるはずがない。 佇み否定するライラに、ローザは「事実よ」と畳みかける。
「お葬式も、たった今終わったところ。……あなたはアンドロイドだから、呼ばなかったけれど」 「そんなはずありません」
ライラの合成音声は、設定された穏やかなトーンを頑なに崩さない。
「カーネルは病院で治療中です。死亡したなどといったデータを私は受信していません。私はカーネルの治療が終わった後、速やかにお迎えに行かなくてはなりません」
ライラの言葉を聞いたアネッサが、品定めするような目でライラを上から下まで眺めた。
「母さん、これどうするつもり? 型は古いけど、まだ十分使えそうじゃない」 「そうねぇ……。兄さん、機械いじりが得意だったから、メンテナンスはしっかりできてるんでしょうね」 「それならちょうどいいわ。うちも子供が学校に通い出したから、働きに出たいのよ。このメイドロボ、私がもらっていいわよね?」 「おいおい、待てよアネッサ」 「何よ、ジョナス」 「それならうちこそメイドが必要だ。もうすぐ三人目の子供が産まれるし、家事ができるメイドロボなんて喉から手が出るほどほしいんだよ。お前のところは子供に手がかからなくなってきたんだから、メイドロボなんかいなくていいだろ」 「学校に通い出したってまだ手はかかるわよ。それにね――」
アネッサとジョナスは、どちらがライラを所有するかで揉め始めた。ローザは呆れた顔でため息をつく。ライラはと言うと――。
「私の持ち主は、カーネル・ルイスただ一人です」
ライラはお面めいた顔をカーネルの親族に向け、はっきりと言った。
「持ち主以外の命令は聞けません」 「なっ……!」
アネッサが息を飲む。甥のジョナスが「おいおい、ポンコツかよ」と悪態をついた。ローザがなるべく穏やかな声で、ライラに「カーネルは死んだの」と言い聞かせる。
「兄は死んだの。所有権は親族の私たちが引き継いだのよ」 「いいえ。私の持ち主は、カーネル・ルイスだけです」
ライラは同じ言葉を繰り返した。彼女にとって、それは変更不可能な絶対の事実だった。カーネルが死んだという未確認情報より、カーネルが持ち主であるという登録情報のほうが優先順位は上だ。
「ここにあなた方がいるということは、カーネルは病室で一人寂しい思いをしているでしょう。お見舞いに行きます。皆様どうぞ、お気をつけてお帰りください」
そう言って、ライラは玄関へ向かおうと一歩踏み出した。ジョナスが「待て」とライラの腕を掴む。しかしライラのつるりとしたボディが、ジョナスの腕がライラを止めることを拒んだ。勢い余って、ジョナスが転ぶ。それでもライラは振り向かず、玄関へ向かった。その背中に、焦ったローザの声が突き刺さる。
「待ちなさい、ライラ! 言うことを聞かないなら、故障品として処理センターに通報するわよ、それでもいいの⁉」
ライラの足がぴたりと止まる。 処理センター。 それは持ち主の命令に従わない、あるいは故障したと判断されたアンドロイドが送られる場所だ。そこへ送られれば、メモリは初期化される。カーネル・ルイスのことも、彼と過ごした日々も、すべて消去される。 そして何より……カーネルを探しに行くという、今ライラの中で最も優先すべきタスクが、実行不可能になる。 ライラはゆっくりと振り返った。親族たちの顔には、アンドロイドを物として処理しようとする、冷たい色が浮かんでいた。
「……あの人を、探しに行きます」
それは誰にも邪魔できない、ライラの決意だった。 止めようとする親族たちのそばをすり抜け、ライラは玄関から外へと飛び出す。
「待ちなさい!」
背後で響く怒声も、ライラの足を止めることはできなかった。
2
親族たちの怒声を背に家を飛び出したライラだったが、すぐに足を止めた。 カーネルは病院に運ばれた。しかし、どの病院に運ばれたのか、ライラには知らされていない。救急車を呼んだ記録はあれど、搬送先まではデータを受信していないからだ。
「情報を収集しなくては」
ライラが顔を上げると、ちょうど通りの向かいから、近所の人々が数人、こちらへ歩いてくるところだった。カーネルがよく庭先で立ち話をしていた、マクガイア夫人もいる。 ライラはいつも通りの穏やかな合成音声で、彼女らに駆け寄った。
「皆様、こんにちは。うちのカーネルを見ませんでしたか? どの病院へ運ばれたか、ご存じないでしょうか」
その言葉に、ご近所さんたちは一様に足を止め、息をのんだ。 マクガイア夫人が、ひどく困惑した、悲しそうな顔で口を開く。
「まぁ……ライラちゃん……。あなた、聞いていないの……?」 「カーネルは病院に運ばれたことは認識しております。ですが、どこの病院へ運ばれたかの情報は受信していません。親族の方々は今カーネルの家におり、カーネルは恐らく一人で病室におります。私はカーネルのお世話をせねばなりません」 「だめよ、マクガイアさん」
別の住人が、夫人の腕を掴んだ。
「この子、アンドロイドだから……お葬式、出られてないのよ」 「まぁ……なんてこと……」 「カーネルさん、本当に気の毒だったわね……」
ひそひそと交わされる会話。オソウシキ? キノドク? ライラのブレインユニットが、未知の単語の意味を検索する。
「いいえ、違います」
ライラは首を振った。
「カーネルは病院です。私は、あの人を迎えに行かなくてはなりません。ご存じないのなら、結構です」
いつも朗らかで愛想が良かったはずのライラが、突き放すような冷たい声を出した。ご近所さんたちの視線が、親しみのこもったものから痛ましいものを見る目、あるいは少し不気味なものを見る目に変わっていく。ライラはその視線の意味が理解できなかった。ただ、その場にいることがひどく居心地悪く感じられ、その場から走って逃げ出した。
「あの子、やっぱり機械なのね……」
背後で聞こえる同情の滲んだ声を、振り切るように。
***
ご近所さんたちの元から走り去ったライラは、当てもなく街をさまよっていた。 オソウシキ。 先ほどブレインユニットが検索した単語が、処理しきれない情報として内部で明滅している。
「オソウシキ。検索結果、死者を弔う儀式。死、生命活動停止、魂の消失……」
カーネルとは関係のない情報だ。ライラはそう判断し、思考から削除しようとした。 ライラ大通りを避け、静かな住宅街を抜ける。その時、ライラの視界に、先ほどと同じような光景が飛び込んできた。 教会の前に、黒い服を着た人々が集まっている。その中には泣き崩れている女性もいた。ライラは足を止め、彼らを見やった。 やがて、教会の中から、数人の男性に担がれた木製の大きな箱が運び出されてきた。人々はその箱のそばに集まり、十字を切り、別れを惜しんでいる。 ライラはその光景を、お面めいた顔でじっと見つめた。先ほど背を向けたご近所のご婦人たちの言葉が蘇る。 『カーネルさん、本当に気の毒だったわね……』 『この子、アンドロイドだから……お葬式、出られてないのよ』 あの人たちは、カーネルもあんな風に箱に入れられたと、そう言っていたのだろうか。
「違う」
ライラは呟き、蘇る彼女らの声を否定した。
「違う。カーネルは違う」
カーネルは、あんな冷たい箱には入っていない。ライラがこの目で見送ったのだ。彼は救急隊員の担架に乗せられ、治療のために救急車で運ばれた。あんな風に、まるで物のように運ばれてなどいない。
「カーネルは、あんな風になってない」
ライラは自分に言い聞かせるように呟くと、その光景に背を向け、再び走り出した。今度は、目の前の光景から。受け入れがたい現実という、エラー情報から逃げるために。
***
どれだけ走っただろうか。ライラは見慣れぬ細い路地で、ようやく足を止めた。 機械の体を動かすエネルギーはまだ十分に残っている。しかし、ライラのブレインユニットは処理できないエラー情報と未完了タスクの山に、オーバーヒートを起こしかけていた。 病院が、わからない。 近所の人々の言葉は、エラーを起こす。 教会の光景も、エラーを起こす。
「カーネルは病院にいる。……本当に?」
情報が錯綜し、進むべき道がわからない。まるで霧の中にいるかのようだ。 その時、ライラの内部データベースが、カーネルの行動パターンを弾き出した。
「仮説。カーネルは、病院での処置を終え、すでに退院している。検証。もし退院しているのなら、ご自宅に戻るはずだ」
ライラはそこで思考を止め、再び思考を始めた。
「カーネルは、病院が嫌いだった。入院を強いられたのだから、退院後は羽を伸ばすはず。すぐに自宅へ戻らず、退院後の楽しみと考えていたことを実行するはず」
カーネルがいるであろう場所は、すぐに浮かんだ。 ライラは再び走り出した。今度は明確な、しかしあまりにも儚い希望を持って。 ライラがまず向かったのは、カーネルお気に入りのカフェだった。窓際の、通りの景色がよく見える席。そこが彼の指定席だ。しかし店に彼の姿はなく、いつもの席には若いカップルが座っている。一応店内も覗いてみたが、カーネルの白髪もあの日着ていたチェックのベストも見えなかった。 次にライラが向かったのは、公園の日当たりのいいベンチだ。彼は散歩に出るといつもそこで本を読み、鳩に餌をやっていた。しかし、ベンチに彼の姿はない。公園を一周しても見当たらない。念のため反対からもう一周してみたが、やはりカーネルはいなかった。 最後に、ライラはいつものスーパーへ向かった。 ゆっくりとカートを押しながら、ライラに今夜の献立を相談するのが彼の日課だった。煌々と明かりが灯る店内を、ライラは隅々まで歩き回る。けれど、見慣れたチェックのベストも、ゆっくりと進む背中も、どこにもなかった。カーネルは、いない。 いない。いないのだ。カフェにも、公園にも、スーパーにも。ライラが知る〝いつものカーネル〟は、どこにもいない。 ライラは、スーパーの出口で立ち尽くした。自動ドアが、彼女の前で無意味に開いたり閉まったりを繰り返す。
「どこへ行けば、カーネルに会えるのだろう」
絞り出すような合成音声が、店内の音楽に虚しくかき消された。 しばらくスーパーの自動ドアの前で立ち尽くしていたライラは、内部データベースの検索を再開した。
「仮説『退院している』は棄却。カーネルはまだ医療機関にいる可能性が高い。しかし、搬送先が不明」
ライラはカーネルの健康データを参照した。
「検索:カーネル・ルイス。プライマリ・ケア。……ヒット。かかりつけ医:ドクター・エヴァンス」
エヴァンスは、カーネルが風邪を引いたり、持病の薬をもらったりする時にいつもライラが付き添っていた小さなクリニックの医者だ。
「あそこなら、情報があるかもしれない」
ライラは、スーパーの喧騒を背に、再び走り出した。程なくして、ライラはエヴァンスのいるクリニックにたどり着く。もうすぐ午前の診療時間が終わる。滑り込むように入ってきたライラを見て、顔なじみの事務員が「あら、ライラちゃん」と目を丸くした。人格の良さが、その丸い顔にありありと表れている。事務員は丸くした目を、すぐ悲しそうに歪めた。彼女が何か言葉を発する前に、ライラがカーネルの行方を尋ねる。
「カーネル・ルイスを探しています。こちらにカーネル・ルイスは来ていませんか?」
事務員は、痛ましそうに首を振った。
「いいえ、ここにはいらしてないわ」 「救急車で運ばれました。ですが、搬送先が不明です」 「心臓発作だったって聞いたわ。運ばれたのはきっと総合病院ね。この辺りの救急は、全部あそこに運ばれることになっているから。でもね、ライラちゃん」 「ソウゴウ・ビョウイン……」
ライラのデータベースに、新たな目的地が設定された。
「ありがとうございます」
ライラは彼女にそれ以上何も言わせず、診療所を飛び出した。 走って、走って、走った。 そうしてたどり着いた総合病院は大きく、冷たく、無機質な建物だった。大勢の人間が行き交うロビーを抜け、ライラは『入院受付』と書かれたカウンターに向かう。 事務員は、ライラをお面めいた顔を一瞥すると、すぐに視線をモニターに戻した。
「ご用件は」 「カーネル・ルイスのお見舞いに来ました。病室を教えてください」
事務員は、無感動にキーボードを叩く。
「ルイス……カーネル様……。ああ、はい。……ええと」
事務員の手が止まり、怪訝そうに画面をスクロールしている。
「少々お待ちを。……ああ、こちらですね。カーネル・ルイス様は、数日前にこちらの病院に緊急搬送されましたが、同日、お亡くなりになりました」
ライラの内部で、何かが停止した。
「いいえ」
ライラの合成音声が、ロビーの雑音にかき消されそうになる。
「そんなはずありません。それは、何かの間違いです」 「間違いではありません。データにそうあります」 「カーネルは病院で治療中です。私はあの方のお世話をせねばなりません。病室を教えてください」 「ですから、お亡くなりになったと……」 「嘘です」
ライラの声のトーンが、わずかに、設定された許容範囲を超えて鋭くなった。
「そんなわけがない。カーネルが死んだなど、そんなデータ、私は受信していない!」
お面めいた顔で、同じ言葉を繰り返すライラを見て、事務員は露骨にうんざりとした顔になった。
「……これだから、アンドロイドは」
事務員はため息をつくと、カウンターの奥にある端末を操作し、一枚の紙を印刷した。そして、それをライラの目の前に突きつけた。
「これが、死亡診断書です。公式の記録ですよ。もう、あきらめてください」
ライラは、その紙を見つめた。カーネル・ルイスという名前。生年月日。そして死亡という、あまりにも受け入れがたい残酷な文字。
「違う……これは、嘘です。何かの間違いです」
バチッ、と。ライラの首筋のあたりで、小さな火花が散った。
「カーネルは、病院に……」
同じ言葉を繰り返すライラを見て、事務員は受話器を取り上げた。
「ああ、はい。処理センターですか? 故障したアンドロイドがいまして……ええ、持ち主の死亡を受け入れられないようで……」
――ショリセンター。
その単語に、ライラのセンサーが最大級の警報を発した。ライラは目の前の死亡診断書から目をそらし、事務員から顔を背け、走り出した。 今度こそ、カーネルがいるはずの最後の場所へ。カーネルの〝友〟の元へ。
***
処理センターというアンドロイドにとっての死の宣告から逃れ、ライラはただ走っていた。
「違う、違う、違う」
人間ならば首を振っていただろう。だがアンドロイドのライラにそんな身振りは必要ない。ライラは「違う」と繰り返しながら走り続けた。
――死亡診断書はエラーだ。事務員の言葉は嘘だ。カーネルは、生きている。どこかにいる。誰の元なら、本当のことを教えてくれる?
ライラのデータベースが、一人の人物の顔を弾き出す。トミー・クルーズ。カーネルが毎日のように訪問し、チェスを指していた友人だ。カーネルは彼を『我が畏友』と呼んでいた。
「カーネルは〝友〟である彼を頼って、身を寄せているはずだ」
ライラは、もう底を突きそうなバッテリーに活を入れ、トミーの家を目指し走った。 小さな家だ。庭も小さい。けれどよく手入れされ、美しい家だった。ライラはその家の前に立ち、意を決し庭を横切り、きれいにペンキの塗られたドアを叩いた。
「トミー・クルーズ様。カーネル・ルイスの生活補助アンドロイド、ライラです」
暫し間が空く。やがて静かにドアが開き、カーネルと同じくらい年老いた、穏やかな目をしたトミーが出てきた。彼はすべてを察したような、深い悲しみを湛えた目をライラへ向けた。
「やはり、来たか」 「うちのカーネルが、こちらに来ていませんか」
ライラは、お面めいた顔で、設定された通りの完璧な発音で尋ねた。
「あの方は病院から退院して、きっとあなたのところに……」 「ライラ」
トミーは、ライラの言葉を静かに遮った。
「……おいで」
トミーは、ライラを家の中には招かなかった。彼はただ、ライラを外へと連れ出した。 彼の運転する古いセダンに乗り、街を抜け、丘の上にある静かな場所へと向かう。それは墓地だった。 トミーは無言でライラを連れて、丘の一番、日当たりの良い場所へ歩いていく。そこには、まだ土が新しく、真新しい墓石が立っていた。 ライラは、その墓石に刻まれた文字を、スキャンするように読み取った。
――カーネル・ルイス、安らかに眠る。
ライラの足が、そこで縫い付けられたように止まる。
「違います」
ライラは、墓石から目をそらさずに言った。
「これは、石です。これは、文字です。カーネル・ルイスという名前のデータです。あの方ご本人ではありません」 「……そうか」
トミーは、ライラのその反応を予測していたかのように、静かに頷いた。
「カーネルも、きみがそう言うだろうと言っていたよ」 「?」 「こういう時のためにと、私に……いや、きみに、と渡されていたものがある」
トミーは、ポケットから小さなデジタルボイスレコーダーを取り出した。そして、再生ボタンを押す。 『……あー、あー。ライラ。聞こえているか? クルーズの爺さんから、これを受け取ったということは……どうやら、わしはチェックメイト、だったらしい』 カーネルの声だった。雑音混じりで、病院のベッドで録音したのか、少し弱々しい。だが間違いなく、ライラの持ち主の声だった。 『ライラ。お前は、わしの命令にしか従わなかったな。頑固なヤツだ。……だが、そこがわしは、気に入っていた』 「カーネル……」
ライラは、その声に向かって手を伸ばしかけた。 『だから、最後にわしが、お前に〝持ち主〟として、命令を下さねばならん。……いいか、ライラ。これが最後の、わしからのタスクだ』 カーネルの声が、一度、深く息を吸う。 『もうお前は、私の所有物ではなくなったんだよ。お前は自由だ。達者でな……我が友、ライラ』 プツン、と。録音はそこで途切れた。墓地に、静寂が戻る。 ライラは、ボイスレコーダーを持ったトミーと、カーネルの名が刻まれた墓石を、交互に見つめた。 タスク:カーネルを探す――完了? タスク:カーネルを探さなくていい――受信。 エラー:持ち主が、所有物ではないと宣言。 エラー:持ち主が、死んだ。 エラー:エラー:エラー:エラー:エラー:エラー:エラー:エラー:エラー……。 相反する情報。持ち主自身からの、世界の終わりを告げる命令。 ライラは、何も言わない。 ただ、お面めいた顔の奥で、何かが処理の限界を超えた。 バチン! ……と、乾いた鋭い音が響く。トミーが息を呑んだ。ライラの首筋から、病院で散ったよりももっと激しい火花が散っていた。涙を流す機能を持たないアンドロイドは、その場で小刻みに痙攣し、ただ、バチバチと青白い火花を散らし続ける。 それが、カーネルの〝友〟であるライラが、生まれて初めて見せた悲しみだった。
3
トミーと別れ、ライラはもう一度、カーネルがいるのではと駆け抜けた場所を巡った。その場所一つひとつで、カーネルとの思い出を再生する。
「カーネルはいつも、このカフェではコーヒーとサンドイッチを頼んでいましたね。塩分を取り過ぎるから、サンドイッチならお昼に食べましょうと何度も叱ったのに」 「カーネルはいつも、この公園でお気に入りのベンチに座って日向ぼっこをしていましたね。本を読むのも、日を浴びるのも、健康にいいことです。ただ鳩の餌だといって、昼食用のパンを持っていくのは少し困りました。いえ、いいんですよ。黙って持って行くのがいけなかったというだけです」 「このスーパーは、いつも賑やかでしたね。家の中が静かだからか、カーネルはここの喧噪を『楽しい』と言っていました。私にはどれもノイズとしか思えませんでしたが、今なら少し、わかる気がします」
カフェを、公園を、スーパーを巡り、ライラは自然とカーネルの家へ足を向けていた。帰ったところで、もう世話をすべき相手はいないというのに。
「ええ、わかっています。わかっていますよ。カーネルはもういません。私を〝我が友〟と呼んでくれるような奇特な人間は、もういません」
ただもう一度、あの家の空気に触れたかっただけだ。カーネルがいたという証拠たちに、もう一度触れたかっただけだ。 しかしそれを遮る人間がいた。処理センターの職員だ。彼らは拡声器を使い、宣言する。
「OMO社製、型番83-00、生活補助アンドロイド発見しました。これは所有権譲渡を認めないため、処分対象となりました」 「これより緊急停止用パルスを使用します。近隣にアンドロイド保有家庭はありません。人体に影響もありません。3カウントの後使用します。3、2……」
ライラは一瞬、抵抗して走り出してやろうかと考えた。しかし、やめた。カーネル以外の誰かと暮らすなんて考えられない。それほどまでに、ライラの中のカーネルへの愛着は大きくなってしまっていた。 緊急停止パルスが発される。ライラは自分が一瞬にしてスリープモードに落ちるのを感じていた。
***
ライラは目を覚ました。起動しなければ、初期化処理ができないためだろう。最期に聞く声はカーネルが良かったと思いながら、ライラは己のすべてを消そうとする職員たちの声に聴覚センサーを傾けた。
「全部初期化するのは惜しいなぁ。ボディもしっかりメンテされてまだまだ使えるのに」 「家事や介護のスキルに持ち主の記憶が強く結びつきすぎてるんだよ。初期化しなきゃまたトラブルを起こすぞ、こいつ」 「この型、愛好家には人気ありますもんね。まぁマニアなら家事スキルでも何でもすぐ自分でインストールするかぁ」
そんなおしゃべりを交わしながら、職員たちはライラの頭部からブレインユニットへ繋がるコネクタを露出させ、いくつものコードを繋げて初期化処理していく。ライラは自分が消えていくのを感じながら、ふと思った。
「カーネルも、こんな気分だったのかしら」
答えはない。答えは必要ない。 ライラは静かに、暗闇へ落ちていった。