空半ば、浮かぶ家

 僕らが住む田舎町の空に、ある日突然、家が浮かんだ。あれを家と呼ぶのは正しいのだろうか。家と家を継ぎ足して、そこへまた家をぶつけるようにくっつけて、その上にまた家を乗っけたような、ヘンテコな家だ。それがぽつんと一軒――あれを一軒と呼んでいいのかわからないけれど――だけ、空の真ん中、見上げた視界の真ん中に浮かんでいる。  家が浮かんだ日、誰かがSNSに写真を載せた。フェイクだと騒がれる中ほかの誰かも次々写真を載せたため、テレビ局が動いた。頭上を飛ぶヘリコプターといえば農薬散布用という印象しかなかった僕らは、テレビ局のロゴが印字されたヘリコプターに興奮した。僕らの興奮とは反対に、テレビ局のスタッフたちは肩を落とした。何せ、飛んでも飛んでも家は近づかず、彼らが肩に担いだカメラは、一定以上の大きさにならない家しか映せなかったのだ。ズーム機能を使っても、同じことだった。肉眼で見る以上の解像度を、家は僕らに与えなかった。  僕らの町に浮かんだ家は、毎日毎日増えたり改めたりしている。天に向かって増えていた家が、ある日は僕らの町に向かって増えていた。特徴的だった瓦屋根が、ある日は藁葺きになっていた。どんな理由でどんな理屈で増えたり変わったりしているのかはわからない。とにかく家は、宙に浮き、増改築を繰り返しているだけだった。だから僕らは、そのうち家を気にしないようになった。農家だけは、日差しが遮られると文句を垂れていたけれど。  ある日、浮かんでいるだけだった家から、ぞるんと触手が飛び出した。大人の胴体くらいありそうな太さの触手だった。色は奇妙な肉色で、見ているだけで不安になった。近くで見た人によると、触手には返しのある棘が生えていたらしい。そんな触手は、家から飛び出すように伸びていった。目指すは、この辺りで一等いい家だった。ぞるぞると伸びた触手は一等いい家の屋根に触れると、くねる体で上手に屋根を毟り取った。その家の屋根は、代々受け継ぐ鬼瓦が自慢だった。触手は毟り取った屋根を、自らが住まう家に無理矢理取り付けた。毟り取られ、さらに無理矢理取り付けられた衝撃で、自慢の鬼瓦がぐらりと揺らいでいた。屋根の持ち主である家主は、青空の見える我が家を差し「これは災害だ」「天災だ」と喚き立てた。保険会社や町役場に何度も電話をし、家主は補助金をせしめた。この頃、町は空中の家目当てで来るマスメディアスタッフや野次馬観光客のお陰で、ずいぶんと潤っていた。ちなみに、この瞬間を捉えた動画はあちこちに転載され、撮影者と転載者が裁判沙汰になっていた。この動画のお陰で一時は『恐怖! 家から伸びる触手』『天空の家は|人食い家《モンスターハウス》?』などといった見出しの番組や記事が後を絶たなかった。町民もあの触手がいつ人を襲うかと恐れていたが、触手が狙うのは家の一部だけで、人の毛一本すら触れようとしなかった。次第に、僕を含めた町の人々は、触手が我が家を毟り取るのを望んだ。

「うちの家もちょっと毟ってくれないかしら」 「こんなボロ家、毟るわけねーじゃん」

 家庭内でこんな微笑ましいジョークが飛び交う。それが常となりつつあった。  町に住む僕らは、度々マスメディアからインタビューを受けた。しかし、僕らに答えられることはほとんどない。

「不思議です」 「何でこの町に浮かんでるんでしょうね」 「さあ、僕の家はまだ毟られたことないんで」

 返すのは、いつもこんな曖昧な答えだった。  毎日、毎日、家は一部増えては一部改め、一日として同じ姿を見せない。僕ら町民や、余所から来た野次馬観光客、マスメディアのスタッフは、毎日毎日、一緒になって空に浮かぶ家を見上げ、指さした。

「あそこは昨日なかったパーツだぜ」 「今日はあのパーツが変わったわね」 「大きさはおんなじだけど、あの部分の家がまるっと変わってるね」

 家のどこが変わったか、どこが増えたか。それを探すのが、町に足を踏み入れた者の日課となりつつあった。  そんな折だ。ある朝、家が前日とまったく変わっていなかった。

「あれぇ、珍しいこともあるもんだねぇ」

 声を上げたのは、畑から帰るおばあさんだった。登校するため通学路を歩いていた僕と友人は、おばあさんの声に空を見上げた。犬の散歩中だったおばさんも、早朝徘徊していたらしいおじさんも、皆一様に空を見上げた。そうやってみんなで見上げていたら、家のパーツを毟り取っていったあの触手が、音もなく飛びだした。飛び出した触手は家ではなく、僕の隣に立つ友人にまっすぐ向かった。触手は、友人をくるりと巻き取り、ぽきりと手折った。ぽきりという表現は、あんまり簡単に折れたからそういう印象を受けたというだけの話だ。実際は、ぐしゃともぐちゅともつかない気持ち悪い音が聞こえた。  友人から噴き出した血が、頬にかかる。事切れた友人を巻き取った触手は、飛び出したときと同じ勢いで家に戻っていった。  咀嚼するように、家が震え、膨らみ、縮む。飲み込んだのか、吸収したのか、家はしばし動かなくなった。  束の間、息をするのもつらいような緊張が走る。犬すらも、尻尾を足に挟み声もなく震えていた。  何が合図になったのか、それは僕らにはわからない。空に浮かぶ家の窓という窓が、戸という戸が蹴破られたような勢いで開き、そこからあの奇妙で不安な色の触手が噴き出した。触手たちはまっすぐに、迷いもなく、そして家々に見向きもせず、僕らに向かって伸びてきた。  悲鳴も上げられず、走り出すことすらできず。僕らは触手に手折られ巻き取られ、家の形をした怪物の養分と成り果てた。