寂しがり屋の砂場の王様

 砂場で一人遊ぶ女の子がいた。名前は瑠璃という。夕焼けが照らす公園の中、スピーカーから流れる夕焼け小焼けが響き渡る。せっせと山を築き上げていた瑠璃は、顔を上げて時計を探した。祖母が「迎えに来る」と言った時間はとうに過ぎている。

「おばあちゃん、まだ接骨院終わらないのかな」

 一緒に遊んでいた友達は、とっくに家族と手を繋いで帰って行った。暗くなる公園で心細さを覚えながら、瑠璃は一人、祖母の迎えを待っていた。  そのときだ。瑠璃が遊ぶ砂場の砂がゆっくり、よく見ていなければわからないほどゆっくりと動き出した。動く砂は渦を巻き、盛り上がり、人の形を作っていく。気づいた瑠璃の目が釘付けになっているうちに、砂は見上げるほど背の高い青年の形になっていた。  青年は、奇妙な格好だった。  頭のてっぺんには砂色の王冠。身に着けた服も砂色なら、肩にかけたマントも砂色だ。肌は血の気のない土気色で、彫りの深さが陰気さを際立たせる。金色の目が、影の中で爛々と光っていた。  公園に似つかわしくない格好の青年を見上げたまま、瑠璃は動きを止めた。事態が飲み込めず硬直する瑠璃の前、青年は頽れ、おいおいと泣きだした。  骨張った手が端正な顔を覆う。指の隙間から、ぽろぽろと砂粒が落ちる。瑠璃の目から見て、青年は大人だ。明らかに大人である謎の青年が突然泣きだしたのを見て、瑠璃の脳内は混乱を極めた。青年がこぼすものが涙ではなく砂であることをおかしいとも思わず、瑠璃は青年のそばへ近づいた。

「おにいさん、どうしたの? どっか痛いの?」

 瑠璃が声をかけると、青年は顔を覆う手を退けて、ゆっくりと瑠璃を見た。近くで見ると、青年の顔立ちがいかに整っているかがよくわかった。生気がないことも、目から砂粒がこぼれていることも吹き飛ぶほどに端正な顔立ちだった。  驚きに息を呑む瑠璃を、青年は新たな砂粒をこぼしながら見つめる。涙のように、砂粒は後から後から青年の目尻から落ちる。砂色の睫毛で砂粒を散らし、青年はまた顔を覆った。

「さびしい」

 くぐもった声が、そう打ち明けた。

「さびしいのです。とても、とても」

 青年は自らを〝砂の王〟と名乗った。

「私は地の下、光なき地底を治める砂の王なのです」

 青年は時にしゃくり上げながら、自分が治める地底がいかに暗く寂しいか、また住民がいかに自分の言うことを聞かないか、一人で地底を治めるつらさを話した。瑠璃は青年の言葉にうんうんとうなずいてはいたが、幼さのせいもあり、話の半分も理解できなかった。唯一理解できたのは、何だか青年が気の毒だ――ということだけだ。  話す青年のそばで膝をつきながら、瑠璃は首を傾げた。青年の見た目、服装だけは絵本で見かける〝王子様〟だ。瑠璃は控えめに「あのぅ」と声を上げ、その疑問をそっとぶつけた。

「おにいさん、おうじさまじゃないの?」 「いいえ」

 目元を拭い、青年は首を振った。

「私は王です。もう王子ではありません」

 それにしては威厳がないな――と瑠璃は思ったが、思ったままを口に出すのはやめた。  とにかく青年が気の毒であると理解した瑠璃は、青年に「ちょっとだけなら」と一緒にいることを提案した。

「おばあちゃんがね、接骨院に行ってて、まだ迎えに来てくれないの。だからそれまで、ちょっとだけだったら、おにいさんと一緒にいてあげられるよ」 「それは、本当ですか」

 光る砂粒がはらはらと落ちる。それを目で追ってから、瑠璃は青年にうなずいた。

「うん、いいよ。ちょっとだけ、一緒にいてあげる」

 青年はこぼれる砂粒を長い睫毛で払い、深く深呼吸してから落ち着きを取り戻した。そして一度立ち上がり、瑠璃の前に恭しく膝をつく。

「では、あなた様のお時間をしばし頂戴致します」

 血の気のない砂色の手が、瑠璃に差し伸べられる。瑠璃が血色の良い手で握ると、その手は瑠璃の体温を吸い取るように冷たかった。

「いざ、我が領地へ」

 青年が言うと同時に、足下の砂が動き出す。瑠璃の足が、青年の足が、砂に飲み込まれていく。砂場の底は浅い。毎日のように公園で遊ぶ瑠璃はよく知っている。しかし今、瑠璃の足は砂場のそこを突き抜けさらに下へ下へと潜っていく。底知れない恐ろしさに、瑠璃は青年の手を強く握った。青年も、瑠璃を安心させるように――あるいは逃がさないとでも言うように――瑠璃の手をぎゅうと握り返した。  顎の下まで砂に飲み込まれ、瑠璃は目を守るため反射的に目を瞑った。どれほどそうしていたかはわからない。ほんの数秒だと言われればそんな気がするし、数時間かかったと言われれば納得できる。そんな時間、瑠璃は目を瞑っていた。だからどうやって底に立っていたかわからない。気づけば瑠璃の足は固い地面を踏みしめていて、青年に「着きました」と優しく肩を揺すられていた。

「ここが、我が領地です。私一人が統治する、地の下の砂の国。冥界とも黄泉の国とも呼ばれますが、ここに死者はおりません。いるのは私と、地下の住民だけでございます」

 暗闇に、青年の声だけが響く。もし青年の手を握っていなければ、瑠璃は青年がどこにいるかもわからなかっただろう。この人はこんな暗いところで生活しているのか。それは寂しいだろうな――と思いながら、瑠璃は明かりを探して明かりを見回した。  小さな赤い光が、ぽつんと見えた。瑠璃が「あ」と声を上げて青年の手を引こうとした瞬間、ぽつりと一つだけだった赤い光は、夥しい数で瑠璃と青年を取り囲んだ。

 ――何かが、そこにいる。

 硬直する瑠璃の隣で、青年がパチンと指を鳴らす。どこに照明器があるのか、黄色い光が瑠璃と青年を照らした。  光の外にいるのは、瑠璃より拳一つ分背の高い大きな大きな蜘蛛だった。赤い光は、蜘蛛の目だ。蜘蛛たちは目を爛々と光らせ瑠璃と青年を囲んでいる。悲鳴すら上げられない瑠璃に、青年は愁いを含んだ声で《《住》》《《民》》の説明をした。

「我が国に住まう種族が一つ、地底蜘蛛でございます。彼らは気性が荒く人肉を好む種族ではありますが、ご安心を。こうして照らされていれば、彼らは我々に毛先すら触れられません」

 そこまで説明して、青年は咳払いをすると小さく付け加えた。

「我が国の住民でありながら、王である私の言うことに耳を傾けません。どうか光の外へ出られませんよう、ご注意を」

 青年の説明を事実だと言うように、蜘蛛たちは一斉に鋏角を鳴らした。今にも自分に襲いかかりそうな大合奏に、瑠璃は震え上がった。ぼろぼろと涙をこぼしたかと思うと、わぁっと泣きだした。

「帰る、帰る、もう帰る!」

 暗闇の中、瑠璃の声がわんわんと響く。青年が宥め賺しても、瑠璃は「帰る」と言って聞かない。青年も泣きそうな顔をしたが、一度目を閉じると、静かな声で「わかりました」とうなずいた。

「では、もう一度お手を」

 差し伸べられた手を、瑠璃が強く握る。もう何も見たくないと強く目を閉じた瑠璃は、爽やかな風と木の葉の揺れる音で目を開けた。  そこはもう、恐ろしい地底世界ではなかった。  いつも遊ぶ公園に、瑠璃は立っていた。空は明るい青色で、目に痛いほど白い雲がぽつりぽつりと漂っている。そして、大人たちが瑠璃の名前を必死になって呼んでいた。  地底から戻ったばかりの瑠璃は気づいていなかったが、地上はすでに翌日になっており、今は昼の十二時目前だった。地上と地下は、時間の進みが異なるようだ。  瑠璃の名を呼ぶ大人の中には、祖母の姿があった。もう何時間と呼んでいるのだろう、かすれた声が「瑠璃」と呼ぶ。祖母を見た瑠璃は「おばあちゃん!」とすぐさま駆け出そうとした。だがそれを、青年が止めた。  見ると、青年は泣きそうな顔で瑠璃の手を掴んでいる。瑠璃は祖母を見て、青年を見て、もう一度祖母を見た。青年も可哀想だが、あんな声になってまで自分を探す祖母を放っておくこともできない。  瑠璃は青年に向き直ると、子供に言い聞かせる母親のような口ぶりになった。

「あのね、わたし、今はこどもだから、お兄さんと一緒にいられないの。おばあちゃんも、お父さんもお母さんも、お姉ちゃんも心配するから」 「そう……ですね。そうでしょう。あなたには、家族がいるのですね。私にはおりません。私は、ひとりぼっちですので」

 寂しそうな、しかしどこか拗ねているような、そんな顔をして、青年は端正な顔を背けた。瑠璃は青年の手を握り返した。

「今は、今はね、まだこどもだから無理だけど……」

 瑠璃の台詞に、青年は目を見張ることになる。

「大人になったら、一緒にいてあげる。お兄さんがさびしくないように、わたし、およめさんになったげる」

 金色の瞳が揺れる。青年の手が、ゆっくりと瑠璃の手から離れる。青年は片膝を折ると、瑠璃と目線を合わせるように跪いた。

「大人になったら。では、それはいつですか? 私はいつまで待てば、あなたを伴侶として迎えられますか?」

 いつになったら〝大人〟と言えるのか。青年の問いに、瑠璃は首を傾げる。瑠璃の頭に浮かぶのは、疲れた顔をした、近所の優しいお姉さんだ。 『大人になったら、思い出せないもんよ』  お姉さんは瑠璃にそう言った。だから瑠璃はお姉さんの言葉をそのまま青年への答えとした。

「こどものときのこと、思い出せなくなったら|大人《オトナ》なんだって。お兄さんとの約束を思い出せなくなるくらい忙しくなったら、大人!」 「しかし、思い出せないのでしたら私との約束は果たせないでしょう」

 青年の当然の問いに、瑠璃は「だいじょうぶ!」と請け負った。

「思い出してなくても、わたしがここに来たら、おにいさんが思い出させて!」 「私が……あなたに、思い出させる……」 「それにね、大人って大変なんだって。子供のときのこと、なーんにも思い出せないくらい、忙しくて、つらくて、もうやめちゃいたいくらいなんだって。だからね」

 瑠璃は青年の手を、両手で包み込んだ。

「わたしのこと、おうじさまみたいにさらって!」

 青年は、思ってもみなかった言葉をかけられぽかんと口を開けた。二人の間に、気の抜けた沈黙が訪れる。その沈黙も長くは続かない。瑠璃を探す大人たちの声が近づいてくる。声の方角を気にする瑠璃を見て、青年は「わかりました」とうなずいた。青年の骨張った手が、瑠璃の体温をもらい受けるようにぎゅうと握り、それからようやく離れた。

「あなたが大人になったら、大人になったあなたが我が領地の真上に立ったら、私はあなたを伴侶として我が領地へ攫います。それで、よろしいのですね?」 「うん、いいよ!」 「では最後にお名前を。あなたとの約束を私が履行するために。あなたと会えない時間、あなたを想い続けるために」

 瑠璃は青年に、弾けるような笑顔を見せた。

「瑠璃! 瑠璃だよ、おにいさん」 「では、瑠璃。しばしの別れです。あなたが早く大人になることを願っています」

 青年の体が砂に沈み始める。青年は沈みきる最後まで、名残惜しげに瑠璃を見つめていた。  砂色の青年がつむじまで砂に沈むと、瑠璃は大人たちの声が聞こえる方角へ走り出した。

「おばあちゃん! ただいまぁ!」

 この後瑠璃は、祖母だけでなく仕事を休んだ両親に抱きとめられ、中学校を休んだ姉に頬を張り飛ばされる。しかし……成人後の瑠璃は、この日のことを何一つ覚えていない。

***

 二十年以上の時が過ぎ、いわゆるアラサーになった瑠璃は、一人で深夜の寂しい道を歩いていた。世に言うブラック企業に勤めて数年、もはや慣れっことなった二徹後の帰路だった。

「辞めたい。逃げたい。帰りたい。帰りたい。帰りたい……」

 家に帰る道すがらだというのに、瑠璃はひたすら帰りたい帰りたいと呟いていた。  街灯がバチバチと不快な音を立てる。瑠璃は重い頭を音の方向へ向け、公園に気づいた。疲れた顔から、乾いた笑いが漏れる。

「公園……懐かし」

 小さい頃よく遊んだっけな。覚えてないけど。  そう呟いて、瑠璃はふらふらと公園に入った。  真夜中の公園は猫すらも歩いていない。瑠璃は公園の主にでもなったような気分になり、鞄を放り投げ、遊具で遊び始めた。  ブランコを漕ぎ、一人で笑う。  鉄棒にだらりと下がり、持ち上がらない体を笑う。  滑り台を駆け下り、用途が違うと言って一人で笑う。  近隣の住民から苦情が寄せられそうな遊び方を繰り返し、瑠璃は砂場に目を留めた。子供が置き忘れた原色のスコップが突き立てられている。瑠璃は砂場に走ると、スコップを使って砂を掘り始めた。

「童心に返るわぁ。子供に戻りたい……大人やめたい……」

 そのとき、よく見なければわからないほどゆっくり、砂が動き始めた。瑠璃は気づかず、ぶつぶつぶつぶつとぼやき続ける。

「どっかのさぁ、高スペックスーパーイケメン王子様がさぁ、もう働かなくていいよってさぁ、言ってさぁ、私のこと攫ってくんないかなぁ」 「約束を」

 突然聞こえた男の声に、瑠璃は手を止めた。そこでようやく、砂が動いていることに気づいた。砂は瑠璃に見つめられながらも動き続け、人型となり、いつかの青年の姿となった。衣服も髪も装飾品も、青年は相変わらず砂色一色だった。くすんだ金の王冠から、ぱらぱらと砂が落ちる。  しゃがんだまま驚き呆ける瑠璃の前に、青年は跪き、スコップを瑠璃の空いた片手を取った。

「お待ちしておりました。我が花嫁、我が伴侶、私の片割れ、唯一の伴侶。さあ、行きましょう、私たちの領地へ。二人だけの砂の世界へ。互いだけで渇きを癒やし合う暗き世界へ」

 このとき瑠璃の頭には、睫毛が長いなぁだとか、彫りが深い顔立ちだなぁだとか、いい声してるなぁだとか、そんな関係ないことばかりが巡っており、青年の言葉に対するまともな返事が浮かばなかった。二徹後の頭は歯車が噛み合っていない。そんな頭で青年の台詞を雑に咀嚼し、瑠璃はへらへら笑う。

「そこへ行ったら、働かなくていーんです? 上司とも会わなくていい?」 「私たち二人ですよ、瑠璃」

 名前を呼ばれ、瑠璃の頭の歯車が、カチリと噛み合いだした。

 ――何で名前を知ってんの?

 瑠璃に、青年との記憶はない。あの日青年に言ったとおり、瑠璃は子供の頃の記憶を忘却するほどに疲れた大人となっていた。  青年の手から自分の手を抜こうとしながら、立ち上がり逃げだそうとしながら、瑠璃は青年に尋ねずにいられなかった。

「おにーさん……何で私の名前、知ってんの」 「あなたが教えてくれたのです。あなたが約束してくれたのです。覚えていないということは、大人になったということ。そのときは攫ってくれと頼んだのもあなたです、瑠璃、私の花嫁」

 ――あ、この人ヤバい人だ。ヤバい奴だ。

 そう思った瑠璃は、逃げようと足に力を込めた。しかし、砂がそれを許さない。砂は意思を持つように動き、瑠璃の足を絡め取る。足掻く足を飲み込んでいく。

「いっ……いやだ、やだ、何なのこれ? 怖い! 離して! 離してよ!」

 後半はほとんど声すら出ていなかった。砂は蠢き瑠璃の体を這い上がり、砂場の下へ下へと沈めていく。暴れる瑠璃を、青年は砂色の目でうっとりと見つめた。

「このときを待ちわびていました。この日に焦がれておりました。ようやく、ようやく、二人になれる……」

 青年の体も、砂に飲み込まれていく。公園には、瑠璃が放り出した鞄と置き去りのスコップだけが残った。

 初めて青年に連れ去られたあの日と同じように、瑠璃の家族は懸命に瑠璃を探した。しかし今回は、いくら探しても探しても瑠璃が見つかることはなかった。  後々、この公園で「女のすすり泣きが聞こえる」「助けを求める女が砂場に立ってるけど、男が砂から出てきて女を砂の中へ引きずり込む」といった怪談が生まれたが、瑠璃たちと関係があるかどうか、誰も知らない。