迎えに来たよ、お嫁様

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忘れられた約束

 私には、中学から高校まで縁のある女の子がいる。それは学年一の花吉めぐみさん。  花吉さんの何が学年一って? それはもう……可愛さ、賢さ、身ごなしの良さ、それら全部が学年一!  薄情っていうか、情味に欠けるのが玉に瑕かな。でも一つくらい欠点があったほうが、人間味があっていいよね。

 そんな花吉さん、昔は今と全然違ったみたい。

 幼稚園の頃だったかな? 遊びに行った川で、一人で近くの森に迷い込んじゃって、一週間くらい行方不明になったんだって。

 その頃の花吉さんってね、鼻はぺちゃっと潰れちゃってて、髪は縮れて好き勝手な方向へ伸びてて、歯はガタガタ乱杭歯になってて、目は腫れぼったく垂れてたんだって。それどころか、言葉もうまくなかったらしいし、運動神経なんてほとんど死んでるんじゃないのってくらいとろくさい子だったんだって。  だけど行方不明になってから、花吉さんは生まれ変わったみたいにきれいになっていったらしい。  縮れたくせっ毛は、みるみるうちにまっすぐになった。  歯科矯正に通ってもないのに歯並びは整った。  潰れてた鼻筋はすっときれいに通って、腫れぼったい垂れ目はまん丸どんぐり眼になった。  運動神経は見違えるほどよくなって、たどたどしかった言葉も淀みなく紡げるようになった。

 芋虫が蛹を経ず蝶になるような変貌に、口さがないご近所さんは「取り替えられたんじゃないの」と噂したりもしたんだって。  そんな話を、花吉さんは自ら笑って話すからびっくりしちゃう。

「噂したくなるのもわかるけどさ、元々お母さんはすごく美人なんだよ? その血が開花しただけだよぉ」

 確かに花吉さんのお母さんはすっごく美人。今の花吉さんとそっくり。唯一違うのは、花吉のお母さんは涼しげなつり目で、花吉さんの目はまん丸ってことくらい。

「私ね、別れたお父さん似だったんだ。顔つきとか、おどおどしたとことか。お母さん、お父さんのこと大嫌いになってたから……お母さん似になれてよかった!」

 そう言って笑う花吉さんは屈託がないのだけれど、私にはその台詞が何だか悲しかった。

 そうそう、花吉さんは一度ならず二度も行方不明になっている。  一度は五歳の頃。その次は受験前、十五歳の頃。あの頃の騒ぎは私も覚えてる。  誕生日を迎えたその朝、花吉さんは登校中に姿を消した。  神隠しか誘拐か。怪しい車を見たか、いや怪しい男がいたぞと地元は大騒ぎ。  けれど花吉さんは、次の日ケロッとした顔で家に帰ってきた。

「あんたっ、どこ行ってたの!」

 花吉さんのお母さんが泣きそうな顔で怒ったけれど、花吉さんは困り顔で首を傾げるだけ。

「わかんない。覚えてない」

 あっけらかんと笑う花吉さんは、服には汚れ一つないし、どこにも怪我してなかったらしい。だから結局この件はうやむやのまま『本人無事発見』で済まされた。  あれから、丸三年が過ぎた。  そういえば今日は、花吉さんの誕生日じゃなかったっけ。思い出しながら教室のドアを開ける。そこではすでに、花吉さんがいつも絡んでいる子たちに「おめでとう!」と祝われていた。

「今日で十八じゃん、おめでとう!」 「あはは、ありがと」 「大人だねぇ、めぐみ」

 うりうり、と一人が肘で花吉さんを小突く。花吉さんは返事をしなかった。花吉さんの顔は、真っ青になっていた。

「違う」

 花吉さんが声を絞り出す。  花吉さんが首を振る。  何度も「違う」と繰り返し、自分はまだ大人じゃないと否定する。

「違う、違うの。まだだから、まだ子供だから。大人じゃないから!」 「何言ってんの? もう十八から成年って決まったじゃん」 「そうそう。これでさ、スマホの契約とか自分でできるんだよねー」 「いいなー。あたしも早く自分で契約したーい」 「違うから、まだ子供だから! お願い茶化さないで、やめて!」

 教室がざわめく。花吉さんの様子に、純粋に祝っていた子たちが不快そうに眉をひそめる。

「何それ、ノリ悪」 「祝ってるだけなのにさぁ、おめでとうも言っちゃだめなわけ?」 「もう大人なめぐみちゃんは、お子ちゃまなあたしたちとは絡みたくないってー?」 「違うの、違うのぉ……」 「そうだよね、めぐみもう大人だもんねー」 「親の許可なしに、結婚だってできちゃうもんね」 「ひっ」

 花吉さんが息をのむ。同時に、朝の教室が真夜中のように真っ暗になる。

「迎えに来たよ、お嫁様」

 割れた声とともに、異なる季節が同時に来たような空気が教室に満ちる。夏の草いきれと、冬の霜柱、春の若葉と秋の落ち葉を混ぜ合わせたら、きっとこんな空気だ。  目が暗さに慣れてきて、嫌がり藻掻く花吉さんの姿を捉える。  花吉さんのそばにいるのは、森が人の似姿を取ったような異形。その異形に触れられて、花吉さんの容貌がみるみる変化していく。  さらりと揺れていた直毛が、焦げるように縮れていき、勝手な方向へ跳ね回る。  きれいな鼻梁は歪に潰れて、どんぐり眼は重く腫れた垂れ目へ変わる。  整列した真珠みたいだった歯は乱杭になっていき、学年一の美少女は髪を振り乱したオバケが如き姿になった。

「約束だよ。さあ、おいで」

 化け物が愛しげに、優しい声で花吉さんに言う。しかし花吉さんは「戻りたくない」と泣いて暴れるだけ。

「こんな目はいや、こんな鼻はいや! お母さんみたいに美人に生まれたかった、お母さんが可愛がってくれる子でいたかった! やめてよ、やめてよぉ……」

 急に力をなくし、しくしくと泣き出した花吉さん。まるで慰めるように、異形の化け物はその腕を花吉さんの体へ回す。事実、宥めるつもりはあっただろう。片腕は花吉さんの体へ回り、もう片方は花吉さんの頭を不器用に撫でていた。  ぞぶりと音がして、二人の体が床へ沈む。  床へ、というのは正しくない。床の上、そこに広がる影へと沈む。藻掻く花吉さんは、私を見た。

「助けて」

 反射的に花吉さんへ駆け寄った。けれどもう遅くって、手を伸ばしたって花吉さんの髪すら触れなかった。  二人が消えて、暗闇が晴れる。朝の教室が戻ってくる。  誰もが呆然としてる。花吉さんだけが、いなくなっている。

「夢?」 「夢、でしょ」 「じゃあ……何で、鞄だけあるの?」

 花吉さんの机には、花吉さんの通学鞄が置いてある。  誰かが叫んだ。つられて誰かも叫びだす。叫喚は連鎖して、誰も彼もがパニックに陥る。  騒ぎを聞きつけ大人がやってきたけれど、落ち着いたって花吉さんが消えた事実は変わらない。  花吉さんは、三度目の行方不明になった。  一度目は一週間。  二度目は一日。  けれど今度は、いつまで待っても、どれだけ探しても、花吉さんが見つかることはなかった。

交わした約束

 子供の泣き声がした。静かな声だった。  この森に迷い込んだ子供は、大半が泣き喚く。こんな風に静かに泣くのは珍しかった。  だから興味を引かれ、森の主たるおれが自ら見に行った。  子供は森の入り口、川のそばでしゃがみ込んで泣いていた。

「いったい、どうした」

 己の姿も忘れ声をかけた。おれの姿を見た子供は、いや大人すらも、化け物と言って逃げ出すのに。  この子もきっと、おれを見て逃げ出すだろうな。  そう思ったのに、その子は逃げ出さなかった。大きな涙をこぼす目で、おれを見上げた。おれを見た上で、叫ぶためでなく、言葉を紡ぐため口を開いた。

「いらない、いわれた」

 子供はそう言って俯くと、またしくしくと泣いた。何があったのか、どうしてそう言われたのか、子供のそばにしゃがみ込んで尋ねる。  子供はめぐみと名乗った。めぐみは語った。  父と母がいつしか不仲になったこと。  父が家に帰らなくなったこと。  母が父に似た自分を疎むようになったこと。

「わたし、おかあさんだいすき。でも、おかあさん、わたし、きらい。いらない。おとうさんといっしょ、って」

 父に似て不細工だと、言われるらしい。しかしめぐみのとろんと垂れた眼は優しげで、小さな鼻は愛嬌がある。  生えている歯は並びこそ悪いがどれも健康だし、くしゃくしゃの毛はよく頭を守っている。  不細工ではない。愛くるしい子ではないか。  そう思ってそのまま伝えても、めぐみは首を振った。

「わたし、とろい。どんくさい。ばか。だから、おかあさん、わたし、いやって」

 蟻が足下を歩いているから、踏まないよう気を遣って歩いていたらしい。それを、母からとろいと言われたそうだ。  重い荷物を持つ老人に手伝いを申し出たら、荷物の重さに転んだらしい。それを、母から鈍臭いと言われたそうだ。  喧嘩に負けて泣いている子にお気に入りのハンカチを差し出したら、そのまま返してもらえなくなったらしい。それで馬鹿と言われたそうだ。  どれもこれも、心優しい証拠ではないか。なぜめぐみの母は、この優しさを愛してやれないのだろう。なぜこの優しさを否定するのだろう。  優しさのない賢さはやがて他者を貶めることに使われる。賢くとも、優しさがなくてはいけない。それは生き物すべてに言えることではないか。  そう慰めても、めぐみは首を振る。母に愛してもらえないと泣く。母に必要とされないと泣く。  可哀想に、この子はそのままの自分を、愛せないのだ。母に、そんな呪いをかけられてしまったのだ。

「おかあさんみたい、なりたい。きれい。かしこい。いいこ、なりたい」

 おれは、めぐみの願いを叶えてやれる。けれど、ただ叶えてあげるわけにはいかない。  森の化生が人の願いを叶えるには、代償が必要だ。おれはめぐみがほしい。  心優しいめぐみならば、なってくれるのではないかと思ったのだ。森の主として存在し続けることを背負わされたおれの、花嫁に。

「おれは、めぐみの願いを叶えてあげられる」

 めぐみは顔を上げた。涙で濡れた頬を拭ってやろうとして、おれは手を止めた。枝葉でできた手では、涙を拭うどころか頬を傷つけてしまう。  代わりに、頭に引っかかったままにしておいた小鳥の羽で頬を撫でる。涙はちっとも拭えなかったけれど、めぐみが「うふふ」と笑った。初めて見ためぐみの笑顔はやっぱり可愛らしく、おれの魂までもあたたかくなるものだった。

「めぐみの願いを叶えてあげるから、代わりに、おれの願いも叶えておくれ」 「なぁに?」

 泣き止んだめぐみは、自分で自分の頬を拭った。  今ならば触れてもいいだろうか。めぐみの頬にそっと触れる。触れるだけにとどめる。  めぐみはおれを怖がりもせず、枝葉が痛いと文句を言うこともせず、俺を見上げた。

「めぐみに、お嫁に来てほしい」 「およめさん」

 めぐみの顔が曇った。めぐみは困ったように俯いてしまった。  嫌だったか。それは、嫌だろう。こんな化け物の嫁になるなんて、人の子ならば御免被りたいはずだ。  しかしめぐみが表情を陰らせたのは、別の理由だった。  めぐみは地面を見つめ、暗い声で言った。

「わたし、いらないって。なれないって。おばけみたいって。ぶさいく、およめ、いけないって」

 めぐみの母は、悪い母だ。いや、母が言ったのではないかもしれない。けれどめぐみにこんな顔をさせる原因は、第一に母だろう。  おれは手を伸ばし、めぐみに傷一つつけないよう殊更注意して、めぐみの顔をおれへ向けさせた。

「さっきも言ったろう。めぐみは可愛らしいし、おれの魂までぬくもらせる心がある。おれはめぐみのそのままを愛せるし、愛するよ」

 めぐみは、おれの言葉を理解していないようだった。おれの語彙はまだ、めぐみに難しいらしい。めぐみにもわかる言葉で、おれはおれの願いを伝えた。

「ひとりぼっちは寂しいんだ。おれはとても長生きしなきゃいけない。めぐみに、一緒にいてほしい」

 寂しい。  一緒にいてほしい。  その言葉は、めぐみに伝わったらしい。  めぐみの目に哀れみが浮かぶ。哀れみでもいい。めぐみがおれの願いを、おれのそばにいることを決めてくれるのならば。  めぐみはそっと、おれの手に触れた。

「……おとななったら、およめさんなる。さびしい、やだね。おんなし」

 やくそく、とめぐみが小指を差し出した。約束だ、とおれも柔らかな枝を差し出した。  小指と枝が絡む。契約は交わされた。  おれはめぐみに蝶の|呪《まじな》いをかけ、めぐみを家へ帰した。そしてずっと、めぐみを見ていた。  幼虫が蛹になり、蝶へ羽化するように、めぐみは変貌を遂げた。母のようにと言っていたから、内面まで母に似てしまったけれど。  だがその変化も、大人になるまで。十五になるまでのこと。おれの元へ来れば|呪《まじな》いは解け、優しいめぐみに戻る。  おれは待った、めぐみが十五になる日を。  十年の月日は、永久を生きるおれにはあっという間のはずだ。だのに、ただめぐみを見ているだけの月日は長かった。花嫁を待つ十年は、長かった。  めぐみが生まれてきっかり十五年になったその日。おれはめぐみを迎えに行った。めぐみはすっかり背が伸びて、大人になっていた。これならば、森での生活にも耐えられるだろう。  そう思って迎えに来たのに、めぐみは「まだ大人じゃない」と言い張った。

「十五歳はまだっ、子供だから!」

 それは嘘ではないらしい。人の世の決まり事は、おれが人と関わっていた頃から変わっているようだ。

「じゃあ、大人は何歳になった?」

 おれたちが交わした約束は絶対の〝契約〟だ。嘘はつけない。めぐみが渋面を作って「十八」と答えたのは、そういう理由からだ。

「じゅ、十八で……今は、大人……」

 あと三年。あと三年待つ必要がある。  十年待ったのだ、三年なんてほんの一瞬――と言えればよかった。焦がれた十年に比べれば、瞬きの間だ。それでも、三年は長い。  めぐみは賢くなった。おれとの再会を覚えていれば、何か謀略を巡らせるかもしれない。

「ではもう三年、待つよ」

 めぐみの頭をひと撫でする。めぐみは眠たげに目をとろけさせ、ぼんやりうなずいた。これで、めぐみは今日の再会を思い出せなくなる。十八になるその日まで。  それからおれは、また三年待った。きっかり十八になるのを待った。  十八になっためぐみは、学校なる場所で友人らに祝われていた。周りから「大人」と認められていた。  今度こそ、おれはめぐみを連れて行く。もう言い訳はさせない。さあ、約束を果たそう。

「迎えに来たよ、お嫁様」