小学四年の夏休み。私とお兄ちゃんは、一足早くおじいちゃんちにやってきた。お父さんとお母さんはまだ仕事。お父さんと電車に乗って、おじいちゃんと合流して、そこからはおじいちゃんのトラックで移動。 おじいちゃんちはすっごく田舎。昔はすごい家だったみたいだけど、今じゃちょっと大きいだけの、おじいちゃんが一人で暮らすには不便な家。おじいちゃん頑固だから、不便だなんて意地でも認めないけど。 おじいちゃんちはWi-Fiすらなくて、動画も見れない。せっかくタブレット持ってきたのに、つまんない。 私とは反対に、二つ上のお兄ちゃんは楽しそう。おじいちゃんと一緒につまんないニュース番組見たり、宿題したり、自由研究用の虫取りに出かけたりしてる。お兄ちゃんは田舎が楽しいみたい。羨ましい。私は都会のほうがいい。早くお父さんとお母さんも来てくれないかな。 お兄ちゃんは楽しんで、私は退屈に過ごした数日間。ようやく、明日にはお父さんたちが来るという日の前夜。おじいちゃんが、私たちを置いて寄り合いに出ることになった。 昼間、近所のおじさんが、おじいちゃんのところへ転がり込むようにやってきたせいだ。
「■■■■■が出た」
おじさんが、おじいちゃんにそう言っているのを聞いた。でも■■■■■が何かはわからない。聞こえたのに、聞き取れなかった。 それは良くないものらしい。おじいちゃんの顔がみるみるうちに険しくなったから、そう言い切れる。 おじいちゃんはその人を家に帰して、あちこちに電話をかけた。どこそこに集まれ、今すぐだ、と最初は言っていたけれど、帰省した家族がいるからか、誰も彼も渋っているらしい。
「おじいちゃん、何の電話してんの?」
電話をかけるおじいちゃんの背中を見ながら、こっそりとお兄ちゃんに尋ねる。お兄ちゃんもこっそりと「寄り合いだよ」と教えてくれた。
「公会堂に集まれって言ってたし、寄り合いだと思う」 「ヨリアイって何?」 「職員会議の村の人バージョン」 「ふうん」
お兄ちゃんが説明してくれても、おじいちゃんは補足もしない。何か考え込むように、難しい顔で、厳しい顔で、出かける準備をした。 電気をつけてもまだ薄暗く感じる玄関で、お兄ちゃんと二人、おじいちゃんを見送る。おじいちゃんは振り向いて、私たちに言い聞かせた。
「絶対に家から出るんじゃないぞ」 「大丈夫だよ」
お兄ちゃんはにこにこ笑ってうなずいてる。それがおじいちゃんには頼りなく見えるのか、難しい顔がますます難しく歪んだ。
「もし家で何かが出たら……」 「大丈夫、覚えてるって」 「いいか、お前は兄貴なんだ。しっかり妹を守れよ」 「大丈夫だってば。早く行っておいでよ、じいちゃん」
おじいちゃんはもう一度同じやり取りをしてから、心配そうな目で私を見て、夜の闇に溶けていった。 今から、この家には私とお兄ちゃんの二人きりだ。
「テレビでも見よっか」
そう言って、お兄ちゃんが居間へ歩き出す。私は「待ってよ」と追いかけ、明かりの届かない暗がりを見ないよう走った。 居間では、お兄ちゃんは自由研究の結果をノートにまとめていた。私はというと、宿題もせず、かといってお風呂に入るのも怖くて、つまらないニュース番組を見ていた。 お兄ちゃんに倣っていい子になったわけじゃない。古いテレビで、チャンネルの変え方がわからないだけだ。 家だったら動画もSNSも見放題なのになぁと頬を膨らませていたら、ぷつん、と音を立ててテレビが真っ暗になった。お兄ちゃんの意地悪かと思ったけれど、お兄ちゃんはそんなことしない。 天井の電球が、明滅を繰り返す。誰かが面白がってスイッチで遊んでいるような、そんな様。 お兄ちゃんが、私の向こう、暗い廊下を見て「あ」と声を上げる。振り向いても、私の目には廊下の闇しか見えない。
「なんなの?」
お兄ちゃんは一言「オバケのオバケだ」とだけ言って立ち上がった。何それ?
「隠れなきゃ」
私の手を引き、廊下と反対の障子を開けたお兄ちゃんは、部屋を移動し始めた。いつもは優しいのに、今私の手を引っ張る力は強い。
「痛いよ、お兄ちゃん」 「しぃ、静かに」
お兄ちゃんは私を振り向かず、障子を開けて部屋をいくつも通り過ぎて、廊下に出た。 電気もついてない暗闇なのに、お兄ちゃんは見えてるようにスタスタ歩く。 音もなく障子を開けたお兄ちゃんは、また別の部屋へ入った。そこは、お父さんが子供の頃使っていた部屋だった。お兄ちゃんは私の手を引いたままずかずか入っていくと、押し入れの襖を開けた。
「ほら、入って」 「押し入れに⁉」 「こら、静かに」
でも、だって、押し入れなんて。こんな真っ暗なのに、何年も使われてない部屋の押し入れに入るなんて!
「やだよ、怖いよ、汚いよ」 「見つかるよりマシだよ。よいしょ」
嫌がる私の言葉も聞かず、お兄ちゃんは押し入れに入り、私のことも引っ張り込んだ。お兄ちゃんの手で奥へ押しやられる。何かカサカサしたものが手に当たって、びっくりして声が出そうになった。 辛うじて悲鳴を上げなかったのは、それが紙とわかったから。破れた紙が、落ちている。何の紙かは、暗くてよく見えないけれど。
「オバケのオバケって何なの? 押し入れに隠れなきゃいけないくらい怖いの?」
お兄ちゃんは「そうだよ」とうなずき、細い細い隙間を残して襖を閉めた。お兄ちゃんは外の様子を窺いながら、「じーちゃんが言ってた」と話し始めた。
「オバケのオバケに見つかると、僕らは食べられるみたい」 「何それ。何なの? ほんとにいるの?」
いるよ、とお兄ちゃんはうなずく。そこは、いないって答えてほしかったのに。 私が泣きそうになっているのに気づいたのか、お兄ちゃんは慌てて振り向いた。
「大丈夫、見つからなければどこかに行くよ」 「何で私たちを食べようとするの? オバケのオバケって、何なの?」 「じーちゃんのじーちゃんの、そのまたじーちゃんが退治した悪いオバケだよ」 「退治したのに、何でまだいるの?」 「退治されたのを恨んで、オバケのオバケになったんだ」
それが、オバケのオバケ。オバケなのにまたオバケって、変なの。訳わかんない。 そうやって話してる間に、目が暗闇に慣れてしまった。そのせいで、暗闇にいる《《何か》》に気づいてしまった。 お父さんより大きくて、背中が曲がってて、目が赤く爛々と光っていて、何か呻いてる。 赤く光る目が、あっちへ、こっちへと移動する。それは、私たちを探しているような動きだった。 私は声を目一杯潜め、お兄ちゃんの袖を引いた。
「押し入れにいたら見つかっちゃうよ、外に出ようよ」 「大丈夫、じーちゃんがお札を貼ってくれてるはずだよ」
お札? それって、もしかして。 ついさっき手に触れた紙を手繰り寄せ、スマホのライトでそっと照らす。
「お兄ちゃん、お札ってこれ?」
尋ねると、お兄ちゃんは私の手元を覗き込んで「うん」とうなずいた。 だけど……だけどこれ……。
「破れてるよ、お兄ちゃん」 「古かった……みたいだね」 「ねえ、ねえ、お兄ちゃん」 「あ」
背筋を、蟲が這いずるような嫌な予感が走った。 隙間から見える廊下で、赤い目がまっすぐこっちを見ているのが見えた。
「見つかった」
お兄ちゃんが音を立てて襖を閉める。廊下から、どたどたと足音が聞こえる。 足音は、押し入れの前で止まった。 お兄ちゃんが私に覆い被さる。「大丈夫だから」と切羽詰まった声で言っている。 そこから先を、私は知らない、わからない。 最後に聞いたのは、押し入れが開けられる、すぅ――という音。