目次
※ 一部AIを使用して書きました。
一
篠原こよみは、虫も殺せない内気な女子中学生だった。 廊下を歩けば壁に寄り添い、教室ではいつも隅で小さくなっている。友達と呼べる相手はいない。休み時間は一人で本を読み、放課後は誰より早く帰路につく。そんな毎日を送っていた。 そんなこよみがただ一つだけ、心を震わせるものがあった。クラスメイトの高森玲だ。 同じクラスなのに、こよみは玲を遠くから眺めることしかできなかった。声をかける勇気もなく、ただ授業中に横顔を盗み見て、廊下ですれ違う瞬間に胸を高鳴らせるだけ。
「あ」
玲が声を発すれば、みんなが一瞬息を潜めて続きを待つ。
「田中さん、ヘアゴム落としたよ」
玲の声が教室に響く。品のある、でもどこか少年のような話し方だ。田中さん、と呼ばれた女子生徒は慌てて身を翻し、玲の元へ走る。
「ごめん、高森さん。拾ってくれてありがとう」 「どういたしまして」
にこりと笑うその顔は中性的でありながら端正で、まるで舞台の上の王子様のよう。それでいて仕草は優雅で上品。クラスの男女問わず、玲と関わりたがっているのはこよみにもわかった。
「高森さんってほんと素敵だよね」 「あんな風に生まれたかったなぁ」
休み時間、女子たちがひそひそと囁き合う声が聞こえる。こよみも似たような気持ちを抱いている。だがこよみはその輪に入らない。こよみが抱える想いは、もっと重く、粘ついたものだった。 玲がクラスメイトと笑うたび、こよみの胸はきしむ。その笑顔が自分に向けられたものでないことが、耐え難かった。
「いいなぁ」と誰かが言った。でもこよみは、それじゃ足りなかった。欲しかったのは、見ているだけでは届かないものだった。これは嫉妬なのか、焦がれる気持ちなのか、自分でもよくわからない。ただ、そのどす黒いものが、日ごとに濃く、底のほうでとぐろを巻いていくのがわかっていた。 ある日、こよみは奇妙な噂を耳にした。
「旧校舎の鏡の前で『先輩、おまじないを教えて下さい』って言うと、恋が叶うおまじないを教えてくれる『先輩』が現れるらしいよ」
馬鹿げた話だと思った。けれどその夜、ベッドの中で玲の笑顔を思い浮かべていると胸の奥がぎゅっと締めつけられた。 このまま何もしなければ、きっと三年間が過ぎても、玲とは一言も話せないまま終わってしまう。それは……それは、嫌だった。 次の日の放課後、こよみは旧校舎に足を向けていた。
***
二
旧校舎は昼間でも薄暗く、廊下には埃の匂いが漂っている。放課後に足を踏み入れればそこは昼間以上に暗く、夕日とのコントラストで影が際立つ。一言で表せば、放課後の旧校舎は不気味だった。玲のことがなければ、内気で臆病なこよみが旧校舎に来ることなんて一度たりとも有り得なかっただろう。 噂の鏡は階段の踊り場にあった。古い姿見で、縁の装飾が剥がれかけている。何年も放置され、鏡は曇っている。しかしちょうど顔を映せる高さだけは、曇っていなかった。 こよみは鏡の前に立ち、小さな声で呟いた。
「……先輩、おまじないを教えて下さい」
しばらく何も起こらなかった。やはり馬鹿げた話だったのだと思った時、鏡の表面が水のようにゆらりと揺らめいた。そして、誰かがプールから上がるようにざぱりと浮かび上がった。 古い制服を着た女性だった。顔の輪郭も、瞳のかたちも、玲とどこか似ている。けれど笑った瞬間、すべてが違って見えた。それは人に向けるための笑みではなく、内側で別のものが蠢いているような、歪んだ〝何か〟の表情だった。
「やあ、君が僕を呼んだのかい?」
声の端々に芝居がかった調子のある声だった。親しげなのに、どこか他人行儀で、本心の形が見えない。それは、人を真似ているだけの口ぶりに思える。「僕」と名乗ったときだけ、ほんの少し音が跳ねた気がした。 こよみは震え声でうなずいた。
「あ、あの……私、恋を……叶えたくて……」 「ふうん」
相手は首を傾げ、面白そうに笑った。
「その願い、叶えてあげてもいいよ。でもその前に、花を持ってきて」 「花?」 「そう。校庭にあるでしょ? 綺麗な花を一輪、摘んできてよ」
こよみは言われるままに花壇へ向かい、小さな白い花を摘んで旧校舎へ戻った。『先輩』がいっそ消えていてくれればいいと願ったが、鏡から出てきた『先輩』は鏡にもたれてこよみを待っていた。
「来た来た」
そう言ってにやにや笑った『先輩』は、こよみに花を床へ投げるよう指示する。こよみがその通りにすると、『先輩』はさらりと言った。
「それを踏み躙って」 「え?」 「あれ、わからない? こうやって、踏み潰すんだよ。ぐりぐりって、形がなくなるまで」
こよみは躊躇した。花を潰すなんて、そんなひどいことしたくはない。けれど玲の顔が頭に浮かび、震える足で花を踏みつけた。 白い花弁が、無残に床の上を散った。 こよみが花を踏み躙ったのを見て、『先輩』はにっこり笑った。
「これで恋のおまじないが始まるよ」
そして『先輩』は、薄っぺらな笑みを浮かべたまま、軽い調子で付け加えた。
「でも気をつけてね。このおまじないは絶対に誰にも見られちゃだめ。誰かに見つかったら……」
『先輩』は言葉を濁したが、その笑顔は相変わらず信用ならない。まるで面白い冗談でも言っているかのような表情だった。
「まあ、君なら大丈夫だよね」
大丈夫ではない。誰かに見つかったらどうなるのか、こよみは気になった。けれど『先輩』は明かさず、「さぁ帰った帰った」と手を振りこよみを追い返し、自分は鏡に沈んでいくだけだった。
***
三
翌日、奇跡が起きた。 廊下で玲とすれ違った時、玲がこよみに微笑みかけたのだ。それだけでこよみの一日は輝いた。 授業中も玲の笑顔が頭から離れず、家に帰ってからも幸せな気持ちが続いた。 しかしそれは、一日だけだった。 次の日、玲の視線はもうこよみを捉えていなかった。まるで昨日のことなど忘れてしまったかのように、いつもの日常が戻っていた。 昼休み、こよみは再び旧校舎に向かった。
「あらら、それは大変。効果が薄れちゃったんだね」
こよみの話を聞いた『先輩』は同情したような声と表情でこよみを哀れんだ。しかしその声と顔はわざとらしい。明らかに演技をしている、薄っぺらいものだ。
「じゃあ次は虫の頭を持ってきてよ」
にこりと微笑みながら言われ、こよみはたじろいだ。虫なんて、触るのも嫌だ。けれどそれで玲の心がこちらに向くのなら――。 こよみの心が揺れ動くのを後押しするように、『先輩』は「大丈夫さ」と耳元で囁く。
「花の時と一緒さ。ぷちりと千切って、僕の前で踏み潰して踏みにじってくれればいい。簡単だろう?」
玲と似た声で囁かれ、背筋が粟立つ。そして虫の頭を毟る想像をして、鳥肌が立つ。 虫の頭。虫なんて好き好んで触ったことなど一度もないのに、ましてや殺すなんて。 だが、しかし。 こよみは玲の笑顔が欲しかった。玲の視線をもう一度自分へ向けたかった。 こよみはうなずき、放課後、校庭で虫を探した。 常に日陰になっている場所を探し、石をひっくり返せば、気味の悪い虫がいた。逃げようとする虫を捕まえ、目を瞑って頭をもぐ。そして旧校舎に駆けてゆき、『先輩』の前でそれを踏み潰した。ぷちっと嫌な音が響き、こよみは吐き気を覚えた。
「よくできました」
まるで玲に褒められているような、けれど決して玲が出さないような声で褒められ、こよみはめまいがした。足下が覚束ないまま、こよみは旧校舎を後にした。 翌日の昼休み。 こよみは図書室にいた。いつものように、一人で本を読んでいたのだ。普段、玲は図書室に来ない。課題で図書室内の本でも指定されない限り来ることはない。なぜなら、玲を好む生徒たちが玲を取り囲み、話しかける輪が途切れないからだ。 しかしこの日、玲は図書室に来た。それも一人で。こよみは胸を高鳴らせた。 玲は迷いなく本棚へ向かい、そこから一冊抜き取るとこよみの正面に座った。そしてこよみにちらと目線をやり、切れ長の目を見開いた。
「篠原さん、その作家好きなの?」
こよみが読んでいたのは恋愛小説だ。もう長く恋愛小説を書いている女性作家のものだ。名前を呼ばれ声も出せないこよみが何度もうなずくことで同意を示すと、玲は嬉しそうに頬を染め「僕も」と自分を指さした。
「僕もその作家さん、好きなんだ。ほら、今読もうと思ったのも……」 「ほんとだ……。高森……さんも、恋愛小説、好き?」 「好きだよ。柄じゃないって言われるから、あんまり人前で堂々と読めないけど」 「そんなこと……」 「ふふ、気を遣わなくていいよ。ああ、でも、嬉しいなぁ。教室で話す子たち、あんまりこういう本読まないみたいで」
司書の咳払いが図書室に響く。玲とこよみは口をつぐみ、それからくすっと笑い合った。
「また話そうよ」 「う、うん、ぜひ……!」
玲はにこりと微笑み、本に目線を落とした。会話はそこで終了だった。だがこよみには大満足どころか、一生ものの思い出になる出来事だった。 次の日には、玲の落とし物をこよみが拾った。可愛い猫の刺繍が施されたハンカチだった。こよみが勇気を振り絞って声をかけると、玲はパッと振り向き「ありがとう」と微笑んだ。
「これ、おばあちゃんが刺繍してくれたハンカチなんだ。拾ってくれてありがとう、篠原さん」
また、名前を呼ばれた。嬉しさに声が出なくなったこよみはぶんぶんと首を振り、その場を走り去ってしまった。そうでもしないと、心臓が破けてしまうような気がした。 それからも毎日、何かしら玲との接触があり、名前を呼ばれた。こよみは毎晩「篠原さん」と呼んだあの声を思い出してはじたばたと暴れ喜んだ。 しかしその喜びも、数日で終わりを迎えた。
***
四
旧校舎へ駆け込み、次に要求されたのはカエルの頭だった。この時期にカエルがいるかどうか、なんてこよみには関係ない。いなければいそうな場所を掘り返すだけだ。用務員室の用具入れから勝手に拝借したショベルを使って。 幸いと呼ぶべきか、不幸と呼ぶべきか、こよみの通う中学の近くには蓮の生えた池がある。そこを適当に掘り返せば、カエルはいた。カエルを掘り出したこよみは、目を逸らしながらショベルをカエルの首目がけて振り下ろした。 ざくりという音と共に、緑色の頭が転がった。そして緑の頭は、旧校舎の鏡の前でぶちゅりと嫌な音を立てて踏み躙られた。こよみは背筋が粟立つのを感じながらも、これで次はどれほど玲に近づけるだろうかと考えていた。
嫌悪感の代償は、玲との読書会だった。同じ女流作家が好きという共通点から、二人は昼休みの図書室で感想を言い合った。昼休みの玲を独占したせいでクラスの女子から嫌がらせや暴力を受けることも多々あったが、こよみは気にしなかった。玲を独り占めできる時間がある。これ以上ないほどの幸せがあるのに、どうしてほかに目を向けられよう。 しかしその幸せな時期も、半月ほどしか続かなかった。玲はファンとも呼べる女子たちにしつこく食い下がられ、図書室に来ない日が増えた。いや、図書室に来なくなった。
次に旧校舎へ駆け込んだこよみに『先輩』が求めたのは、トカゲの頭だった。こよみは、今度は一切の躊躇なく一撃でトカゲの頭を落とした。そして『先輩』に言われるより前に、鏡の前でトカゲの頭を踏み躙って見せた。『先輩』は手を叩いて喜び、こよみに玲の友人というポジションを約束した。 しかしそれは、数ヶ月のこと。玲の友人として数ヶ月を過ごしたこよみには、もうおまじない無しで玲に関わるなんて考えられなかった。
「友達じゃ足りない、もっともっと長く、ずっとそばにいたいの。私は玲の、特別でありたいの!」 「それじゃあ次は猫の頭を持っておいで。足で踏み潰すのは大変だろうから、道具を使ってもいいよ」 「わかった。その代わり今度は、私を玲の特別にして」 「おまじないにそこまで期待されてもねぇ? まぁいいや。とにかく猫の頭を持っておいで。話はそこからだ」
次は、猫。こよみは学校の近くをうろつく野良猫を、キャットフードで餌付けした。缶詰を開ける音で近づくほど懐いた頃、学校から持ち出したショベルで殴り殺した。こよみにはもう、倫理などという高尚なものは残っていなかった。ただ玲の愛が欲しい、それだけだった。 猫の死体を片手に、旧校舎へ足を運ぶ。その後ろを誰かがついて来ているとも知らず。 鏡の前で『先輩』は待っていた。玲に似た顔で、悪意に満ちた笑みを浮かべて。
「いいものを持ってきたね。よく効きそうだよ、今度の供物は」
こよみの頭に、玲と良き友人として過ごした日々が浮かぶ。 一緒に帰った放課後、お弁当を分け合った昼休み、図書館で勉強会をした休日。その日々がまた帰ってくるのだと、こよみは喜びショベルを振り上げた。 しかし、こよみの手を止めさせた人物がいた。
***
五
本庄千夏は、玲に密かな恋心を抱いていた。だからこそ、玲の変化に気がついた。 篠原こよみとの付き合いが始まって以来、玲の様子はおかしい。時折表情が虚ろになったり、目つきがどこか焦点を失ったりと、明らかに以前とは様子が違っている。 千夏は思い切って、玲に忠告することにした。
「高森さん、あの篠原って子と関わりだしてから変だよ。あんなのに近づかないほうがいいよ」
しかし千夏の思いと反して、玲は首を振った。
「篠原さんは優しいよ。趣味も合うし、僕、もっと仲良くなりたいと思ってるんだ」
その言葉を聞いた千夏の胸に、嫉妬と不安が渦巻いた。玲がそんなことを言うなんて、やはり何かおかしい。千夏はこよみが何かしているはずだと決めつけ、確かめることにした。 そうしてこよみをつけ回していた放課後、千夏は決定的な瞬間を見た。 こよみが猫を殴り殺す瞬間だ。 あまりのことに、証拠は残せなかった。けれどこよみが猫の死体を持って校舎へ戻るところは写真に残せた。そのまま、千夏は足音が聞こえないよう距離を取ってこよみを追いかける。こよみは、千夏の尾行に気づいていないようだった。 そうして後をつけた千夏が旧校舎で見たものは、悪夢のような光景だった。 鏡の前で猫の死体にショベルを突き立て、その頭を落とすこよみ。そしてそれを鏡に向かって差し出し、何かに向かって語りかけるこよみ。鏡の中に浮かび上がる、古い制服の不気味な影。 声を立てないでいるのが精一杯だった。今すぐにでも、千夏はここから逃げ出したかった。しかし逃げ出せない。古い制服を着た不気味な影が、千夏をじっと見ているからだ。 そうしているうちに、こよみが動く。
「これを潰したら、私を玲の特別にして!」
そう叫んで、こよみは猫の頭へショベルを振り上げた。
「きゃあ!」
千夏の悲鳴が踊り場に響いた。こよみが振り返る。二人の視線が交錯した瞬間、千夏の中で何かが弾けた。
――逃げなきゃ!
しかし動いたのはこよみが早かった。こよみは走った。千夏は背を向け逃げようとしたが、足がもつれて走れなかった。覚悟の差が、生死を分けた。 千夏の頭にショベルが食い込む。激痛に千夏は叫ぶしかできない。「やめて」と叫んだはずだった。「誰にも言わないから」と懇願したはずだった。しかしそのどれも、こよみの耳に届かない。 痛みが消えると同時に、千夏の意識も永遠に消え去ってしまった。
***
六
血まみれの床に、千夏の亡骸が横たわる。こよみは震える手で血飛沫を拭った。『先輩』は楽しげに鏡にもたれかかったまま、目の前の惨劇を見ていた。息を整えるこよみに、『先輩』は「よくできたねぇ」と優しい声をかける。
「これで、猫の頭を使うより強いおまじないができるよ?」
こよみは床に転がる千夏の頭を見つめた。それは確かに、こよみが用意できる最高の供物だった。これならば玲を完全に自分のものにできる。そう考えるだけで、こよみは笑みが浮かぶのを堪えられなかった。
「これで玲は……私を好きになってくれるよね?」
『先輩』は何も言わない。否定するでもなく、肯定するでもなく、にこりと笑うだけ。 こよみは視界の端、先輩が寄りかかる鏡の奥で、玲がこちらを見て微笑む幻想が映った気がした。その笑顔は、今までで一番美しく見えた。 こよみは千夏の首目がけて、ショベルを振り下ろした。骨に当たり、なかなか首は落ちない。けれどこれはどうしても捧げなければならない。これを捧げれば、玲は永遠に自分だけを愛してくれるはずなのだから。
窓から夕日が差し込む。むせかえるような血のにおいと影が混じり合って、不気味な色合いを作り出していた。