「美優、スタバ行くー?」 「んーん、今日DVD届くから帰るー」 「外れたライブの?」 「そう!」
試験前で部活動のない、ある日の放課後のこと。友達とこんなやり取りをして、私は教室を出た。 歩きながら窓の外を見て、やだなぁと顔を顰める。バス通学の私は、バス停まで歩かなきゃいけない。なのに今日の天気は雨。朝も雨だったから、傘はちゃんと持ってるけどさ。 靴下が濡れるなぁとか、鞄がしっとりしちゃうなぁとか、そんなことを考えながら下駄箱で靴を履き替えて、昇降口を出た。傘を広げようと軒下に立って、そこで初めて、隣のクラスの鈴木さんがいるのに気づいた。
鈴木さんは隣のクラスの女の子。知的でクールでミステリアス。話しかければ笑顔で応対してくれるけど、ミステリアスな雰囲気に私は近寄りがたさを感じていた。 だけど同時に、憧れもあった。自他共に認める子供っぽさは鈴木さんと正反対。クールで大人な鈴木さんから見た世界はどんな風なんだろうといつも気になってた。 鈴木さんは私と同じバス通学で、路線も同じ。だから毎朝同じバスに乗っている。乗り込む直前までは、今日こそ鈴木さんに話しかけるぞと意気込んでる。だけどいざ鈴木さん本人を見ると、その知的でミステリアスな雰囲気に負けてしまう。吊革に片手で掴まって、もう片手で文庫本を読んでるなんて、そんなかっこいいことしてる人に「鈴木さんていつも何考えてるの?」なんて聞けないよ!
そんな憧れオブ憧れの鈴木さんが、困った顔で雨宿りしてる。傘を忘れちゃったのかな。朝も雨だったから、それはないか。じゃあ、傘を盗られちゃったとか? バスの出発時間が迫ってる。雨が止む気配はない。待ってたら乗り遅れる。鈴木さんに話しかけるなら今しかない。今だ私、頑張れ私、話しかけろ私! 勇気を振り絞って出した声は、ひっくり返っていた。
「鈴木さん! 良かったら一緒に、入らないっ?」
鈴木さんはきょとんとして、私と私が手に持つ大きな傘に目をやった。それから鈴木さんは、花が綻ぶような笑顔を見せてくれた。
「いいの? それなら、一緒に帰ろうかな。山田さん……だったよね」
同じバスだよね、と鈴木さんが確かめる。通学時間が同じことを知ってくれてるなんて、夢みたい! 夢じゃないかなと頬を自分の頬をつねってみたら、しっかり痛かった。「何やってるの?」と笑う鈴木さんは、存外人懐っこそうな印象だった。 鈴木さんに傘を差し掛け、私はウキウキと軽い足取りでバス停へ向かった。
鈴木さんって普段何の本読んでるんだろう。 鈴木さんは教室でどんなこと話してるんだろう。 鈴木さんって家ではどんな風に過ごしてるんだろう。 何を話そう、どうやって切りだそうと悩んでいたら、鈴木さんは「助かったよ」と息を吐いた。
「傘に花が咲いちゃってね。どうもここが気に入ったらしいんだ」
ほら、と見せられたのは、地味な色の折り畳み傘。傘、盗られた訳じゃなかったんだ。よかったと安心すると同時に、傘が柔らかく閉じられていることに気づく。まじまじと観察すると、閉じた傘の内側に鮮やかな花びらが見えた。赤に近いピンクは、シクラメンだ。 ゆっくりと、折り畳み傘が広げられる。傘の内側には、シクラメンがみっしりと咲いていた。鈴木さんは「何でこんなところに咲いちゃったかな」とため息をつき、傘を閉じた。
「せめて内側じゃなく、太陽の見える外側に咲けばいいのに。そうすれば数時間の命も多少延びたはずだよね」
困った花だねと肩を竦める鈴木さんは、困ったような、呆れたような、寂しそうな顔をした。 鈴木さんは、花を引き寄せる人だ。中学校に入ったばかりの頃、鈴木さんの周りに花が咲いたものだから、学校中の誰もが知ることになった。 鈴木さんに引き寄せられた花は、場所を問わず季節を問わず、どんな日でもどんな場所でも平気で咲く。たとえプロの園芸家でも、あんな見事な花を咲かせることはできないんじゃないかな。そう思うほど、見事な花が咲く。 でも、鈴木さんのそばで無理に咲いた花は数時間で枯れてしまう。鈴木さんは、自分のそばで枯れてしまった花を、いつも丁寧に埋葬する。決して、ゴミ箱へ捨てたりなんかしない。
「鈴木さんは、そうやって咲いた花に困らされても、ゴミ扱いしないから偉いよね」
いつも感心していたことを、素直に言葉にする。けれど鈴木さんは首を振った。
「土に還って仲間の命を支えられるなら、悲しくないんじゃないかっ思っただけだよ」 「そういうところが、優しいなって思うよ。花もさ、そういう優しさを向けられたくて、鈴木さんのそばで咲くんじゃないかなぁ」
私の台詞に、鈴木さんは苦笑いを浮かべた。
「だとしても、数時間の命を何度も見せられるのは、ちょっと堪えるかな」
花たちは自然の摂理から外れた場所で咲き、瞬く間に枯れていく。散っていくだけならばまだ、華々しさに見惚れただろうに。 鈴木さんはそんなことを言って、目を伏せた。落ち込んでるらしい。気分も沈んでしまってるらしい。何とかして励まさなきゃ。元気を出してもらわなきゃ! ああでも、どうやって慰めればいいんだろう? 頭をフル回転させて出たのが、〝形に残す〟だった。
「枯れるのが悲しいなら、ドライフラワーにしたらだめかな? あ、それだと時間かかっちゃうか。ええと、押し花にしちゃう?」 「押し花……」
鈴木さんは口元に手を当て考え込んだかと思うと、「そうだね」とうなずいた。
「花が嫌がらなければ、試してみるよ」
花のことで困ってるのに、その花の気持ちを大事にしている。鈴木さんのそういうところが、花を引き寄せちゃうんだろうなぁ。そう思っただけど、今度は口を噤んだ。本当は「優しいね」って伝えたかったけど、バスが見えたから仕方ない。 私と鈴木さんは「待って!」と叫んで、出発しようとするバスへ乗り込んだ。 駆け込み乗車、ダメ絶対な雨の日から数日後。鈴木さんが、HR前に私のクラスにやってきた。
「よかったら、もらってくれないかな」
差し出されたのは、あの雨の日の花で作った栞だった。
「もらっていいの? 私が?」 「押し花にすればってアドバイスしてくれたから、お礼に……って思ったんだけど、迷惑だったかな」 「迷惑なわけないよ!」
あんまり本は読まないけど、鈴木さんがくれた栞を使うためなら六法全書だって読んでみせる! 受け取った栞をあらゆる角度から眺めて喜ぶ私を見て、鈴木さんは照れくさそうに笑った。
「山田さんのお陰で、見送るばかりじゃなくていいってわかったよ。ありがとう」
いつもの大人びた笑顔じゃなく、同じ年頃の子らしい笑顔だった。その顔が可愛くて、親しみやすさがあって、私は思わず鈴木さんの手を取っていた。
「私っ、ずっとずっと、鈴木さんと友達になりたかったの!」 「え?」
ぽかんと口を開けた鈴木さんを、真剣に見つめる。鈴木さんの手は、びっくりするくらい冷たかった。 鈴木さんはまだぽかんとしてる。辛抱強く返事を待ってると、私の言ったことを理解した鈴木さんは、あはっと声を上げて笑った。
「山田さんてば、大げさだなぁ。普通に『今度遊ぼ』とかでいいのに」
鈴木さんが笑うから、私は恥ずかしいことを言ってしまった気になってきた。実際、結構恥ずかしいことを言った気がする。しかもここ、教室だし。みんながすごく見てくるし。 鈴木さんの手を包んだまま、私はしおしおと萎れた声で「だって」と言い訳をした。
「鈴木さん、大人っぽくてかっこいいから、私みたいなの相手してもらえないって思って……」 「大人っぽくなんかないよ。テンション低いってよく言われる」
笑ってごめん、と鈴木さんは私の手を握り返した。
「それじゃあ早速、今日の昼休みは一緒にお弁当食べる?」
答えはもちろん「喜んで」一択! ぶんぶん首を振ってうなずく私を見て、鈴木さんはまたおかしそうに笑った。だけどどこか照れくさそうに見えるのは、私の願望かな。
「お昼が楽しみだね」
そう言った鈴木さんの肩に、ぽぽぽん、とたんぽぽが咲いた。