小鳥と星と金平糖

 小鳥の囀り、星の囁き、金平糖が欠ける音。例えるならば、そんな音。あの子の声は、そんな声。  私もあの子も、同じ中学の吹奏楽部。管楽器を演奏する部なのに、この部の女の子たちは私以外、誰も彼も可愛い声。その中で一際目立つのが、きれいなあの子。  牛乳みたいに白い肌。  桜の花のようにうっすら色づいた頬。  林檎みたいな赤い唇。  チョコレート色の光る瞳。  飴細工みたいな細い髪。  それに、小鳥が囀るような、星が囁くような、金平糖が欠けるような、きれいな声  私はあの子が、羨ましくって仕方ない。  部活が終わって、帰り支度をしながらのおしゃべりタイム。きれいなあの子は、誰とも話さず支度。鞄を肩にかけ、きれいなあの子が一人でさっさと帰ろうとする。私は思わず袖を掴んで、あの子を引き止め尋ねた。

「どうしたらそんな声になれるの?」

 あの子の声は、きれいな声、可愛い声。尋ねる私の声は、がらがらうるさい、太い声。女の子に思えないって言われる、嫌な声。  突然話しかけた私を振り向き、あの子はちょっと驚いた顔を見せた。白い肌に飴色の髪がふわりとかかって、甘い香りが鼻をくすぐる。あの子のチョコレート色の目が細くなる。あの子は「そうねぇ」と優しく笑った。

「きれいで、かわいいものを食べれば、こんな声になれるわ」 「うっそだぁ」

 側で聞き耳を立てていた誰かが、間延びした声で口を挟んだ。

「生まれつきでしょ? 声なんて、食べ物じゃ変わんないよぉ」

 疑われても、あの子は怒ることなく「ほんとよ」と笑顔のまま。

「それじゃあ明日、私の小さい頃の声を聞かせてあげる」

 そう言われて翌日見せてもらったのは、画質の悪い古い動画。見せてもらうため集まったのは、私と、口を挟んだ子と、それから部のみんな。今で十分可愛い声をしているのに、みんな欲張りだ。  動画の中のあの子の容姿はあんまりきれいじゃなくて、あの子の声は私よりもがらがらしていた。スマホの画面を白く細い指で操作しながら、あの子は「ほらね」とどこか誇らしげに言った。

「小さい頃はこうだったわ。だけど、今は違うでしょ?」

 それから、吹奏楽部だけでなく、学校中の女子の間で可愛くてきれいなものを食べることが流行った。中には「可愛いから」と、ビーズや消しゴムなんかを飲み込む子まで出てきた。  当然、そこまでしたって声は変わらない。

「あの子にからかわれたのよ」

 そう言って諦める子もいた。けれど大半は、あの子が嘘をつくと思えず諦めきれなかった。私も、その一人だ。

「何を食べればいいの?」

 放課後の、誰もいない廊下。夕焼けが赤く染めるタイルの上で、私はあの子の袖を掴み尋ねていた。長く伸びた私たちの影は、重なり合って一つになっている。  私を振り向いたあの子は、赤い唇を嬉しそうに吊り上げた。夢見心地な猫のように細められた目が、私を映す。  きれいなあの子は、きれいで可愛い声で、呪文のように教えてくれた。

「りんごに、マシュマロ、金平糖。でも、何だっていいのよ。あなたが『きれい』『かわいい』って思えるものなら」

 白い指を折りながら、あの子は『可愛いもの』を教えてくれた。自分が『可愛い』と思えたら何でもいい、とも教えてくれた。私はあの子の言うとおり、可愛いものを、きれいなものを、お小遣いの前借りをしてまで食べ続けた。  次第に、あの子の言うとおりのものを食べる流行は廃れた。どうしたって声は変わらないと、諦める子が増えた。  それでも私は、諦められない。  給食を食べ終えたお昼休み、誰とも絡まず教室を出てくあの子を追いかけた。青空しか見えない、人気のない廊下で、あの子の袖を捕まえる。

「どうしたらいいの? 次は何をしたらいい? どうしたら、私もあなたみたいになれるの?」

 がらがら声であの子に縋りつき、どうすれば、どうしたらと涙をこぼす。振り向き足を止めたあの子は、んー、と小さな声で考え込んだ。  窓の向こうで、鳥が飛ぶ。囀る声は愛らしく、あの子の声のよう。羨ましくて、悲しくて、私はずるずると膝をつき、新しい涙を落とした。  うつむき泣く私の顔を上げさせたのは、あの子の白くて細い指だ。きれいな指はひんやりと冷たくて、熱い涙とは正反対だった。

「あなたは真剣ね。誰よりも真剣だわ。だから、教えてあげる」

 あの子が私と目線を合わせるように、膝を折った。  あの子のきれいな顔が、私に近づいた。  あの子の柔らかな唇が、私の唇に触れた。  マシュマロみたいな柔らかさと、バニラみたいな甘い香りで、私の世界は染められた。  頬が熱を持つ。止めようと思ったって、体温が急上昇するのを止められない。心臓がばくばくと脈打つのだって、どうしたって止められない。  あの子の唇が離れても、あの子の顔が離れても、あの子がすらりと立ち上がっても、私は惚けて動けなかった。  立ち上がったあの子が、目を細めて笑う。

「こうやって、《《きれいでかわいいもの》》を食べるといいわ」

 私、からかわれてる?  このとき初めてそう思ったけど、あの子が何一つ嘘をついてないことは、すぐにわかった。  あの子とキスをしてから、世界が違って見えるようになった。何だかどれもこれもきれいで、可愛らしくて、愛しくてたまらない。口に運ぶ何もかもが、甘くとろけるように感じる。  そして私の声は――。

「あの」

 桜舞う春が過ぎ、初夏の気配がする葉桜の頃だ。一学年上がった私は、相変わらず吹奏楽部にいた。部活を終えて帰る途中、同じ吹奏楽部の後輩が、私の袖を引いた。

「先輩みたいに、声まできれいな人になるには、どうしたらいいですか?」

 そばかすの散る、可愛い顔だ。一つひとつが星のよう。色素の薄い瞳もきれいだし、声だって、ほかの子よりほんの少しキンと高いだけだ。今だって十分可愛らしいのに、この子は。

 ――この子も私みたいになれる?

 〝私〟の中に残る昔の私が、そう尋ねる。声に出さず「もちろん」とうなずいて、私は後輩の手をそっと握った。

「私も、去年までこんな風じゃなかったわ。あなただけに教えてあげる。きれいな声、可愛い声になるにはね……」