これはあまり知られていないけれど、ドラゴンの涙は宝石になる。大抵のドラゴンはプライドが高く、泣いたことを知られるのを恥とする。こぼした涙は巣穴の深くに隠してしまう。ドラゴンが金銀財宝を持っているという話は、この習性から広まった噂だ。 人間は噂を信じ、金銀財宝を得んとドラゴンの巣を狙うようになった。一方でドラゴンは、泣いたことを知られたくなくて、火を噴いて人間たちを追い払う。 ドラゴンのところにやってくるのは、ドラゴンを倒して宝石を奪わんとする人間ばかり。ほかの動物がやってくることはない。ほかの生き物は、ドラゴンに近づかない。同じドラゴンすらもだ。ドラゴン同士、わかり合えるものもあるだろうに。
ある山に暮らすドラゴンは、狼や犬に生まれたかった。そうすれば孤独じゃなかっただろうからだ。 寂しがり屋のこのドラゴンは、時折巣穴からそっと顔を出しては、山の生き物たちの営みを見ていた。
――ああ、羨ましい。
このドラゴン、ドラゴンにしては珍しく素直な性格だった。ほかのドラゴンであれば、つがって群れる動物たちへの憧憬を侮蔑に置き換え誤魔化してしまうだろう。 素直だからこそ、寂しさがより一層深かった。
――あんな風に誰かと一緒に過ごせたらな。誰かが一緒に住んでくれたらな。そしたらきっと寂しくないし、こんな宝石を守らなくて済むのにな。
巣穴を出れば、ほかのドラゴンを探しに行けば、その問題は解決するのでは――と思うだろう。しかしそれはできなかった。ドラゴンの本能が、縄張りから出ることを許さなかった。
――守らなきゃ。この巣穴を守らなきゃ。いつか来る誰かのために。
しかしその《《誰か》》がやってくる気配はない。自分はこのまま一生|一頭《ひとり》ぼっちなのかと、ドラゴンはしくしくと泣いて暮らしていた。 ドラゴンが幾日泣き暮らしていた頃だったか。ドラゴンの住む洞穴に、ふらりと入り込む者がいた。 それは犬だった。小さな犬だ。ドラゴンは子犬だと思ったが、もう立派な成犬だったらしい。よたよたと覚束ない足取りだ。 暗闇の奥から、ドラゴンは勇気を出して話しかけた。
「きみ、迷子?」 「ああん⁉」
犬はぎゃうと吠え、今にも噛みつかんばかりにドラゴンに食ってかかった。
「迷子だぁ? 誰に向かって物言ってんだ! おれぁ立派なオスだぜ、オトナだぜ、肉だって食えるんだぜ!」 「ご、ごめんよぉ。誰かと話すなんて初めてで、その、きみの体が小さいから、まだ子供かと……」 「小さいって言うな!」
またぎゃうと吠えた犬は、どこか痛むのかその場にへたり込んでしまった。ドラゴンは、怪我をしてそのまま死んでしまう動物を何度か見てきた。この犬も死んでしまうのかと、大いに慌てた。 しかしドラゴンが慌てれば慌てるほど、犬はそれを拒絶した。
「うるせえな、ほっとけよ!」 「でも、でも、きみ」 「大した怪我じゃねんだよ。ここほかの動物寄ってこねえだろ? 少し休ませろよ……」 「うん、いいよ。いいけど……」 「ああもう、うるせえな! 寝かせろ!」
犬がどんな怪我をしていて、どんな治療が必要か、ドラゴンにはわからない。わかったとしても、ドラゴンには何もできなかっただろう。何もできないなりに、ドラゴンは犬に寄り添った。 体温が冷えそうなら、弱く火を噴き空気を暖めた。水がほしいとうわごとを言えば、おっかなびっくり巣穴から出て、水を運んでやった。 ドラゴンのお陰か、はたまた生来の頑丈さか。犬は数日休むとすっかり元気になった。 そしてこの犬は、ドラゴンの住まいを自分の塒にするようになった。
「ここをおれのねぐらとする!」 「わぁ……いいの?」 「ほかの犬も寄ってこねえからな! なんで?」 「さあ……ぼくのこと、怖いんじゃないかな」 「ふーん。こんなおどおどしてんのになっ」
犬は好きな時間に起きて好きな時間に巣穴を出て、ドラゴンの住む山から麓へと通った。暗くなり帰ってきた犬からは、ほかの犬のにおいや人々の暮らしのにおい、そのほかにもいろんなにおいがした。
「いいなぁ」
ドラゴンは思わず呟いた。自分がドラゴンでなければ、連れて行ってと巣を這い出るのに――そんな思いがこぼれた一言だった。 そんなドラゴンの呟きに、麓の村だか町だかどこからか持ち帰った餌を噛みながら、犬は「犬も大変だぜぇ?」と不満を数え上げる。 大きい奴が威張っててむかつく。 食いもんかっ攫われてむかつく。 雌を横取りされてむかつく。
「むかつくことだらけだ!」 「でも、寂しくないよ」
傷つけられたっていい。寂しさよりはましだ。 ドラゴンがそう言うと、犬は「へん!」と鼻で笑った。
「そんなの、傷つけられたことのない奴が言えることだぜ」 「そうかなぁ。たまに、人間が来て僕の宝石を狙うよ」 「人間もおかしなやつだよなぁ! ぴかぴかしたもんが好きだなんて、カラスみてえ」 「そうなの?」 「そうだぜぇ。何だよ、お前カラスも知んねえの?」
ドラゴンが知らないことを、犬はたくさん教えてくれた。カラス意外にもたくさん。 犬もドラゴンも、互いに名を持たない。だから「きみ」だとか「お前」だとか、そんな風に呼び合っていた。けれど名前なんかなくたって、呼び合うことができなくたって、|一頭と一匹《ふたり》は確かに友情を育んでいった。 それはドラゴンにとっては瞬きのような時間、犬にとってはほぼ一生をかけた時間。片割れにとっては短く、片割れにとっては長い時間だった。 あっという間に老いた犬は、ドラゴンの巣穴で眠ることが多くなった。目を覚ましても起き上がることなく、ドラゴンがいるか確認してまた眠る。ドラゴンは、犬が病気になったのかと心配になった。何をすればよくなるかわからずおろおろするドラゴンを、犬は「へん」と鼻で笑った。
「病気じゃねえよ」
老いてしわがれた声で犬は笑う。
「ご飯、最近食べに行ってないね。いいの?」 「いいんだ。それよりお前のそばにいたいから」 「どうして?」 「なんでかな、なんでだろうな。お前の横にいると、あったかいんだよな」 「そりゃあ、そうさ。火を噴くドラゴンだもの」 「そうじゃないくてさ、なんだろう。なんだかな……ほわぁっと……ほわっと、すんだぁ……」
そのまま、犬は動かなくなった。 ドラゴンは尻尾の先で、犬をそっと揺すってみた。犬は動かない。「やめろよ」と笑わない。 ドラゴンは爪の先でそろりとつついてみた。「いてぇよ」と犬は鬱陶しげに体を揺らさない。決して、動かない。 ドラゴンが「ねえ」と呼びかけても、返事をしない。 ドラゴンの目から、大きな涙が落ちてルビーと変わる。
「ああ、ああ、死んじゃった。唯一の友達が、死んじゃったよぉ」
ドラゴンの涙は宝石になる。宝石は巣穴から溢れ、山から溢れ、人里まで溢れかえった。お陰で宝石の価値は落ちに落ち、ドラゴンの涙を狙う者はいなくなった。 だからドラゴンは、今は気にすることなく涙を流し、亡き友の死を悼んでいる。