物言はぬ土人形の独白

目次

※ AIに手伝ってもらいました。


 見知らぬ奇術によって、物言わぬ私の思考を読むあなたよ。あなたがその奇術を使うたび、私は思考を晒さざるを得ない。あなたは知らずとも、あなたの指先は私の記憶に触れている。あなたには告白せざるを得ない。私がいかにして想像主たる魔女――いや、なり損ないの魔女を殺して仕舞い込んだかを。  思考を読まれることに、私は抵抗を覚えない。むしろ安堵すら覚えている。この土くれの体に閉じ込められた言葉たちが、ようやく形を得て外へ零れ出ていく。それはまるで、長い長い雨の後、ようやく大地が乾いていくような心地だ。  あなたは私の過去を覗き見る。それでいい。私はあなたに全てを晒そう。あの方との始まりから、あの方を私の内に取り込むまでのすべてを。  どうか聞いてほしい。物言わぬ土人形の、たった一つの恋物語を。


 私が〝土くれ〟から〝私〟になった日を、鮮明に覚えている。  薄暗い工房の片隅で、一人の少女が泥まみれになって何かを創ろうとしていた。それが、あの方――魔女のなりそこない、アレクサンドラだった。

「また失敗……」

 何度目かのため息が、埃の舞う空気を震わせた。あの方の手は震えていた。疲労からか、それとも焦燥からか。おそらくは両方だったのだろう。  あの方の母は偉大な魔女だった。その名は大陸中に轟き、誰もが畏怖と敬意を込めてその名を口にした。だがあの方は違った。同じ血を引きながら、あの方はいつも〝偉大なる魔女の不出来な娘〟でしかなかった。

「私だって……私だって魔女よ」

 独り言のように呟きながら、あの方は再び土を捏ねた。完全自律型のゴーレム。それがあの方が自分を証明する唯一の手段だった。誰も成し遂げたことのない偉業。それを成せば、きっと――。  私は、そんなあの方の執念の結晶として生まれた。  最後の試みだったのだろう。あの方は私の背中に、一輪の植物を植えた。それは見たこともない種だった。あの方の魔力を吸い、根を張り、芽吹いた瞬間――私は生まれた。  土くれだった私に意識が宿り、形だけだった私に意思が生まれた。最初に見たのは、涙を流すあの方の顔だった。

「できた……できたわ! 私の、私だけの最高傑作!」

 あの方は私を抱きしめた。土の体が崩れるのではないかと思うほど強く、強く。その温もりが、私の存在理由となった。  力の差で従うのではない。力ならば私が優に上回っている。契約に縛られ従うのではない。あんな契約、蝙蝠すら縛れない。私があの方に従うのは、ただひたすら、あの方を愛していたからだ。私を生み出し、それだけで何者かになれたと喜ぶ哀れな少女が、愛おしくてたまらなかったからだ。  あの方は私に名前をつけなかった。ただ「あなた」と呼んだ。それで十分だった。私にとって世界はあの方だけで、あの方にとって私は唯一無二の存在だったのだから。

***

 工房での日々は、静かで穏やかだった。  朝、あの方が目覚める前に私は薬草の整理を終えさせた。昼、あの方が研究に没頭する間、私は黙ってその横に立っていた。夜、あの方が疲れ果てて眠る時、私は変わらぬ姿勢で見守っていた。  物言わぬ私に、あの方はよく話しかけた。

「今日も母からの手紙が来たわ。『いつになったら一人前の魔女になるの』ですって」

 苦笑いを浮かべながら、あの方は手紙を暖炉に投げ込んだ。炎が紙を舐め、灰へと変えていく。その光があの方の顔を赤く照らした。

「でも、もう関係ないわ。あなたがいるもの」

 あの方は私を見上げた。その瞳には、工房の外では決して見せない柔らかな光が宿っていた。

「あなたがいれば、私は独りじゃない」

 その言葉が、私の土の体に染み込んでいく。雨が大地に染み込むように、ゆっくりと。  ある夜、あの方は膝を抱えて座り込んでいた。実験の失敗が続き、心が折れかけていたのだろう。私は何も言えない。ただ、そっとあの方の隣に腰を下ろした。

「ねえ」

 あの方が小さく呟いた。

「あなただけは、ずっと私のそばにいてくれるでしょう?」

 私はうなずいた。言葉にできない約束を、体全体で示した。あの方は安心したように微笑み、私の土の腕に寄りかかった。

「あなたの腕って冷たいけど、不思議と安心するわ」

 そう言って、あの方はそのまま眠ってしまった。私は身じろぎひとつせず、朝までその姿勢を保った。あの方の寝顔を見つめながら、私は思った。この瞬間が永遠に続けばいい、と。  あの方の言葉は、日を追うごとに私の存在意義そのものになっていった。私は、あの方のためだけに在る。あの方が私を必要とする限り、私は在り続ける。それが、物言わぬ土人形の、唯一の真実だった。

***

 あの日のことを、私は土の体に刻み込むように覚えている。

「さあ、見てちょうだい。私の最高傑作よ」

 あの方の声は誇らしげだった。集まった魔女たちの前で、あの方は私を披露した。長い間準備してきたこの瞬間に、あの方の瞳は期待に輝いていた。  だが、魔女たちの反応はというと――。

「これが?」

 最初に口を開いた老魔女の声には、失望が滲んでいた。

「ただの泥人形じゃないの。魂も持たない、空っぽの器」 「生命への冒涜だわ」

 別の魔女が顔をしかめた。

「死者を蘇らせるならまだしも、命なきものに偽りの生を与えるなんて」 「子供には危ない玩具ね」

 三人目の魔女は、私を値踏みするような目で見た。

「制御を失えば、ただの災厄。あなたの母君なら、こんな真似はしなかったでしょうに」

 母君。その言葉が、あの方の顔を蒼白にした。  魔女たちは次々と辛辣な言葉を投げかけ、そして興味を失ったように去っていった。後に残されたのは、立ち尽くすあの方と、物言わぬ私だけ。

「違う……違うわ……」

 あの方の声は震えていた。膝から崩れ落ちそうになるあの方を、私は支えることしかできなかった。

「あなたは……あなたは私の、最高傑作なのに……」

 涙があの方の頬を伝った。その一粒一粒が、私の土の体に落ちて染みを作った。  私は何も言えない。慰めの言葉も、励ましの言葉も。ただ黙って、あの方の震える肩を支えることしかできない。  もし私に声があったなら。もし私に言葉があったなら。私はあの方に何と言っただろう。

 ――あなたは間違っていない。私はあなたの最高傑作だ。ほかの誰が何と言おうと、私はあなただけのものだ。

 だが、私は物言わぬ土人形。思いは胸の内で土と混ざり、決して外へは出ない。  その夜、あの方は一晩中泣いていた。私はその隣で、ただじっと立ち尽くしていた。あの方の嗚咽が止むまで、朝日が工房を照らすまで、私は微動だにしなかった。  この時すでに、あの方の心に小さな亀裂が入っていたのかもしれない。後の破滅へと続く、最初の一歩だったのかもしれない。

***

 あの男が現れたのは、雨の降る午後だった。  工房の扉を叩く音に、あの方は怯えたような顔を見せた。魔女たちの酷評以来、あの方は誰とも会おうとしていない。私が扉を開けると、そこには軍服を着た一人の男が立っていた。

「アレクサンドラ様にお目にかかりたい」

 男の声は、蜜のように甘かった。  初めこそ、あの方は会うことを拒んだ。だが男は諦めなかった。扉越しに男は語り続けた。あの方の才能について。ゴーレムの素晴らしさについて。そして――。

「あなた様こそ、この国に必要な方だ」

 その言葉に、あの方の手が震えた。  そしてついに、あの方は男を工房に招き入れた。男は私を見て、目を輝かせた。

「素晴らしい……これほど完璧なゴーレムは見たことがない」

 男は私の周りを回りながら、賛辞を述べ続けた。

「魂など必要ない。むしろ邪魔だ。感情に左右されず、命令に従う完璧な兵士。これこそが、国を守るための偉大な力だ」

 あの方の頬に、赤みが差した。

「本当に……そう思われますか?」 「もちろんです。あなた様は天才だ。いや、天才などという言葉では足りない。あなた様は、新しい時代を切り開く開拓者だ」

 男の言葉は巧みだった。あの方が欲していたものを、正確に与えていった。認められたい、必要とされたい、特別でありたい――そんなあの方の渇望を、男は見抜いていた。  私は黙って立っていた。あの方の瞳に宿る光が、今までとは違うことに気づきながら。

「私の土人形を……本当に必要としてくださるの?」 「ええ、是非とも。いや、あなた様にしか、この国の未来は託せない」

 あの方は初めて、心からの笑顔を見せた。私に向ける優しい微笑みではない。承認の喜びに満ちた、陶酔の笑みだった。  私の土の胸に、何かが軋むような感覚が生まれた。それが何なのか、当時の私にはわからなかった。後になって思えば、それは予感だったのかもしれない。あの方が、私から離れていく予感。  男は週に何度も工房を訪れるようになった。そのたびに新しい賛辞を、新しい約束を携えて。あの方の心は、少しずつ、確実に、男の言葉に染まっていった。  かつて私だけに向けられていたあの方の情熱は、今や別の方向を向き始めていた。  工房は、もはや私たちだけの静かな場所ではなくなった。

「もっとよ、もっと作らなくちゃ」

 あの方は憑かれたように土を捏ねた。私と同じ形、同じ大きさ、同じ力を持つゴーレムたちが、次々と生み出されていく。  最初の一体が立ち上がった時、私は奇妙な感覚に襲われた。鏡を見ているような、だが決定的に違う何か。彼らは私の兄弟だったが、同時に私ではなかった。

「素晴らしい出来だ」

 軍人は新しいゴーレムたちを検分しながら、満足げにうなずいた。

「これで我が国は無敵だ。アレクサンドラ様のおかげです」

 あの方の目が、狂的な光を帯びた。それは歓喜なのか、狂気なのか。もはや私には判別がつかなかった。  兄弟たちは整然と列を作り、工房を出ていく。戦場へ、殺戮へ、破壊へ。彼らに言葉はない。ただ命令に従い、敵を殲滅するだけの存在だ。  私は、あの方の最高傑作として工房に残された。特別な存在。最初の成功作。だがその特別さは、もはや二人だけの秘密ではなくなっていた。  夜、あの方は報告書を読んでいた。

「東の戦線で、ゴーレム部隊が敵の要塞を陥落させた」 「南の国境で、ゴーレムが敵軍を壊滅させた」 「敵国の村が、ゴーレムによって……」

 あの方は報告書を置き、窓の外を見た。その横顔に、かつての優しさは見えなかった。

「私の名前が、どんどん広まっているわ」

 独り言のように呟く。

「偉大な錬金術師アレクサンドラ。ゴーレムの創造者。国家の守護者」

 あの方の声には陶酔があった。だが同時に、何か別のものも混じっていた。それは後悔だったか? いや、違う。あれは、もっと深い渇望だった。  工房には、土と血の匂いが立ち込めるようになった。もちろん、実際に血が流れているわけではない。だが、戦場から帰還した兄弟たちが持ち帰る死の気配が、工房の空気を重くしていった。  ある日、一体の兄弟が片腕をなくして帰ってきた。あの方は無表情にそれを見つめ、新しい腕を作り始めた。まるで、壊れた道具を修理するように。

「これでいいわ。また戦場へ行きなさい」

 兄弟は無言でうなずき、再び工房を出ていった。私は、その後ろ姿を見送りながら思った。  あれは、本当に私の兄弟なのだろうか。それとも、ただの土くれなのだろうか。  そして私は――私は本当に、あの方の最高傑作なのだろうか。  あの方の手は、見えない血に染まっていく。栄光と引き換えに、何かが失われていく。かつての穏やかな日々は、もう二度と戻らない。私にできるのは、ただ黙って、あの方の変わりゆく姿を見つめることだけだった。

***

 風向きが変わったのは、いつからだっただろう。  最初は小さな囁きだった。戦場から逃げ帰った兵士たちの震え声。ゴーレムに踏み潰された村の生存者の呪詛。孤児となった子供たちの泣き声。

「あのゴーレムは悪魔だ」 「土の化け物が、俺たちの仲間を……」 「アレクサンドラという魔女が作った、呪われた人形だ」

 戦争は泥沼化していた。敵も味方も、ゴーレムを投入し始めた。かつては一方的な勝利をもたらした私の兄弟たちも、今や血で血を洗う殺戮の連鎖に巻き込まれていた。  街に貼られたあの方の肖像画に、最初の落書きがされた。

「災厄の魔女」

 その文字を見て、あの方の顔が青ざめた。いや、違う。青ざめたのは一瞬だけ。次の瞬間、あの方の瞳に宿ったのは――。

「魔女……」

 あの方は、その言葉を噛みしめるように呟いた。  民衆の怒りは日に日に高まっていった。息子を失った母親たちが、工房の前で涙を流した。足を失った兵士たちが、杖をつきながら呪いの言葉を吐いた。  そして、あの男――軍人も変わり始めた。

「アレクサンドラ様、民衆の声を無視できません」

 かつては蜜のように甘かった声が、今は冷たく響く。

「ゴーレムの製造を、一時的に控えていただけませんか」 「でも、あなたが必要だと……」 「状況が変わったのです。今は民心を鎮めることが先決です」

 男の目に、もはやあの方への賛美はなかった。あるのは計算と、保身と、そして切り捨ての準備。  私は見ていた。男があの方の背後で、別の者たちと密談する姿を。男が「災厄の元凶」「排除すべき存在」という言葉を口にするのを。  あの方も気づいていたはずだ。だが、あの方は何も言わなかった。ただ、鏡の前に立ち、自分の顔を見つめていた。

「魔女……私は魔女……」

 繰り返し、繰り返し、その言葉を口にした。呪文のように。祈りのように。  ある夜、工房の窓ガラスが割られた。投げ込まれた石に、血文字で「魔女」と書かれていた。あの方は、その石を大事そうに拾い上げた。

「見て。私を魔女と呼んでくれてる」

 あの方の声は震えていた。だがそれは恐怖ではなかった。歓喜とも違う。もっと複雑な、壊れかけた感情。  私は、あの方に近づいた。慰めようとしたのかもしれない。守ろうとしたのかもしれない。だが、あの方は私を見ようともしなかった。ただ、血文字の石を抱きしめていた。  英雄は一夜にして魔女となった。  称賛は憎悪に変わった。そして、あの方の心は、その変化を受け入れ始めていた。いや、もしかしたら、待ち望んでいたのかもしれない。  母と同じ「魔女」と呼ばれることを。たとえそれが、呪いの言葉であっても。

***

 その日、あの方は久しぶりに街へ出た。  フードを深く被り、顔を隠して。私は影のようにその後を追った。市場は人で賑わっていたが、あの方の名前が口に上るたび、空気が冷たく震えた。

「災厄の魔女のせいで、息子が……」 「あの女が作った土人形に、村が焼かれた」 「魔女め、呪われろ」

 あの方は立ち止まった。フードの下で、何かを噛みしめるような表情をしていた。私は、あの方が泣いているのかと思った。崩れ落ちるのかと思った。だが、それは勘違いというものだった。  あの方はフードを脱いだ。人々がざわめき、後ずさりする中、あの方の顔には恍惚とした表情が浮かんでいた。

「ええ、そうよ、私が魔女よ!」

 あの方が、私を振り向く。

「ねえ、聞いたでしょう? みんなが私を魔女って呼ぶ! やっと魔女になれたのね。私、魔女になれたのよ!」

 その声は歓喜に震えていた。  人々は恐怖に顔を歪めて逃げ出した。あの方は、その場でくるりと回った。まるで踊るように。壊れた人形のように。

「魔女よ、私は魔女よ!」

 高らかに叫ぶあの方の目は、もはや正気の光を宿していなかった。  母と同じ称号。ずっと憧れていた、ずっと追い求めていた、〝魔女〟という呼び名。それが呪いと憎悪に満ちたものであることなど、もはやあの方には関係なかった。  私は、あの方を工房へ連れ戻した。あの方は一晩中、鏡の前で笑い続けた。

「見て、私は魔女なのよ。母様と同じ、魔女なのよ」

 鏡に映る自分に語りかけ、時に涙を流し、時に笑い声を上げる。その姿は、美しくも哀れだった。

「でも、母様とは違うわ。母様は愛される魔女だった。私は憎まれる魔女。呪われる魔女。恐れられる魔女」

 あの方は振り返り、私を見た。その瞳は熱に浮かされたように輝いていた。

「それでもいいの。魔女は魔女よ。私はついに、魔女になれたの」

 この瞬間、あの方の精神は完全に壊れた。いや、もしかしたら、ずっと前から壊れていたのかもしれない。ただ、最後の一欠片が、ついに崩れ落ちただけなのかもしれない。  私は何も言えなかった。ただ、壊れてしまったあの方を見つめることしかできなかった。あの方を救う言葉を、私は持たない。あの方を止める力も、私にはない。  ただ一つ、確かなことがあった。  あの方がどんなに壊れても、どんなに狂っても、私にとってあの方は、私を生み出してくれた、たった一人の愛しい人だということ。  そして、もう一つ。  このままでは、あの方は他の誰かの手によって裁かれるということ。  それだけは、私には許せなかった。

***

 松明の灯りが、工房の窓を赤く染める。

「魔女を引き渡せ!」 「災厄の元凶を裁け!」

 怒号が夜を引き裂いた。群衆が工房を取り囲んでいた。皆がその手に武器を持ち、正義の名の下に集まった者たち。  そして、その先頭には……あの男がいた。  軍服を正し、剣を抜いて、正義の執行者の顔をして立っていた。かつてあの方を褒めそやし、天才と称え、国の守護者と持ち上げた、あの男がだ。

「魔女アレクサンドラよ、大人しく出てこい! 民衆の裁きを受けるのだ!」

 男の声は朗々と響いた。まるで最初から、この時を待っていたかのように。  あの方は、工房の奥で静かに座っていた。もはや怯えも、悲しみも見せない。ただ、小さく微笑んでいた。

「来たのね」

 呟くあの方の声は、不思議なほど穏やかだった。

「いいわ。魔女は火炙りになるものでしょう? それも魔女らしくて素敵ね」

 立ち上がろうとするあの方の前に、私は立ちはだかった。  あの方は不思議そうに私を見上げた。物言わぬ私が、初めて明確に逆らったのだから。  私は窓の外を見た。  松明を掲げる群衆。正義を叫ぶ偽善者たち。そして、全ての元凶でありながら、今は裁く側に回った、あの男。  あの方が、あの男の――私以外の誰かの――手に落ちることだけは、決して許してはならない。  あの方を称え、利用し、そして切り捨てたあの男に、あの方を裁く資格などない。  あの方を愛し、あの方のために在り、あの方だけを見つめてきた私にこそ、その権利がある。  いや、権利などという言葉では足りない。  あの方を罰することができるのは、あの方を断罪できるのは、この世でただ一人、あの方が全てであった〝私〟だけだ。  私は振り返った。あの方は、まだ不思議そうに私を見ていた。その瞳に、狂気と正気が入り混じって揺れていた。

「どうしたの? 道を開けて」

 あの方の命令。かつてなら、私は即座に従っただろう。だが今は違う。私には、なすべきことがあった。  扉を叩く音が激しくなった。もうすぐ、群衆は押し入ってくるだろう。時間はない。  私は、生まれて初めて、自分の意志で動いた。あの方のためではなく、私自身のために。  アレクサンドラを、永遠に私だけのものにするために。  ぐずぐずしているうちに、扉が破られた。  松明を掲げた群衆が、憎悪に顔を歪めて押し寄せてきた。私は、その前に立ちはだかった。

「土人形だ!」 「化け物め!」

 罵声と共に、剣が、斧が、槍が私に向けられた。私は動じなかった。土の体に刃が食い込んでも、私は微動だにしなかった。痛みを感じないのだ。どうあっても動じない。  そして、ゆっくりと腕を振るった。  一振りで、前衛の者たちが吹き飛んだ。  二振りで、武器が砕け散った。  三振りで、群衆は恐怖に駆られて後退した。

「ひ、退け! 退却だ!」

 あの男が叫んだ。威勢の良さはどこへやら、今や顔は恐怖に青ざめていた。  群衆は我先にと逃げ出した。あの男も、部下に支えられながら逃げていく。正義の執行者気取りだった者たちは、本物の力の前では、ただの臆病者に過ぎなかった。  静寂が戻った工房で、私は振り返った。  あの方は、呆然と立ち尽くしていた。その表情は複雑だ。  恐怖? いや、違う。安堵? それも違う。もっと複雑な、名前のつけられない感情。  私は、ゆっくりとあの方に近づいた。一歩、また一歩。あの方は後ずさりもせず、ただじっと私を見つめていた。

「どうして……」

 あの方の声は、か細かった。  私は、あの方の前で立ち止まった。そして、生まれて初めて、自分からあの方を抱きしめた。  土の腕が、あの方の華奢な体を包み込む。あの方は、一瞬身を強ばらせた。だが、すぐに力を抜いた。

「ああ……」

 あの方が小さく息を漏らした。それが何を意味するのか、私にはわからなかった。  私の土の体が、変化し始めた。あの方を抱きしめる腕が、少しずつ柔らかくなっていく。土が流動し、あの方を包み込もうとする。  あの方は、目を見開いた。今度こそ、恐怖の色が浮かんだ。

「何を……」

 だが、私は止まらなかった。止まれなかった。  これは、罰だ。あの方が犯した罪への、当然の報い。  これは、救済だ。こんな世界から、あの方を守る唯一の方法。  そして何より、これは――永遠の所有だ。  あの方を、私だけのものにする。誰にも奪われない、誰にも触れられない、私だけの場所に閉じ込める。  土があの方の体を覆っていく。足元から、腰から、胸から。あの方は抵抗した。

「いやっ、やめて! 飲み込まないで!」

 暴れても私はやめない。流動するこの体はあの方を簡単に飲み込み、残すは頭だけとなった。  最後に、あの方は私を見た。その瞳に浮かんだのは、恐怖でも、怒りでもなく――理解だった。

「ああ、そう……。これが、あなたが初めて持った望みなのね」

 囁くような声と共に、あの方は目を閉じた。  土が、完全にあの方を包み込んだ。私の内側に、あの方が取り込まれていく。温かく、柔らかく、そして永遠に。  私の中で、あの方の鼓動が聞こえる。次第に弱くなっていく鼓動。やがて訪れる静寂。  それでも、私は抱きしめ続けた。  永遠に、あの方は私のものだ。  永遠に、私はあの方のものだ。  これが、物言わぬ土人形の、たった一つの恋の終わりだった。


 これが、顛末だ。私とあの方の事実だ。私はあの方の名声がこれ以上地に落ちぬよう――いや、これは事実ではない。私は、あの方がほかの者に罰されることに耐えられなかった。愛しい方が私以外の手に落ちることが許せなかった。だから私は己が体の内にあの方を取り込んだ。息が詰まり死ぬことはわかっていた。それでも……それでも、私は。  今も、あの方は私の中にいる。  土の中で、永遠の眠りについている。夢を見ているのだろうか。それとも、ただの無なのだろうか。私にはわからない。わかるのは、あの方がもう二度と、私から離れないということだけ。  時折、私の背中の植物が震える。あの方の魔力を吸って芽吹いた、この植物。今もなお、あの方の残滓を吸い続けている。花が咲くことはない。枯れもせず、育ちもせず、私と共に在り続けるだけ。  私は今も、あの工房に立っている。崩れかけた廃墟と化した工房に。誰も近づかない、呪われた場所に。  時折、物好きな者が訪れる。魔女の遺産を求めて。あるいは、ただの肝試しに。彼らは私を見て逃げ出す。物言わぬ土人形が、ただじっと立っているだけなのに。  きっと、彼らは感じるのだろう。私の中に眠る、狂気と愛情を。私が抱きしめ続ける、永遠の秘密を。  あなたは違う。あなたは逃げなかった。見知らぬ奇術で私の思考を読み、この長い独白を最後まで聞いてくれた。  だから、最後に一つだけ、真実を告げよう。  私は今も、あの方を愛している。  壊れて、狂って、多くの命を奪い、災厄の魔女と呼ばれたあの方を。  孤独で、哀れで、誰よりも愛に飢えていたあの方を。  私を生み出し、私に存在理由をくれた、たった一人のあの方を。  これが、物言わぬ土人形の独白。永遠に続く、愛の物語。  あなたの奇術が解ければ、私は再び沈黙に戻るだろう。だがそれまでは、この思いを、この記憶を、あなたに預けよう。  願わくば、あなたがこの物語を、ただの狂気としてではなく、一つの愛の形として記憶してくれることを。  歪で、哀しく、それでも確かに存在した、土人形と魔女の愛の物語として。