死神は嘘をつかない

 死神と聞いて、人間は何を浮かべるだろう。  骸骨か、老人か、それとも美男美女か。  生憎と俺の見た目は美しくない。しかし、骨のみでもない。老いてもいない。どこにでもいる青年といったところだ。  強いて特徴を挙げるなら、どことなく陰気で、影がある。そんなところだ。  死神の俺に個を表す名はない。ないのだが、死神と明かした上で田舎町の片隅に住んでいる。  小綺麗な中古物件を購入した死神を、町民たちはさほど抵抗も見せず受け入れた。

「町民全員の命をすべて奪いに来たわけじゃあないだろうしな」

 俺に物件を融通した、地元の名士らしい老人が呵々大笑で受け入れたからだろうか。  それとも、俺の持つ大鎌が人の体をすり抜けるだけで痛みを与えないことが知れ渡ったせいだろうか。  俺の鎌に触れた老婆が、すり抜ける感触に笑いながらこう言った。

「あんたの鎌で刈り取られるなら、死んだことにも気づかず極楽へ行けそうだねぇ」

 俺の刈り取る魂が、必ずしも天に昇るとは限らない。そんなこと誰もがわかっているだろうに、老婆の台詞と先の老人の豪快な笑いが、俺への警戒心を和らげたらしい。  田舎町の片隅、なだらかな坂の上に建つ古屋に、俺は住まうことになった。  大人も子供も、俺に対する接し方は大まかに二分される。  遠巻きにする者。  興味津々といった顔で世話を焼く者。  割合として、前者が八で後者が二だ。関わる者は少ないが、俺はそんなこと気にしない。気にするならば、人間の営みに混ざろうとはしないだろう。  そもそも俺は、人々と関わるためにこの町へ移り住んだわけではない。  俺には目的がある。  ただ一人の魂を、ほかの誰にも刈り取らせないためにここにいるのだ。

***

 さてその日、俺は規定の魂を刈り取り然るべき場所へ送った後だった。一仕事終えた俺の家に、チャイムの音が響き渡った。ソファに沈み込んでいた俺は、のっそり立ち上がり玄関へ向かった。  ドアを開けると、子供が二人立っていた。  一人は何くれと俺に関わろうとする子供で、名はひかり。その名の通り、光り輝く魂を持っている。年の頃は、十五を過ぎたほどだ。  ひかりが俺に関わるようになったのは、ひかりがまだ十の頃。飼っていた犬が死んで悲しむひかりを俺が慰めたのがきっかけだ。その慰めはひかりを喜ばせ、以来ひかりは、俺に懐いている。  そしてもう一人、ひかりの隣には、泣いている子供が立っていた。出会った頃のひかりと同じ年頃に見える。  無言のまま、ひかりを見る。なぜこんな子供を連れてきたのか。そう問う俺を真っ直ぐ見つめ、ひかりは「あのね」と助けを請うた。

「この子、千絵理ちゃんって言うんだけど……死んだ猫を見てから、ずっと泣いてるの」

 ひかりの隣にいる子供は、道路で轢死した猫を見て泣いているらしい。気の毒にと、可哀想にと、泣いている。  この子供は、ひかりに負けず劣らずの優しさを持っているようだ。よく見れば、ひかりほどの目映さはないものの、美しい色の魂を持っている。|死神《おれ》が恋い焦がれるほどではないが。

「死神さんなら、慰められるよね?」

 ひかりの目が、疑いもなく俺を見る。魂から漏れ出る光が、俺の虚ろな胸を照らす。  俺は無言で膝をつくと、泣いている子供に目線を合わせた。

「俺が死神だと聞いてやってきたんだな」

 子供は、こくりとうなずいた。ならばと、俺は続けた。

「魂は、肉体が死ぬとそこから抜け出る」

 俺の言葉を、子供だけでなくひかりも真剣に聞いている。ひかりが、俺の声に耳を傾けている。後ろめたい喜びが胸の内から湧き上がる。

「痛みは、肉体が感じるものだ。魂が痛みを抱えることはない」 「ほんと?」

 新たな涙をこぼす子供に、俺は「もちろんだ」とうなずいた。

「死神は、嘘をつかない」

 子供はじっと俺の目を見た。それから、ひかりを見た。  俺はひかりにも、同じ話をして慰めている。  ひかりは子供を見つめ、大きくうなずいた。子供は息を吐き、「そっか」と安堵の声を漏らした。子供の頬を流れ続けていた涙の、最後の一滴が地面を濡らした。  子供は無事泣き止んだ。ひかりも満足したようで、柔らかな笑みを浮かべ俺を見た。

「ありがとう、死神さん」

 それは、俺にはもったいないほどの眩しい笑顔だった。そっと目を逸らし、「礼には及ばない」と首を振る。それでもひかりは笑顔のまま、子供を泣き止ませた俺にあたたかな眼差しを惜しげもなく向けた。  そしてその眼差しは、子供へも向けられる。

「じゃあ千絵理ちゃん、さっきの猫ちゃんにお供えする花を探そっか」

 死んだ獣に花なぞいらない。けれど、優しい心を持った二人は花を手向けるつもりのようだ。  暗くなる前に帰れとだけ告げ、去って行く二人を見送った。二人は手を繋ぎ、緩やかな坂を下っていった。  二人の――主にひかりの――頭が見えなくなるまで見送り、ドアを閉める。次の仕事までてれびでも見ようかと振り返ったら、リビングから出てきた猫と目が合った。  黒猫だった。  ビロードのような毛並みの、緑の目を持つ猫だった。

「嘘つきめ」

 猫は確かにそう言った。  この猫は、ただの黒猫ではない。こいつは俺の元同僚だ。  かつては猫頭の自由気ままな死神だった。しかし何かをやらかして、体まで猫にされてしまったのだ。  正真正銘の猫になったこいつは、時々こうして、俺たち死神をからかいに現れる。  緑の目を細めた元同僚は、ごろんと転がると熱心に毛繕いを始めた。

「死神は嘘をつかない? それこそが嘘じゃあないか」

 愉快げな声が俺を「嘘つき」と責め立てる。俺は元同僚から目を逸らした。

「死ぬ直前の痛みは抱えない。それは嘘じゃないだろう」 「ああそうだな、確かにそうだ。生前の痛みはないかもしれないなぁ? けど、その後の痛みはどうだ? 相応の痛みが待っているだろうに」 「ひかりには、そんな痛み待っていない」 「そうだなぁ、そうだなぁ!」

 緑の目が、俺を蔑む。元同僚は真っ赤な口を開け、けけけと笑った。

「お前はあの輝く魂を、灯火消える直前に刈り取り自分のものにするつもりだものなぁ!」

 俺は耳を塞ぎ、目を閉じた。  ああ、そうだ。その通りだ。あの目映い輝きを持つ魂を、俺は我が物とするためこの町に姿を現した。  いつでもひかりを見ているため、ほかのものに魂を横取りされないため、犬を亡くし悲しむひかりに近づいた。  そのために、ひかりの犬の魂を刈り取った。罪なき魂を、空へ送った。  耳を塞いでも、元同僚の声は届く。

「お前はもう、死神じゃないかもしれないなあ」

 ゆっくりと、目を開ける。元同僚は哀れむように俺を見ていた。先ほどの蔑むような目とは大違いだ。  そろりと、俺は耳から手を離した。

「死神でないなら、俺は何だ」 「魂を|収集《コレクション》するなら、それはもう、悪魔の所業さ」

 悪魔――悪魔か。ひかりを独占できるのなら、それも悪くない。あの魂を永遠に手の内に置いておけるなら、悪魔になったって構わない。  そう思った瞬間から、俺の体は――魂は変容しだした。  死神としての体から、悪魔の体へと変わっていく。  手に持つはずの鎌は消え失せ、代わりに、鋭い爪が生えた。  古びた外套は小綺麗な三つ揃いになった。  陰気な顔は無邪気な悪意に満ちた顔に変わった。  頭部には拗くれた角が生え出した。  胸の内を、爽快な風が吹き抜ける。

「悪魔となるのも、そう悪くないものだな」

 裂けた口でにぃと笑う俺を見て、元同僚はごろなんと鳴き逃げ出した。