小人も妖精も当たり前に存在していた時代。そんな時代に生まれた|私《キャシー》は、幼い頃から小人が見えていた。 小人たちの声は、よく注意せず聞くと言葉として聞き取れる。けれどはっきり聞き取るため耳を傾けると、途端に言葉は泡となって弾けてしまう。そんな小人たちの声を、私はしっかり聞き取れた。 小人たちは、滅多と人の前に姿を見せない。たまに姿を現しても、よく見ようとした途端、霞みたいにかき消える。そんな小人立ちの姿を、私はいつでもはっきり捉えていた。 周りに誰もいないとき、小人たちは私の肩や頭に乗って、歌うように話しかける。
「キャシー、キャスリン、ぼくらの妹」 「可愛い可愛い、僕らの妹」 「ばら色ほっぺが、可愛いね」 「青い瞳が、きれいだね」
小人たちの歌は、川で弾ける|泡《あぶく》のよう。ぽわぽわ、ぷわぷわ、耳に心地いい。 三つになった春。野苺摘みに出た母について、森に入った。ひらひら舞い飛ぶ蝶々に惹かれ、私は迷子になってしまった。それでも怖くなかったのは、小人たちがそばにいたから。
「キャシー、キャスリン、ぼくらの可愛い妹」 「ぼくらはねぇ、キャシーには絶対、ひどいことしないよ」 「キャシーはとっても、いい子だからね」 「キャシーはぼくらと、生まれた日がおんなじだからね」 「ぼくらが生まれた日に、キャシーも生まれた」 「そのきれいなおめめで、ぼくらを見て笑ってくれた」 「だからぼくらは、兄弟なのさ!」 「可愛いキャシーは、可愛い末っ子さ!」
愛すべき|小人《兄弟》たちは末っ子の私が泣かないよう、はぐれた私を母が見つけるまで、歌って踊って、ずっと気を逸らしていてくれた。 兄を気取る小人たちだけど、小人としての習性は忘れない。いたずら好きな小人たちは、妹である私に累が及ぶようないたずらも躊躇しない。私の仕業と思われいたずらも、「わたしじゃないよ!」と主張すれば、それは大体信じてもらえた。村では、小人も妖精も、存在して当たり前のものだった。
「ねえ。私の兄さんだって言うなら、いたずらばかりじゃなくお手伝いもしてよ!」
ぷくぅ、と頬を膨らませお願いすると、|小人《兄》たちは「仕方ないなぁ!」と言って手伝ってくれた。 糸紡ぎ。繕い物。失せ物探しに果実摘み。 小さな兄さんたちは、お手伝いの報酬にミルクとクッキーを要求した。ミルクは失せ物探しのお礼に、クッキーは糸紡ぎの対価で用意することができた。私は小人と遊びながら、時にお手伝いをして、時に一緒になっていたずらをして、大きくなっていった。
それから十年ほど過ぎて、小人たちにとって末っ子の私は、六人兄弟の長子・長女となった。小人や妖精が存在するこの時代。私たち庶民はそれほど豊かではなかった。子だくさんの我が家は、六人もの子供を養えない。十三歳になった私は、遠く離れた町へ奉公に出されることになった。家を出る私に、当然のような顔をして小人たちもついてきた。 奉公先は、大きいお屋敷だった。そこにいる人は、旦那様から奉公人まで、誰も彼も意地悪で冷たい人ばかりだった。心の拠り所となる小人たちは、私の家にいるときと変わらないほどいたずらばかりした。家ならば、住んでいた村ならば、小人のいたずらだと主張すれば信じてもらえた。しかしこのお屋敷では、小人のいたずらは|私《キャシー》のいたずらだと思われた。
「小人なんているわけないでしょ」 「おとぎ話なんか信じる年でもないでしょうに」 「あの子、いったいいくつなのかしら」
叩かれる陰口に、私の肩身は見る間に狭くなった。縮こまる私を見て、小人たちもこれはいけないと思ったらしい。小さな兄たちはいたずらを控え、代わりに私の仕事を手伝うようになった。妖精や小人から奉仕を受けたら、ミルクやクッキーでお礼をするのが習わしだ。そうでなくても、私のためにと頑張ってくれたのだから、お礼したいと思うのが人情だ。しかしお給金のほとんどを実家へ送られている私には、自分でクッキーの一枚も用意できない。仕方なく、台所を取り仕切るジェイムスさんに頼むことにした。
「ジェイムスさん。ミルク一杯とクッキー四枚、分けてくださいな」
ちょっぴりしか残らなかったお給金を手にお願いした私を、ジェイムスさんはじろりと睨めつけ、鼻で笑った。
「ミルクなんて上等なもの、召し使いなんぞにやるわけないだろう」
たった一滴のミルクも、クッキーの|一《ひと》かけも、分けてもらえなかった。お給金を手に、とぼとぼ廊下を歩いて与えられた四人部屋に戻る。同室の三人が、忍び笑いで私を出迎えた。
「どうだったの、妖精ちゃん。ミルクとクッキーはもらえた?」 「小人にあげるんでしょう? 私も、小人がクッキーを食べるところが見たいわ」 「ああそれとも、あなたが食べちゃった? だってあなたも妖精だものね。小人が見えるなんて言うんだから!」
楽しげな、甲高い声が狭い部屋に満ちる。私の枕の上に立つ四人の小人が、心配そうに私を見上げている。
「キャシー、キャスリン、僕らの妹。大丈夫かい?」 「何だかとっても悲しそうな顔をしているよ」 「彼女たち、どうしてキャシーを笑うんだい?」 「どうしてそんな顔をするんだい?」
こんなにはっきり見えているのに、こんなにはっきり聞こえるのに、私以外の誰も彼らを見ない。彼らの声を、聞こうとしない。どうしてだろう。どうして笑うんだろう。どうして私のことを『妖精』なんて呼ぶんだろう。
「それはあなたがおかしいからよ」 「みんな見えないって言ってるのに、見えるって言い張るからよ」 「小人なんていないのに、いるって嘘をつくからよ」
ああそうなんだ。私がおかしいんだ。私が変だったんだ。 私を見上げる小人たちが見えるのは、私の目がおかしいからなんだ。小人たちが私を心配する声が聞こえるのは、私の耳がおかしいからなんだ。私は変な子だったんだ。頭のおかしい子だったんだ。だから、だから――。
「だからあなたは目の敵にされちゃうのよ、キャシー」 「だからあなたは仕事ができないのよ、キャシー」 「だからあなただけお給金もお休みも、もらえるご飯も少ないのよ、キャシー」
だったら、|小人《小さい兄》たちが見えなくなれば、私は仕事ができるようになるの? 彼らの声が聞こえなくなれば、私は目の敵にされなくなるの? みんなと同じになれば、私、こんな惨めな思いをしなくていいの? それから私は、小人たちの姿が見えても見えないふりをするようになった。名前を呼ばれても、声をかけられても、聞こえないふりをするようになった。次第に彼らの声は小さくなっていって、姿は透けるようになっていって、とうとう私の目には映らず、耳に聞こえなくなった。 普通に近づいているはずなのに、私は仕事ができないし、冷たくされるし、お給金もお休みも、ご飯も少ないままだった。 何がいけないんだろう。みんなと同じ〝普通〟って、どうしたらいいんだろう。今右手を出すのは正しいの? 左足を踏み出すのは〝普通〟なの? 瞬きはしていいの? 息は吸っていい? こんな風に考えるのは? いけないこと? おかしいこと? 私、《《ちゃんと》》〝普通〟でいられてる? わからない、わからない。 日を追うごとに、私の動きは鈍くなった。日を追うごとに、朝起きられなくなった。日を追うごとに、夜眠れなくなった。
そしてとうとう、私はベッドから動けなくなった。
動けなくなった私を置いておくほど、この屋敷の人たちは甘くなかった。病になったのならば出て行けと、少ない荷物を乱雑にまとめられ、田舎へと送り返された。最後のお給金は、田舎へ帰るための馬車代といって、すべて取り上げられてしまった。
帰った私を養う余裕なんて、家族にはなかった。私が動けないにもかかわらず、両親は次の奉公先を見つけて私を送り出した。 送られた先は、私が住まう田舎よりもさらに田舎にある、小さなお屋敷だった。うまく動けず、話せず、唸るしかできない獣のような私を、お屋敷の人は受け入れた。私のことをどこまで知っているのか、眉をひそめることもせず、一人部屋を与えてくれた。肝心の仕事は、負担の軽いものを少しずつ、本当に少しずつ、任された。
お屋敷の奥様は、深緑の目が優しそうな品のある女性だった。薔薇の水やりを私の仕事とし、毎日私に付き添い、薔薇について教えてくれた。色づいた花びらを愛しげに撫でながら、奥様は目を細め笑った。
「こんな田舎だもの、きっとまだ妖精だっているわ」
奥様はそう言って、私がかつて見えたものを優しく肯定してくれた。 小さなお屋敷は、以前のお屋敷ほど召し使いはいなかった。私と同年代に思えるのはたった一人。物言いこそぶっきらぼうだったけれど、決して意地悪な子ではなかった。
「あんた、見えるんでしょ」
皿洗いも任されるようになった頃。二人並んで洗っていたら、彼女が唐突に話を振ってきた。まだうまく話せない私がうなずくことすらできずにいると、彼女は猫のような目をつり上げ、「珍しくないんだから」と私を見た。
「あんたどうせ、見える《《だけ》》でしょ。見えるくらい、珍しくもないわよ。うぬぼれないことね」
彼女はそう言って、「あたしの村にはね、悪霊を祓う人だっていたわ」と自慢した。意地悪を言われているのかと身構えたけれど、彼女は最後にこう付け加えた。
「だから、見えるあんたを変な子なんて思わないわ」
「あたしはね」と言った横顔の優しさを、私は一生忘れない。ぼろぼろ泣き出した私を見て慌てた彼女の顔も、泡だらけの手で涙を拭われたせいで感じた目の痛みも、大事な思い出となるだろう。 この屋敷で一番の変わり者は、主人である旦那様だった。旦那様はいつも紙とペンを持っていて、人ではない〝何か〟を見ようと一生懸命だった。小人を含めた〝彼ら〟を探す旦那様の目は、いつも子供のように輝いていた。
「小人でも、妖精でも、とにかく見たら教えてくれないか。私はね、一度も見たことがないんだよ。こんなにも彼らを求めているのに!」
「お知恵拝借!」と求められ、私は渋々、小人や妖精が好みそうな場所を指さしで教えた。旦那様は「ありがとう!」と言うなり、そこへ座り込んで妖精たちが姿を現すのを待った。そんな旦那様を、お屋敷の誰一人として嘲笑しない。微笑ましそうに眺め、それぞれの仕事に励んでいる。私の心は、彼らのお陰でゆっくり、ゆっくりと、元の働きを取り戻していった。
とはいえ、まだ長く誰かと過ごしたり、自分の身の回りを整えたりするまでには至らない。お陰で私の一人部屋は、物置もかくやというほど散らかっている。その日も私は退散を命じられるなり、部屋へ直行し着替えもせずにベッドへ倒れ込んだ。 このお屋敷に来ても、夜の眠れなさは変わらなかった。けれど仕事が増えてきたお陰で、体は睡眠を求めている。きっと頭が眠ることを許さないだろうと思いつつ、私は目を閉じた。そのまま、死んだように動きを止める。すると、微かな物音が聞こえた。鼠でも入り込んだのかと思い込み、私は目を瞑ったままでいた。しばらくすると物音に加え、小さな声も聞こえるようになった。
「キャシー、キャスリン、もう寝たかい?」 「ぼくらの妹、久しぶりに、ぐっすり寝てるねぇ!」 「それじゃあ、始めよう!」 「キャシーのお部屋を、片付けよう!」
小さい頃から聞いていた、最近めっきり聞かなくなった、小人たちの声だ。目を開けなくても、彼らが何をしているかわかる。彼らが立てる物音が、彼らが掛け合う声が、私の瞼の裏に鮮やかな光景を映し出す。
「明日はこっそり、窓を開けよう!」 「外から、いい空気を入れよう!」 「今夜はまず、床の上を片付けよう!」 「キャシー、朝起きて、喜ぶといいねぇ!」
眠ってないよ、と起き上がれたらどれだけいいだろう。彼らに話しかけられたら、どれだけいいだろう。けれどそんな風に声をかける資格、私にはない。鼻の奥が痛み、目尻が湿っぽくなる。ここで嗚咽を漏らしたら、小さな兄たちは私が起きてると気づいてしまう。声だけは漏らすまいと、声を殺して涙だけを流した。 明日は、体が重くたって、気持ちが沈んでたって、早起きしようと決めた。与えられた仕事を頑張って、お給金の代わりに、ミルクとクッキーを分けてもらおうと決めた。未だ私を妹と慕ってくれる彼らに、お礼をしなくてはならない。いや、させてほしい。まだ話しかけることはできないけれど、まだ姿を見る勇気はないけれど、感謝の気持ちは伝えたい。 そのためにも、と体の力を抜く。耳には四人の兄たちが「わっせ」「わっせ」と掛け合う声。耳を傾けすぎると泡と消える彼らの声を聞くともなしに聞きながら、私はずいぶん久しぶりに、朝が来るまでぐっすり眠った。