私の夫はアオダイショウ

「ミキはいいわよね、彼氏が哺乳類で!」 「ええ~?」

 昼時のカフェで、私はミキとランチを楽しんでいた。ここのパスタは絶品なの、と会う度にミキが言うので、休みを合わせてようやく来ることができたのだ。席に着きシェアするため互いに違うメニューを頼んで、待つ間にミキがのろけ話を始めた。聞いているうちに私は自分の夫を思い出し、冒頭の台詞に至った。水しか置かれていないテーブルに突っ伏す私を、ミキは「どうしたの」と笑いながらつつく。つんつんといたずらっ子のような手を払いながら、私は勢いよく身を起こした。

「ミキの彼氏はシロクマじゃない」 「うん、シロクマ。カナエの旦那さんは……」 「蛇よ、蛇なのよ! 優しいし家事もしてくれるけどっ、蛇なんだもん!」

 普段は言えない溜め込んだものが、蛇口を捻るようにあふれ出す。

「働き口は見つからないし、マンションじゃ管理人さんにペットは不可ですなんて言われちゃうし、ご近所さんには駆除されそうになっちゃうのよ!」 「電話で言ってたよね、それ。結局どうやって免れたの?」 「私が助けに行ったのよ! その蛇は私の夫です、アオダイショウだから毒蛇じゃありません、って!」 「あはははは、何回聞いても笑う~」 「笑えないわよ当事者は!」 「それから旦那さん、外に出るときはカナエの手作りニットを着てるんだっけ?」 「そうよ、ちゃんと名前入りよ! あのひとのために苦手だけど頑張って作ったのよ、もう二度とあんな心配したくないもの!」 「気苦労が絶えないね~」

 それから互いの頼んだものがきて、食べながら話して、話して、話して、そして店の前で別れた。「またね」と手を振るミキの顔は寂しそうだったけど、シロクマの彼からひっきりなしにコールされては仕方ない。私も「また電話するわ」と手を振って、互いに反対方向へ歩き出した。  カフェから歩いてバス停へ。バスに揺られながらマンションへ戻る。もう桜が咲いているようで、遠くに桜並木が見えた。春だわ。春なのね。彼ももう起きているかしら。そろそろ起きる頃と思って、毎日声を掛けてはいたけれど。起きたときに私がいなくて寂しがってないかしら。マンションそばのバス停に着き、私は少し急ぎ足でマンションに戻った。  マンションに着いて、期待半分にチャイムを鳴らす。少し待つ。応答はない。まだ起きてないのね、と残念な気分になりながらロックを解除しようとしたら、ノイズに遅れて彼の声が流れた。

「やあ、おかえりハニー」

 眠たげな響きはない。ずいぶん前から起きてたのかもしれない。

「ただいま、あなた。起きてたのね」 「きみが出掛けてしばらくしてからね。鍵を開けるよ」

 ロックが解除され、まだ冷たい春の風とともにエントランスに入る。エレベーターを使って部屋まで戻ると、私がノブに触れる寸前でサムターンが回る音がした。キィ、と音を立ててドアが開く。内側のドアレバーに、彼はぶら下がっていた。

「春といえど風は冷たかったろう。紅茶を淹れよう。早く入っておいで」

 彼は体をくねらせ奥へ進む。私も中に入る。靴を脱ぎながら、部屋がちょうどいい温度に暖められていることに気づいた。寒がりな彼が空調をオンにしたのだろう。  彼に恭しく促され、席に着く。キッチンへ消えた彼は頭にお盆を載せて帰ってきた。銀色のお盆に君臨するのは、私の大好きなマドレーヌだ。彼は本当に器用だ。尻尾を巧みに使い、時に頭まで用いて、魔法のような手際でテーブルに紅茶を用意した。彼に給仕されながら、ミキとの会話を思い出す。

『一緒になってほしい、って言われたの』 『いっしょに?』

 沈んだ声だった。普通のお付き合いをしていれば喜ぶ台詞だけれど、私やミキのような者にとって、その言葉は少し違う意味を持つ。ミキは目を伏せ、手慰みにスプーンでコーヒーを混ぜ続けていた。

『うん。一緒に、シロクマになってくれって』 『そんな……ミキも北極に行っちゃうの? アザラシを食べて、もう私とランチはしてくれないの? シロクマになっちゃったら、ミキの大好きなマカロンも食べられないのよ!?』 『まだ迷ってるの。彼のことは好きだけど、でも私、家族も友達も、自分すらも捨てられるかと問われたら、首を振れない』

 今にも泣きそうなミキに、何と言葉をかければいいのかわからなかった。カップに映る自分越しに、カフェでのミキの顔を見つめる。あんなに悩んで、可哀想に。少しでもアドバイスしてあげられたらいいのに。けれど私には、ミキと同じ経験がない。彼は私に『一緒になってくれ』とは言わなかったから。

「ねえ」 「うん? 何だい、ハニー」

 私は彼に、ミキとシロクマさんとのことをすべて話した。すべて話し終えると、彼は「なるほどねぇ」とどこか楽しげにうなずいた。私は悩んでるのに、まったくもう!

「あなたは私に、一緒になってくれって言わないのね」 「同じにならなくとも、同じ場所で生活し同じように愛を語らえるからね」 「でもシロクマさんは、ミキに同じシロクマになってほしいって願ってるわ」 「そりゃあね。思いはそれぞれだ。それに欲求もそれぞれ。彼の愛は同族になることなんだろうね」 「あなたはそうじゃないの? あなたの愛って何?」 「やけに食いつくじゃないか、僕の可愛い人」 「話しながら思っちゃったんだもの。あなたが一緒になってくれって言ったら、私、蛇になれるかしらって」 「なるほどね。それで、どうだい? 蛇にはなれそうかい?」

 カップを置き、私は首を傾げた。考えても、想像しても、脳内に浮かぶ私は私で、彼は彼のままだった。

「なれないわ。私は私だもの。それに私、やっぱりシロクマさんの気持ちはわからない。あなたは蛇だからあなたなんだもの。人間になってほしいなんて思わないわ」

 彼はシュウシュウと笑い声を上げ、色の薄い腹を見せた。ひとしきり笑うと、彼は尻尾の先で涙を拭うような仕草をした。

「やっぱりきみを好きになって良かったよ、僕の唯一の人」

 彼が顔を近づけてきた。私も身を乗り出し、互いの鼻先を触れ合わせる。私は彼の縦に裂けた瞳を見つめながら、もしもミキが北極に行ってしまったら、について考えた。彼は蛇だから、きっと北極に着くまでに眠ってしまう。どうすれば彼を目覚めさせたまま北極まで同行させ、ミキやシロクマさんとお茶会を催せるのかしら。その方法を探しながら、ひやりと冷たい彼ののどをくすぐった。