姉と木蓮

 僕は今、不本意ながらふたご座に向かっている。交通手段は最近整備されたばかりの鉄道だ。地を這うばかりだった鉄道は、今や空へも|行《ゆ》けるようになった。

「私が死んだら、《《この子》》と一緒に、ふたご座へ埋めてちょうだいね」

 それが姉の口癖だった。 何でも、ふたご座で同じ墓に埋葬されると、来世でも縁が結ばれるらしい。だから姉はふたご座を指定した。  姉の言う《《この子》》とは、今この列車で僕の向かいに座る、木蓮のことだ。

 姉の〝恋人〟は、木蓮だった。

 花を〝恋人〟にするとき、常人ならば木を選んだりしない。木は〝恋人〟にするには手間がかかる上に、関係を解消するにも苦労する。地中深く根を張る木は、情も深いのだ。  なのに姉は、木蓮を選んだ。植物を〝恋人〟に変える〝|呪《まじな》い〟も、使用人どころか僕ら家族にすら気取らせず、たった一人でやり切った。体が弱いくせに、一人で寒空へ出たなんて、今でも信じられない。  体は弱いくせに意志はやたらと強い姉の遺言に従い、僕は風呂敷に包まれた骨壺を抱え、鉄道に乗り、ガタゴト揺られている。

 通常、〝恋人〟にされた植物は、関係を解消しない限りは人の姿のまま、人の寿命を全うする。  つまり目の前の木蓮は、生き埋めにされるのだ。そうとも知らず、木蓮はのんきに紙風船を投げ上げて遊んでいる。あの紙風船は、姉が気に入っていた配色のものだ。姉の部屋から持ち出したのだろう。  思わず、舌打ちが出た。  こいつはいつもこうだった。伏せがちだった姉の|床《とこ》のそばで、鮮やかな色の紙風船を投げていた。見た目は年頃の娘なのに、中身は〝あどけない〟なんて言葉では可愛らしすぎるほど幼稚だ。年頃の外見で、子供のように振る舞う。姉はそれを「愛らしいじゃない」と言って微笑んでいたが、僕にはそう思えなかった。家人ですら入れてもらえないときでも、この木蓮だけは姉の部屋に入れてもらうことができた。  姉の部屋は、中庭に面した部屋だった。四季折々の花が咲き乱れる、我が家自慢の庭だ。木蓮はこの庭に植わっていたものだった。姉が生まれた年に、父が祝いとして植えたらしい。姉が木蓮を〝恋人〟にしてしまってからは、一角にはぽっかりと寂しい空間ができている。だが誰も、そこに新たな植物を植えようとはしなかった。

 ある日、突然地面が揺れた。大きな地震だった。当然我が家も揺れた。  運悪く、その日は姉が病床から起きていた。珍しく体調が良かったのだ。  運の悪さは重なるもので、揺れたそのとき、姉は木蓮を連れて書斎に入ったところだった。使用人が言うことには、揺れた棚が木蓮に倒れかかったらしい。そのまま潰れれば良かったのだ、こんな木偶。よりにもよって姉は、こんな木偶の坊を庇って、自分が棚に押しつぶされた。姉に突き飛ばされ助けられた木蓮は、ぽかんと目と口を丸くしているだけだった。僕が助けに行ったとき、その様をこの目で見た。  使用人と協力して棚の下から救い出した姉は、まだ生きていた。だが、あちこち骨が折れていて、その傷みに呼吸が止まりかけていた。  金にものを言わせて医者に診せたが、治療の甲斐なく、姉はみるみる弱っていった。そして冒頭の台詞を残し、身罷ってしまった。

 姉は、病弱だが美しい人だった。床に伏せってばかりいたせいで健康的な美とは縁のない人だったが、それでも、美しい人だった。穏やかに笑う横顔が、詩歌を読む姉のそよ風のような声が、字を綴る白くほっそりした指が、美しかった。  何より、とても優しい人だった。僕を長男として厳しく躾ける両親から逃げて泣きついた僕を、いつも優しく受け止めてくれた。姉は、僕にとって唯一の〝|女性《ひと》〟だった。

 僕は木蓮を憎んでいた。  姉は僕のものだったのだ。

 伏せがちなせいで友人と呼べる存在もおらず、見合い話すら持ち上がらなかった姉を、僕は生涯大事に手元に置くつもりだった。  家を継ぎ嫁を取り、姉を養えるだけの地位を得て、いつまでもいつまでも、姉の世話をして生きていくつもりだった。  姉だけを愛し生きていくつもりだった。  なのにこの木蓮は、僕から姉を奪った。心だけでなく、命までも奪ったのだ。

 こいつには生き埋めがお似合いだ  僕の膝にある骨壺には、骨なぞ入っていない。姉の望みを叶えてやらないのは心苦しいが、こいつに姉の遺骨なぞ、一片たりとも渡したくない。寿命を迎えるそのときまで、空の壺と穴で過ごしてもらうのだ。

 どれだけガタゴトと揺さぶられたか。うたた寝をしそうなほど退屈な時間を過ごし、ふたご座に着いた。列車から降り、木蓮が駆け出していく。実に面倒くさい。こいつを生き埋めにする旅でなければ、こんな奴、ここへ置き去りにしていきたいくらいだ。 「そっちじゃない」と襟首を掴み、骨壺片手に改札を抜ける。  ふたご座の墓地は、目立つ場所にあった。だが墓地への扉は、固く閉ざされていた。  墓守は〝恋人〟を埋めることは罷り成らないと言ったが、僕が家名を名乗り金子を渡すと、あっさり墓地への扉を|開《ひら》いた。  扉をくぐる際、札を一枚渡された。そこに書かれた番号の区画が、こいつの墓場だった。

 定められた一角に、穴を掘る。  木蓮が入るだけの幅を、木蓮が這い上がれないだけの深さを、一人きりで掘る。誰にも僕の邪魔はさせたくなかった。だから僕は一人で来た。  汗みずくになって、ようやく満足のいく穴が掘れた。  木蓮に空の壺を持たせ、できたばかりの穴へと突き落とす。穴の底でぽかんとして僕を見上げる木蓮に土をかけ、埋めていく。木蓮は言葉とも呼べない言葉を吐き散らかしていたが、それを無視して淡々と土を穴の底へ戻していった。  這い上がろうと試したり、ショベルで土を落とす僕に言葉になっていない言葉で話しかけたりと、木蓮なりにできる限りのことはやったようだ。けれど僕がどうあっても穴から出すつもりはないと悟り、穴の底でしゃがみ込んでしまった。腕にはしっかりと壺を抱きしめている。  木蓮の瞳が、僕をじっと見る。赤く光っているような瞳で見つめられると、妙な寒気がした。僕はやめろと呟き、顔目がけて土を落とした。  しゃがんだせいで、木蓮は速いペースで埋まっていった。早く、こいつの顔を見なくていいようになりたい。その一心で手を動かす。  顔が隠れる最後のひと被せの瞬間、木蓮はにぃと笑った。

「これでこの子は、永遠にあたしだけのものだ」

 こいつ、話せたのか。  愛しげに壺へ頬を寄せる木蓮を見て、一瞬、そう思った。  微かな感心を振り払い、空の壺とも知らない愚かな奴めとあざ笑い、最後の土を落としてやった。

 憎き木蓮を埋め終え、軽くなった足取りで駅へ戻る。もうこんなところ、二度と来まい。  晴れやかな気分で家へ帰ると、屋敷中が大騒ぎになっていた。何の騒ぎだと使用人を捕まえても要領を得ない。騒ぎの元は父と母だ。  座敷で喚いている父に「何事です」と問い質すと、半狂乱の母が代わりに叫んだ。

「あの子の骨がない!」

 骨ならばそこに、と言いかけ、座敷の真ん中に転がる壺に目をやった。  姉の遺骨と遺灰を納めた、薄青の骨壺。蓋が落ち、ころりと転がっている。中からこぼれ出ているのは、土くれだった。歯が軋むほどの怒りが湧き上がった。

「やってくれたな、植物の分際で……‼」

 急ぎ列車に飛び乗り、二度と戻るまいと思っていたふたご座へ舞い戻った。墓守が「お早い墓参りで」なんて軽口を叩くので殴ってやりたかったが、姉を取り戻すより優先すべきことではない。  扉を開けさせ墓地に入る。  姉が眠る区画には、木蓮の木がしっかと根を張り立っていた。まるで、もう何年もここにいるかのような佇まいだ。  根に当たるのも構わず、ショベルの刃を地面に突き立てる。掘り返しても根ばかり出てくるのに嫌気が差したころ、姉を納めた壺が見えた。  しかし壺には、ぎっちりと根が絡みついている。笑う木蓮の顔が頭をよぎった。

 遅れてやってきた父と母が泣いて頼んだって、ショベルを放り出した僕が土下座をして乞うたって、僕らが姉を取り戻すことは、終ぞ叶わなかった。